【小説】 恩贈り #6
◆◆前回までのストーリー◆◆
父親を亡くした手島一也は、15年ぶりに北海道に帰郷した。教師だった父親の葬儀には、多くの教え子が詰めかけた。そこで、28年前に起こった列車脱線事故と、その被害者を救うために遅刻した8人のためだけの卒業式が開催されたことを知る。さらに東京の教え子・川瀬祐美から父宛に届いた現金書留に、一也の心は揺さぶられる。ついには、連絡を取り対面することになるがーー。
父の教え子・川瀬裕美と会うことになったのは、高層ビルの間に忘れ去られたように佇む古い喫茶店だった。数あるチェーン店のカフェが並ぶこの街で、あえてここを選択する彼女。その人柄とはいかなるものかを察知しようと、神経を研ぎ澄ましている自分に気づく。
会うまでの緊張とは裏腹に対面してしまえば、ふと笑顔になった。川瀬の柔らかな雰囲気に、いくぶん安堵したからかもしれない。見たところ三十代半ば、明るいキャリアウーマンという印象だ。
「今日はわざわざありがとうございました。せっかくの週末にお呼び出しすることになってしまって、ごめんなさい」
自然に明るい声が出せる彼女に、好感を持った。
「いえ、こちらこそ。突然お電話してしまって、すみませんでした。割と大金だったので、念のためと思い、ご連絡しました」
改めていうほどのものでもなかったが、電話でも話した内容をごにょごにょと繰り返した。
「実はね、先生がいつもお前らと同い年の息子がいるんだ、って話をしていて当時から興味があったんです。先生の息子さんてどんな子なのかな、先生みたいな高校生って想像つかないなって。友達ともそんなくだらない話をしていたんですよ」
全く予想外の話に、どんな表情をしていいかわからなくなった。父が自分の話を生徒にしているなんて……。高校生の頃には、すでに父とはほとんど口をきかなくなっていた。成績も鳴かず飛ばず、部活に精を出したわけでもない息子を、父は情けない気持ちで見ていたんだろうと思っていた。中の中のランクの高校で、ぼんやりとすごした高校生活は決して思い出したい記憶ではない。
「え? 僕のことですか? いったいどんなことを……。高校の頃は、父とはあまり話すこともなくなっていたんで。父親と息子なんてそんなもんですよね」
最後の一般化した言葉は、取って付けようなものになった。家族のことを顧みなかった父について、ことはら教え子に告げることもない。
「息子は機械に強い。俺と違ってねばり強い性格だ。俺はこの北海道を出ようと思ったことはほとんどなかったが、息子は東京に出たいと考えているみたいだ。これからはどんどん知らないところにも飛び込んでいかなければいけない、息子にはそんなことをいつも教えられている。以上、先生の息子談義ですよ。
私もそんな息子さんのお話を聞いて、負けていられないなと思ったんです。東京は怖いけれど、知らない世界に飛び込んで見えるものが確かにあるはずだと思えたの。周りからは地元に残って仕事をすればいいじゃないって、止められていたけれどね」
意外にも、父は自分のことを的確にとらえていた。「父親」と言ったって、仕事が忙しくてほとんど家で顔を合わせることはなかった。それなのにどうして……という思いがこみ上げる。
「父がそんなことを言っていたんですね。正直言って、驚いています。それで、先日お送りいただいた30万というのはいったい何のお金だったんでしょうか」
「あれは、全て先生にお借りしていたお金です」
川瀬裕美はにこやかに答えた。
「一体、父は何にそんなにお金をお貸ししていたんでしょうか?」
疑問が拭えず、たたみかけるように尋ねた。
「うーん。模擬試験代、大学入試の費用とかかな。本当によく出してくれたな、と今でも思ってしまうわ。そんな先生いないですよね。返ってくる見込みなんて全然ないもの」
母の言葉と重なった。やはり、父は彼女の学業にかかる費用の一部を負担していたのだ。
「いったいどうして、川瀬さんにお金を貸していたのでしょうか」
そんな特別扱いが許されるのか、という驚きと共に憤りがこみあげてきたことを川瀬裕美には悟られないよう、冷静を装い尋ねた。父はやはり気に入った女生徒に肩入れしていただけではないか。こんなふうに息子がのこのこと会いにくることで、恥の上塗りしてしまったのかもしれない。
「あ、誤解しないでくださいね。別に先生は特別扱いをする人ではないわよ。私の家がちょっと大変だったのよ。ううん、ちょっとじゃないか。具体的に言わないと先生の疑いを晴らせないわね。
例えばね、父親が酒を飲んで暴れまわるから車の中で寝泊まりしていたの。そんなのがしょっちゅう。お金は常になくて。高校もいつ辞めようかと考えていたの。学校辞めて、家を出て、働いた方が楽だよな、みたいなことをずっと思っていたんです」
率直に家庭環境を話す彼女に、なんと言葉を返してよいかわからなかった。
「そうなんですか、なんて言ったらいいかわかりませんが父はそんなあなたに同情してお金を貸していたと……?」
「うーん、同情とはちょっと違うかな。ただ、目の前にそういう生徒がいたからという理由だけだと思うんですよね。私だからっていうわけでも、全然なく。そこが先生の不思議なところよね」
判然としない思いを抱えたまま、彼女の話を聞くしかなかった。自分の知っている父とはうまく像を結ばない。父は教師として明らかに家族が知らぬ顔を持っていた。
「理解できないって顔していますね。そうよね……、私も大人になってからも理解できないもん。でも、そういうもんなんだよ。先生って、きっと」
「そうなんですかね」
曖昧な返事を返すことが精一杯だった。
「人間の仕事に対する行動って、金銭欲と名誉欲に支配されているんだって。でもさ、教師ってちょっとちがう欲求っていうか衝動があるみたいだよね。私さ、先生がいなかったら絶対に大学なんていけなかったんですよ。まして東京に出て、企業で働けるなんて思いもよらなかった。先生がお金を工面してくれたとき、あなたと同じように、何の下心があるんだろう?と正直思った。私の周りにいる大人は信じられる人なんていなかったしね。
でも、『お前が一生懸命取り組むのならばお金なんて気にしなくていい』って言われて。入試のときもそうだったな。『頑張ればいいんだよ』って、それだけ。何にも言わないんですよね。だから私も先生がどうしてよくしてくれたのか、明確に理由を言うことはできないんです。たぶん、先生自身にも理由を説明することなんてできないんじゃないかな」
古びた喫茶店の珈琲の苦味は、深く胃の奥へと沈み込んだ。
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