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進撃の巨人を、一気読みした令和元年の秋

「奇怪な世界観を、楽しむ作品?」

6年ほど前の話。7年前だったかもしれない。私は書店のコミックコーナーの前にいた。小学4年生くらいの男子が、コミック本を1冊手に取り、横にいた母親に「コレを買って欲しい」と頼んでいた。

表紙を見た母親は「これは気持ち悪いからダメ! 絶対に反対!」と、少し離れたところにいた私にもはっきりと聞こえるほど、大きな声で強く否定していた。

私は、その家族がいなくなった後、少年が手に取っていたコミック本の表紙を見た。そこには、皮が剥がれ筋肉がむき出しになったキャラクターが描かれていた。それを見た私は「奇怪な世界観を楽しむ作品なのだろうか」と思った。

横溝正史の作品のように、世間から隠して育てられた「ある一族」が、何かのきっかけで社会に叛逆の狼煙を上げるようなストーリーなのか? いやタイトルから想像すると、未知の生物と戦うストーリーかもしれない。いや筋肉らしきものが描かれているということは、人間がなんらかの理由で変質してしまい、それを排除するという内容か・・・?

それにしても、赤みがかかったリアルな筋肉を思わせるキャラクターは、かなりの存在感であり読み手を選びそうだ、とその時の私は感じた。大きな声で「絶対に反対!」と拒んだ母親の気持ちもわかるような気がしたし、私も「自分には合わない作品だろう」と考え、読み進めることはしなかった。

印象から形成される思い込みは、強烈なものである。

先日「進撃の巨人10周年祭」で、作品を読む機会があった。ひさしぶりにコミックを一気読みし、最新刊まで入手して読んだ。そこには「奇妙な世界観を楽しむ作品」ではなく「自我を形成し命を紡いでいくものは、血なのか愛なのか歴史なのか教えなのか、それとも記憶なのか?」と、自由を求め囲まれた世界の中で揺れ動く人の様が描かれていた。想像していた「それ」とは、だいぶ違った物語が展開されていたのだった。

出会いの印象が強すぎて、読み進めるまで6・7年の時間がかかってしまったが、ようやく最新刊までたどり着くことができた。印象から形成される思い込みというものは、なかなかに強烈なものである。

少年は、高校生となり、大人になっていく。

そういえば、あの時、書店でみかけた男子は高校生になっただろうか。大学生だろうか? あの後「進撃の巨人」を買ってもらえたのだろうか。それとも友人から借りて読んだのだろうか?

それにしても時間が過ぎるのが早過ぎる。あの日から6・7年もの時間が過ぎたなんて、退屈な物語でも聞かされているような気分だ。増税を直前に控えた令和元年の秋に、そんなことを考えました。


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