20年間寄り添った地元を離れ、一人暮らしをする選択
入社と同時に4月から一人暮らしを始める予定だったが、入社がGW後に延期になってしまったため、本日から本格的に一人暮らしがスタートした。
一人暮らしをすると決めてからは、楽しみ3割、不安7割といった感情を持っていた。実際、周りの人から、「楽しみ?」とか、「大丈夫?」とか聞かれたりしたけど、聞かれるたびに「不安」と答えていた。答えていたというよりかは咄嗟にその言葉が出ていたから、本当に不安を感じていた。
地元で毎日のように遊んでいた友人の一人は、4月から警察学校へ行ったが、他の友人は地元に残っている。バイトが一緒だった友人もいたし、先に社会人で消防士になった友人も、一日おきに休みだったので、飽きるほど毎日温泉に行ったり、スケボーしたり、意味もなく集まったりしていた。1週間ぶりに会ったのに久しぶりって言っちゃうほど。地元っていいなって思えたのは、紛れもなくこいつら幼馴染のおかげだったと思う。その所謂いつメンとも言える6人は、中学校からの幼馴染である。中には保育園からの幼馴染もいた。卒業旅行の最終日前日、夕日が降りる瀬戸内海を見ながら、なぜかひとりひとりのスピーチが始まって、嗚咽が出るほどみんなで号泣したのを忘れない。
そんな自分が約20年間過ごしてきたこの町とお別れした。一人暮らしに対する気持ちは、寂しさ10割に変わった。
滅多に実家の自分の部屋なんて片付けないけど、最後ぐらいはスッキリさせたかったので、実家の部屋を片付けて、最後に布団を畳んでいたら、自然と涙が出てきた。何を思うでもなく、自然と。実家を出る時も、いろいろと母親に話しかけられたが、返答の声が震えてしまい、やばいと思って咄嗟に出ていこうとしたら、玄関に母親がきて、「いってらっしゃい、がんばれ」と声をかけられた。その顔を見ることができないまま、背中で「いってきます」とだけ適当に言ってしまった。外に出た瞬間、号泣してしまった。午後16時、気温は暑くもなく寒くもなく、今にも雨が降り出しそうな曇天だった。このままでは電車に乗ることができないので、駅前のコインパーキングで落ち着くまで待機した。音楽で紛らわそうとしたけど、どれも拍車をかけるような音楽しか流れなかった。最寄りの駅の、コンクリートの固まる前のような、いつもする独特なにおいをかぐと、また涙が溢れてきた。コロナの影響で人が少なくてよかった。電車に乗っているときも、なぜか自然と涙が出てきた。地元の高校を選び、地元でバイトを始め、地元から近い大学に行き、誰よりも地元が好きだった。安心した。地元の名前を出すと、県民でさえ、どこ?となってしまうぐらいパッとしなくて何もない町。唯一ある動物園はたまにテレビに出るが、そんな場所にあったんだ、となる。アド街ック天国で紹介されたときは。3位は「美味しいお米」だった。そんな、何もない、目新しいことも特にしないが、町民全員に温もりが感じられる、町民に寄り添っているような、そんな地元が愛おしい。だから地元から離れるのが不安だったのかもしれない。
一人暮らしする前のみんなはこんな経験をしてるのだろうか。そんな話はドラマとか曲中でしか聞いたことがない。話してないだけかもしれないけど。今までひょうひょうとしてたのは、別に悲しいわけじゃないと自分に言い聞かせてたのかもしれない。ようやく自分は寂しがり屋なんだなとも感じた。一人暮らしは実は向いてなかったのかもしれない。
でも、実際、大学生から遠い地元を離れて一人暮らししてる人もいる。沖縄から自分の地元に来てる人もいた。それを考えると、自分も頑張ろうと思えるし、ポジティブな気持ちになれた。
夕飯はとろたま親子丼を食べて、お風呂は入浴剤を入れて湯船につかった。温泉街に行きたい。あと、あんなに時間かけて作った手料理が、作った時間の1/3ぐらいの早さで食べ終わってしまって虚しくなった。料理は手際が大事だね。
一人暮らしが始まった。
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