年を取ってよかったこと
気持ちがさめる時の擬音が「さーっ」なのか「すーっ」なのかはわからないが、いずれにしろさめることはだれしもあるだろう。
小学生の頃、Kくんという走るのが速い男子がいた。足が速いだけでなくクラスでいちばん背が高く大きな目は切れ長で性格も穏やかな人気男子だった。それで私もなんとなく憧れていたが、さらに家がケーキ屋だったこともポイントが高かった。この人と結婚したら好き放題にケーキを食べられると思ったのだ。なんと子どもらしい考え。
ある日の給食の時間。ケーキ屋のKくんが自分の席に座ってしくしく泣いていた。
小学生にしても男子が泣くことは珍しく、その姿を見て私はぎょっとした。なんで泣いているのかと思ったらどうも自分の分の給食が間違いで配られていなかったらしい。
(そんなことで、泣く?)
僕の給食がないと言ってしくしく泣いているのを見て実際音が耳に聞こえたかと思うくらい「さーーーーーっ」と私の気持ちが引いていった。気持ちがさめること勢いよく引いてゆく波のごとし。
こうなると足が速いことも見た目がいいこともモテモテなことも家がケーキ屋なことも逆効果だ。もとからヘタレなら「あらららら」となるだけで済むのにふだんの地位が高いと「え、なんかちょっと・・・」となってしまう。
これが私の初めての“さーーーっと”体験である。
以前の職場の先輩は「財布」がトリガーになったという。かっこつけてトリガー(引き金のこと)と言った。普通に言えばきっかけである。
先輩が好きな男性と良い雰囲気になっていたタイミングで、二人はバスに乗った。バスの切符を買うために出した彼の財布が━━
めちゃめちゃダサかった。
「財布がダサくてめちゃくちゃ引いたんだよね。マジックテープがいっぱいついててさ、色もなんともいえない変な色なわけ。それで(この先財布のダサさの解説が続く)」
人それぞれである。
先輩の彼氏も急に彼女が冷たくなって(どうして?)と思ったことだろう。財布がトリガーだったとはよもや気づいていまい。
いずれも昔の話であり、若い時の恋愛やあれこれにおいては経験不足から来る異常な理想の高さによりこういった悲劇が生まれがちだ。そういう自分だって、気がついていないだけで、どれだけの人を「さーーーーっ」とさせてきたか知れない。
Kくんのケーキ屋はダイソーになり、私はすっかりおばさんになった。
酸いも甘いも苦いもしょっぱいもかみ分けたこの年になれば、男の涙もださい財布も付き合いにおいてなんの問題もないし、ダメなところこそ愛すべきとわかるし、不器用でも一生懸命でピュアで一途な人を見れば120%素敵だと言いきれるし、まあそんな若いころにはできなかった芸当ができるようになるのである。年を取っていちばんよかったのはこれだ。年を取ればたいていの人が年下になる。そうするとたいていのことは許せるし、たいていのことは可愛いく愛おしい。網の目をきつくして色んなものを通さないようにしていた若い頃より今の方がとても楽で楽しい。この大きな一点により年を取るのも悪くないと私は言いきる。
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