ブルース・リー育児。転校はチャンス(後編)
※ブルース・リー育児とは理屈より感情を大切にする育児のこと。私のモットーであり、自作の造語である。
地方の中学から東京の中学校に転校したT子。
彼女が配属(?)されたクラスはしかもいちばん荒れたクラスだったのである。よりによってどうしてこういう運命なのだろう。と嘆いていたのは親の私だけであった。
「みんなすごく優しくしてくれたよ!」
田舎からやってきた超まじめな転入生を、東京の中学生たちは大変丁重に扱ってくれたというのだ。どうも信じられないが、転校初日、帰ってきた長女は楽しそうにそう報告する。私の脳内にはアメリカのマフィアシティでブータンのVIPがちやほやされている図が浮かんだ。
その数日後、「社会科見学の班長に選ばれたよ!」とT子は意気揚々と帰ってきた。しかしその活動は班員が見学コースを自主的に決めるという趣旨のものだった。転入直後で、町のことなど全く知らないのにその活動を仕切ることになったT子。「やっぱり都合よく押し付けられている・・・」と思いながら、私だってまだわからない町の見学コースをT子に協力してどうにか組み立てた。計画から当日までなんとか頑張って班長役をまっとうしたようである。
さらに数日後、彼女は学級委員に選ばれてしまうのである。クラスメイトからの推薦だったらしい。私はめまいがした。
(絶対押し付けられてる・・・)
当のT子はどうかと言えば━━
「やったー!学級委員になったよ!」
喜んでいる。日々、手書きのクラス新聞みたいのをせっせと書いている。そしてなんとか任務をまっとうしたようである。
さらにその後学級委員たちをまとめる学級委員長にも選ばれてしまうのである。またもやなんとか任務をまっとうしたようである。
最終的には卒業式で答辞を読む役に選ばれた。
そして壇上で堂々と自分で考えた答辞を読んでいる。
こうなってくると私の心配は杞憂だったとしか言いようがない。
前の学校では委員は教師が決めていた。T子は給食委員を任命されていた。本当はT子は学級委員がやりたかったしやれる実力があると自信をずっと持っていたのに前の学校の教師は選んでくれなかった。
東京の学校で周囲からどういう意図で長に選ばれたていたのかは正直わからない。だが、転校したことによってT子はチャンスを得て、見事にチャンスを生かし切ったのだ。ピンチすれすれのチャンスだったけれど。T子は「小柄でおとなしい子」から「先頭に立ってみんなをまとめる子」にキャラ変した。
どんなこともあまり深読みしないでありがたく受け取った方がいいんだなと母さんは娘から貴重なライフハックを学んだ。ピンチをチャンスにするか、ピンチをピンチにするかは自分次第なのである。
T子はこの調子でどんどん自己実現を果たし、どんどん声がでかくなり、“ジャイ子”みたいになっていくのであるがそれはまた別の話。
ではまた明日お会いしましょう☆
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