3.11を経て沖縄に移り住んだ彼女の「終わらない」思いについて。

沖縄で、東北出身の一人の女性と知り合った。その方が、東日本大震災を契機に沖縄に移り住んだという話は仲間内でうっすら聞いていたのだが、長く、詳しい事情を尋ねたことはなかった。

あるとき、その方と一緒にお酒を飲むことになった。「ワイン飲み放題」、そんなお気楽全開の場所で、私は彼女の経験を聞いた。

彼女は、東日本大震災で大きな被害に遭った土地に暮らしていた。そこで、仕事をし、婚約をして、生涯暮らしていこうと考えていたそうだ。

しかし、3月11日に地震。そして、大津波。

車で必死に高台へ逃げて、彼女も家族も全員無事だった。しかし、婚約者の彼とはしばらく連絡がつかない状態が続いた。当時は、家族同士でも連絡が取れないという事態は珍しくなかった。1日が経ち、2日が経ち……心配をしながらも、毎日食事をし、寒さに耐えることに必死だった。

しばらくして、彼は見つかった。

正確には、彼の腕が見つかった。「腕を見て”彼だ”」と特定したのは、彼女だった。腕には、彼女が結納の際に贈った腕時計がつけられていたからだ。

東日本大震災では、大切な誰かを多くの人が失った。そして、彼女もその多くの中のひとりだった。
しかし、彼女は泣くことも怒ることもできなかったと言う。
「私、全然泣かなかったんだよね。やらなきゃいけないことが目の前にたくさんあったから」

「必要以上の明るさ」、両親は彼女に対してそう感じていたのだそうだ。そして、生活が落ち着くと「沖縄に行きなさい」と勧めたという。

「どうして沖縄だったの?」
私は彼女に尋ねた。彼女が沖縄に移住していなかったら、私も会えていない。
「東北の人って、沖縄のことパラダイスだと思っているのよ。雪が降らないし、凍えるような寒さがないし、もうパラダイス。だからじゃないかな?」
彼女はフフと笑った。

彼女はそのパラダイスで、恋をして、結婚した。亡くなった彼とは築けなかった家庭を、彼女はつくることができた。

しかし、彼女は今でも車に乗れない。津波から必死で逃げたあの時の記憶があるからだ。
そして、肉も食べられない。詳しい理由を聞く気にはなれなかったが、もう二度と見たくない、と思ったのだろう。
沖縄にいるのに、海で泳ぐこともない。「まだ、ちょっと怖いんだよね。海」と彼女は言った。

優しい旦那さんは、飲み会になるとそっと幹事に声をかけ、「お肉以外のもの注文してもいいかな?」と彼女を気遣う。運転ができない彼女の送り迎えをしているのも旦那さんだ。彼女を静かに支える手のひらを見ているようだった。

亡くした彼の記憶は、彼女の中でなくなることはきっとない。それに、もしかしたら、彼女は記憶が薄らぐことを望んでいないのかもしれない。彼女と旦那さんは、死者と生きるということを受け止めて一緒にいる、私にはそんなふうに見えた。

元気に笑顔でいても、新たな生活をしていても、家族ができて幸せでも、「終わらない」ことはあるのだと。そんなことを思う。そして、無理に気持ちを終わらせようとしなくていい、とも。
彼女の終わらない思いを聞けてよかった。そして、私のフィルタが入ってしまっているけれど、こうして誰かに届けることができてよかった。10年という通過点に、思いを寄せて。

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