勘違いで作る自身のイメージが人生の障害になる
人生の最も大きな敵は自分自身
昨日合気道の先生Paul
僕が通うTetsushinkan.co.uk の道場長
と仏教徒の禅の先生で元大英博物館の弁護士Tonyと合気道の帰りのパブで深い話ができた。
Tonyさんの語り>
https://youtu.be/Gv2BxOn18iQ
級を持っている生徒を次はどの級にあげるかについての話。
意外と練習をしてるときはできる人とおもいきや、昇級の模擬テストをしたらいざ技をかけるとパニックになっている人もいた。
そこで僕たちが話したこと。
これは僕たちの人生にとても深く関係すること。
そもそもなんで合気道にいくか? 武道稽古にいくか?
これは下記のPaul先生とのビデオでもお伝えした通り
https://youtu.be/TSbSyGdqZYA
体を使ったセラピーなのだ。
ただエキセサイズで来てる人もいれば、戦いたい人もいたり、 いろいろだけど
健全な理由として始めるのは、自分を「正す」ためである。
その理由じゃなければ駄目ではないけど。 武道ってそういうものだ。
戦うためでも、強くなるためでもなくて
己を正す
ということ
面白い事に、武道をしていると自分の自我がよく見えてくる。
そして自我が強い人は一向にうまくならない。
例えば
「彼は体が硬い」
「彼女は自信がない」
など。 それさえ改めれば、合気道のテクニックなんてどうでもよくて、すぐにうまくなる。
その人たちが見えてるのかどうかはわからない、でも外から見ると明らかに遠回りをしている。むしろその真理を見いだせず、別の事ばかり集中していっこうに上達しない。
体が硬い人は、やわらかくすればいいのに、テクニックばかりこだわる。
自信がない人は、せっかく武道で訓練して、まっすぐな自分を創れたのに、普段の生活の自信のない自分をつれてきて、自分自身をブロックする。
力がない人は、力を使ったらいいわけじゃないのに、まわりの男性たちに負けないように無理に力を込めてしまったりする。
自分が嫌だと思っている、想像してる自分を上達の「障害」として作り上げてしまう。
これは普段の生活でもそう。
自分を信じることができず、ポジティブにみえそうなイメージさえも障害として。自分の前に現れる。
「ここから先はとおっちゃだめですよ!」
と。
自信があるように、切れのいいさばきをしていても、頭のどこかに。
「何をやっているんだ、かっこつけて、君は自信がなかったじゃないか」
と悪魔の声がささやくのだ。
Paul先生が
「はらい」
の日本語の意味を語ってくれた。
真剣などをつかって「お祓い」をするのは
まさに邪気を掃う。
自我をはらうこと。
自分自身が障害となって先に進めない。
他人のことはいくらでも注意できる。
でも自分の事が一番わからない。
世の中で一番難しい問題は
「自分をみること」
日本でセラピーが普及していないのは自分のことをみたくない人が多いからだ
友達に「セラピーに行ってみたら?」とでもいったら、
すごい剣幕で
「わたしはそんな必要はない!」
と言われるだろう。
怒らなくても、とりあえず。
「はい?」
となる人がほとんどではなかろうか?
自分に問題は一切ないと信じたいのだ。
世界の皆がセラピーに行ったら、戦争もないし、喧嘩もないし、環境破壊もない。
そんなのつまらない世界だ、争いや競争があるから人間らしいと思うかもしれない。
それはやはり、ぼくらが
「真理から遠ざかって、言い訳を作り出し、自らを痛めつけている」
からだ。
争いがなくなったって、死や災害は免れない。
どんなに心が落ち着いたってやっぱり何か起きる。
負のものが全く消えることはない。 それが此の世の在り方だから。
でも争いの世の中はもう時代遅れ。
これからの時代は自分を見つめる時代だ。
それだけでもやることが沢山ある。
何かを鍛錬すること、武道だけでなくて、芸術や習い事をすることもまた全て、今を生き、自分を見つめるための道具だ。
僕たちはふわふわとした、なんとなくの世界に生きているのではない。
どんな状態であろうと、世界で何が起きようと、自分は消えない。
そして問題は常にやってくる。
だからこそ、僕らは日々なにか自分を見つめる「鏡」を必要とする。
毎日物質的な自分を鏡で見るのに
なぜ「こころの鏡」 をみようとしないのか。
顔が老けてきたとか、痩せたとか、太ったとか
それはどうでもいい。
心の鏡をみつめれば、体も健康に自然になっていくものだ
私たちは「外側」ばかりみつめている。
だからVRや8Kやら、に現代人は関心がある。
心がすべて。
それを見つめていけばいい。
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