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花の都大東京

死にたいくらいに憧れた花の都大東京、長渕剛の歌の歌詞の一節だが、この東京に暮らして今年で36年、歌のように東京に憧れ18で九州大分から上京してきた私は、郷里で過ごしたちょうど倍の月日をこの東京で過ごしてきたことになる。

緊急事態宣言が解除された直後の5月30日土曜日(緊急事態宣言は5/25に解除された)銀座4丁目交差点の三越銀座店が営業を再開したその日に、私はその三越の前にカメラを据えてこの写真を撮った。
https://satoshinichi.com/photos/678

商店建築誌のライティングをテーマとした増刊号の巻頭イメージカットを依頼されて撮影した一枚である。銀座4丁目のランドマーク・三愛ドリームセンターの円筒のガラス壁面にリコーが手がけたプロジェクションマッピングによって医療従事者への感謝のメッセージが浮かび上がっている。

三愛ドリームセンタープロジェクションマッピング / 三愛ドリームセンターの歴史
https://jp.ricoh.com/company/advertisement/dreamcenter/?fbclid=IwAR3kdH0u-G5MXJPgoc3WG_o3kK1HZSJIY2y0tyeRHn_i2eIZGEZIwoocrts

実はこの同じ場所にちょうど30年前もカメラを立てていた。

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1990年、24歳の私は商業施設設計・施工の会社の社員カメラマンとしてこの写真を撮った。学校を卒業して2年目、同期の友人たちが、芸能人の撮影をした、とか、ヒマラヤに行ったとか華やかな話題の中で自分は明けても暮れてもショッピングセンターやファミリーレストランやらをこつこつ地味に撮っている、そんな日々のなかで銀座の真ん中に立つこのビルを撮影したときはすこし誇らしい気持ちになった。4階より上層階、写真ではオレンジ色になっている部分にレストランが3店舗新規にオープンし、そのレストランを徹夜で撮影した。明け方の銀座の街を見下ろしながら、自分は東京の真ん中で仕事をしている、と小さく胸を張ったのだった。

2020年、この場所に立ち、当時目標にしていた商店建築誌から巻頭カットのオファーを受けて写真を撮っている。今もあの時と変わらず誇らしい。
すっかり見慣れたこの場所だが、銀座4丁目交差点は私にとっては今でも憧れた花の都大東京の象徴的な場所である。

撮影した5月末、この写真が載った号が店頭に並ぶ頃(7月30日発売)にはコロナは下火になって、医療従事者への感謝のプロジェクションマッピングも終了しているでしょうね、と担当編集者と話していたが、いま東京では緊急事態宣言下をはるかに上回るペースで感染者が増え続けており、このプロジェクションマッピングによる感謝のメッセージは今も続いている。

調べてみると冒頭に書いた長渕剛の歌「とんぼ」は、1988年10月のリリース。
どうりで30年前の自分を振り返ったときにこの歌が思い起こされるわけだ・・。
しかし30年経ってもこの歌を聞くと「半端な俺の骨身にしみる」。

東日本大震災のときに写真家として何が出来るのかと考えて津波の被災地を回ったが、自分がやるべきことは一時の思い付きで津波の被災地を撮ることではなく、自分たちが暮らす東京の姿を記録し続けることだと気付いた。
医療従事者のように直接このコロナ渦に立ち向かうことはできないが、私はこれまでと同じように、いまの東京の街の姿を記録し続けようと思う。

2020年盛夏

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