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怯えた子犬を助けましょう

ニューヨーク大学

 
自分が怯えた子犬の様になるのはなぜか。
何もかもが分らなくて、全ての人間が自分のことしか考えていなくて、NYの道を行き来する。でも東京だってそうじゃないか。 ちがうのは言語が通じるかどうか。
でもイギリス留学をはじめておもったのが、日本人の方が何を言ってるのかわからない時がある。言ってる言葉言葉はわかるけれど内容が意味不明なのである。自分がないから、口から話す言葉は誰かの言葉をかき集めて喋ってるから、意味が分からない。
 
僕は言語が通じないところにほうりだされて、というよりも自らを放りだして。
客観的に人というものを感じたのだろう。
 
普段はなにげなく歩いている東京だって同じなのに気付かない。
 
いまこの言語が分らなくて、だれも僕の事をかまってくれないんじゃないか?という場所にいることで、将来、お先まっくらであるということを改めて、自覚してくれる。
 
どういうことかというと。
 
普段は守られて生きているかのように思えるけど、自己を見つめる機会がないのだ。 
なぜならまわりが「ここにいれば大丈夫」と詐欺師みたいなことをいうのだけれど、99%の日本人が同時に同じことを言うから、
 
「ああそうなのね」
 
と勘違いしてしまう。
 
だからレールの上から出ようとしない。
 
「これに乗ってればまちがいない」と確信しているみんなが、「幸せ」という名前の電車に僕らは乗っている。
 
でも一度ほうりだされたら、それに気付くのだ。
 
ぼくらひとりひとりは
 
独りぼっちなのだと。
 
だからそれを海外で、一人で、誰も友達がいないところに追いやられると
 
凄く感じる。
 
 
日本人と住んで、日本人と話して、日本人と遊んで、日本人と働いていたら。
 
「本当は世界である一個人なのだ」ということを感じることはできない。

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