見出し画像

私と韓国

私はこれまで何度となく韓国を訪れ、各地の撮影現場で出会った人たちと親交を深めてきた。親友と呼べる韓国人の友人もいる。日常的に接していなくても彼ら一人一人との信頼関係にはいささかの不安も感じていないので、あえて何かを言う必要はないのだが・・このところの日々の報道に接していると黙っていることが不安になってきた。というか、韓国について自分がどう思っているか黙っていてはいけないと思うようになってきた。

私が初めて韓国を訪れたのはソウルオリンピック翌年の1989年12月。サラリーマンカメラマン2年目、就職した会社の社員旅行にカメラマンとして同行したのが最初であった。その後1995年にフリーランスになってからは頻繁に訪れるようになり、多くの韓国の友人たちと交流しているが、初めて訪れたソウルでの出来事は今でも鮮明に覚えている。

当時勤めていたのは大型商業施設を中心に店舗全般を設計・施工する会社だったが、出版社で編集を経験した人材をリクルートして、顧客に商業に関するさまざな情報を届けるための定期刊行物(第三種郵便物認可の月刊誌)を自社で制作していた。1989年の社員旅行は同年夏にオープンしたばかりのロッテワールドの視察も兼ねたもので、私にとってはその雑誌のためにロッテワールドやソウルの街の様子を撮影する初めての海外出張でもあった。

宿泊は出来たばかりのロッテホテルワールド。滞在2日目、勇んで早朝にホテルを出発。チャムシル駅周辺を歩き回っていると漢江(ハンガン)にかかる橋のたもとに出た。橋は川を覆う朝霧の中に消えて対岸は見えない。幻想的な風景に惹かれ徒歩で橋を渡ることにしたのだが、東京の冬と同じ服装の私はソウルの冬の洗礼を受けることになる。橋を渡り始めると、寒い、、とにかく寒い。橋の上はかちんかちんに凍りつき、しばらく歩いていると寒さで頭が痛くなった。橋の欄干は低く、足を滑らせると川に落ちそうな恐怖を感じたのをはっきり覚えている。その橋を渡りきったかどうか記憶が定かではないが、寒くてたまらずにタクシーに乗った。そのタクシーの車中で私は当時60代くらいの運転手さんに日本のかつての行いについて日本語で説教を受けたのだった。

話の内容がどうだったか、自分が何を話したか詳細には覚えていない。しかし話を聞き終え、私が日本から写真を撮りにやってきたことを伝えると彼は撮影に応じてくれた。車を降りて私のカメラの前に立った彼ははにかんだ笑みを浮かべた。きっとかなり複雑な気持ちだったと思うが、感覚的に負のオーラのようなものは感じなかった。いきなり車中で説教されたのには戸惑ったが、この出来事は決して不快な思い出ではなく、私に説教をしたあの運転手さんの笑顔が韓国への扉を開いてくれたと思っている。

あれから30年の間に私は何度となく撮影で韓国を訪れ、多くの友人ができた。しかし考えてみると彼らとかつての歴史について話し合ったことはない。歴史について話した韓国人はあの30年前の運転手さんだけなのである。1960年代以降に生まれた私と同世代か年下の友人がほとんどなので直接自分たちの付き合いに関係ないと思っていたし、そのことで関係が気まずくなるのはいやだと思ってあえて話題にしたことはなかった。

しかし果たしてそれで良かったのか・・真に友人になるには過去の歴史について話さなけばいけないのではないか、個人個人がどう思っているかをあえて伝え合うことが日本人と韓国人には必要なのではないか。30年前のあの運転手さんは私に自分の思いの丈を話し、私が彼の話を聞いたことで少し気持ちが収まったのだと思う。報道による情報だけで、個人個人の気持ちや考えが見えないまま、お互いが何となく日本イヤな感じ、韓国イヤな感じと思うようになっていくのを黙って見ていてよいものだろうか。

私は、かつて日本が朝鮮半島を事実上の植民地としていたことや朝鮮の人たちを差別的に扱ってきたことを学校で教えられて知っている。かつて自分の祖父母・曽祖父母の時代に申し訳ないことをしたんだという反省の気持ちを持っているつもりだ。でもそれを韓国人の友人に伝えたことはなかった。今起こっている日韓対立の根源には、韓国の人たちに世代を超えて受け継がれている日本という国に対する不信感があることは間違いない。私と同世代の韓国の友人たちも言葉には出さないけれど、(個人に対しては無くても)日本という国に対しては心のどこかに不信な感情を持っているだろう。今度会うときにはその気持ちを聞こう、そして私自身の気持ちを伝えよう。

私がそうであるように、韓国人と交流がある日本人で、過去の歴史について話し合ったことがある人は相当に少ないと思う。私のように歴史問題が気にはなるけど話題にしない人もいれば、全く知らないか全く頓着なく「韓国大好き」な若者もいるだろう。歴史について話題にしなければ韓国の人から見ればどちらも同じだ。今の韓国の若者は日本との過去の問題についてしっかり教えられているだろうが、日本の若者は(若くはないが私も含めて)ほんの概要しか教えられず、学校を出たらほぼ忘れてしまっている。人対人として純粋な気持ちで交流するのは大切なことだが、過去の歴史をしっかりと知っている彼らからすれば、そんなこと知らない、そんなこと関係ないじゃん、仲良くできれば・・って言われるのはやはり抵抗があるだろう。

韓国の学校で教えられている歴史は果たして正しいのか?韓国の教科書を見たことはないが、韓国国民が自分たちのアイデンティティーを保てるように韓国側から見た歴史が書かれているだろう。では日本の教科書はどうか?私の実感として、韓国との過去の歴史問題について自分が日本国民としてのアイデンティティーを保てるような教えられ方はしていないと感じる。要はぼーっとしているのだ。反省すべきは反省して謝罪し、解釈や主張が異なる点にはきちんと意見が言えるだけの必要十分な歴史教育がやはり欠けているのではないだろうか。しっかり歴史問題を議論するために必要な日本人としてのスタンスが確立されていない自分がはがゆい。日本人に生まれ、韓国人に生まれた以上、過去の歴史を全く無かったことにして付き合うことはできない。そこに向き合わなければ真の友人にはなれないのだろう。

2019年晩夏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?