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英語と日本語とフランス語──ゆうばり航海記より

P.N. 天乃原智志

(あらすじ)

 海洋調査船〈ゆうばり〉に四人の中学生が乗り組んでいる。四人のうち三人──堀内穣次、香川真司、御手園愛(みたぞの・あい)は同じ中学から、やって来た。夏休みの体験学習だ。もうひとりは木埜(きの)あすか。三人は〈ゆうばり〉に乗って初めて会った。
 〈ゆうばり〉は日本の船だが海外の科学者が大勢乗り込んでいる。穣次と真司はこの機会に英語を勉強しようと意気込むが──。


 「船酔いが大したことなかったのは幸いでした。」菱見小百合が船長の速水に言った。「四人のうち船酔いしたのは御手園愛さんだけです。それも、丸一日ていどで回復しました。」
 「もし、船酔いが長引いていたら折角の体験学習が黒歴史になるところだったな。そうならなくてよかった。」

 そう言うと速水は手元の書類にサインをして菱見に返した。

 「それで四人ともうまくやってるかね?」
 「はい。与えられた仕事はきとんとやっていますし、いろんなことに興味を持っています。周りとの相性もよいようです。男子二人は研究者から英語を習い始めました。」
 「ほう。」

 速水は短く言った後、無言で菱見に何かを問いかける。
「あすかちゃんのことですか?」 菱見は、速水船長が聞きたいことを察した。「楽しくやってるみたいですよ。今回は同じ年頃の女の子も男の子もいますから。」
 それを聞いて船長は微笑んだ。

           *

 その年の夏、海洋調査船〈ゆうばり〉に四人の中学生が乗りこんだ。男子は二人、堀内穣次と香川真司。女子も二人、御手園愛(みたぞの・あい)と木埜(きの)あすか。四人のうち、木埜あすか以外の三人は同じ中学から来ている。夏休みを利用した体験学習だ。

 〈ゆうばり〉には船を動かす船員のほかに科学者が大勢いて、大半が海外研究のために海外から来た人たちだった。

 出航後、〈ゆうばり〉は瀬戸内海を西に進み豊後水道を南下、太平洋に出た。このあたりで“ちょっとしたアクシデント”があったがそれを切り抜けて、今は南西諸島の東を南へ進んでいる。

 船上生活になれてくると、女子二人は、昼食後の自由時間を展望デッキや自分たちの部屋で過ごすようになった。女の子同士でしゃべるのは楽しいし──というより必要不可欠なことだし、女性の船員や研究者の話を聞くのも面白かった。

 一方、男子二人は、この機会に苦手な英語をなんとかしようと、毎日、食堂で英語のレッスンを受けることにした。先生は科学者のひとり、ヴィーカスだ。
 ヴィーカスはインド出身の生物学者である。浅黒い肌を持ちずんぐりとした体つきで、りっぱな口ひげがトレードマークだ。

 インドは亜大陸といわれるほど広く、地域ごとに違う言語をもっている。そしてインド全体の共通語はイギリス英語。当然、ヴィーカスもイギリス英語を話せる。その上、彼は日本語を話すことも出来た。ある日、食堂のテーブルで穣次と真司が夏休みの宿題をやっているのを見かけたのがきっかけで、先生役を引き受けることになった。

 「習うより慣れろだよ。」ヴィーカスはふたりに言った。「英語を使う機会をみつけて、どんどん使えば自然にうまくなる。会話はもちろん、作文もいい練習になるよ。」

 日本のほとんどの中学生にとって英語は外国語。そして授業の一科目。だから、二人が英語の勉強を頑張るからといって不思議に思う人はいない、ように思えるのだが、すぐ近くに例外がいた。御手園愛だ。

 「二人とも、どうしてそんなに英語を練習したいんだ?」穣次と真司から英語レッスンの話を聞いたとき、愛はさっぱりわからないという顔をした。「別に今のままでも困らないだろ。」

 訊かれた二人してみれば、さっぱりわからないなんてさっぱりわからなかった。
 穣次は「だって、英語の成績やばいから、このチャンスに英語の力つけたいじゃん。」と答えた。
 真司は英語の成績は良いほうだが、「英語って文法が日本語とひっくり返しでわかりにくいだろ。読むのに苦労するし、たまに話す機会があっても言葉が出てこないよ。どうせなら、すらすら喋れるようになりたいよ。」

 穣次も真司もうまく言葉にすることができなかったが、二人を駆り立てるエネルギーは心の奥底から湧き出ている。
 あこがれ──男子二人は、英語を使い世界で仕事をすることにあこがれていたのだ。

 〈ゆうばり〉に乗船してから作業甲板で、食堂で、そして研究室で、いろいろな国の科学者たちが言葉を交わしながら働いているのを目の当たりにして、カッコイイと思った。そして、彼らが公用語としている英語を自分も使えるようになりたいと思ったのだ。
 今、自分たちは英語を話す人間に囲まれている。このチャンスを逃す手はない!

 どういうわけか愛はそんなことに関心がない様子で、二人に「ふーん、がんばれよ。」と言った。彼女は日本人の父とカナダ人の母を持つ、いわゆるハーフだ。日本生まれの日本育ちで、英語の成績は穣次とどっこいどっこい。しかし、それを気に病んだことはなかった。

 レッスン2日目。穣次と真司は食堂のテーブルでヴィーカスを前に教科書を音読していた。会話パートの自分の役のところを声に出して読む、ロールプレーイングというやつだ。

 「 Which do you like better, apples or oranges? 」
 「 I like apples better. 」

 真司が最後の行を読みひと区切りつくと穣次が肩をつつき、テーブルの向こう側を指差した。
 (なんだ?)
 指さす先にはグプリートがいた。ヴィーカスと同じインド出身の男性で海洋学者。きのうは紅茶を飲みながらレッスンをながめていたのだが、この時は別の方向を見ていた。
 (何をみてるのだろう?)
 視線をたどると別のテーブルで若い女性船員が二人、お茶を飲みながら談笑している。生真面目な香川真司の中にムラムラといたずら心が湧きあがった。

 真司がニマッとし顔を自分に向け、何か言いたげなのを見てヴィーカスが言った。「 Shinji, anything to ask ? シンジ、何か訊きたいことがあるのかい?」
 真司はゆっくりと、でもはっきりと答える。「 I, have, a, question, for, Gupreet.  グプリートに質問があるんだ。」
 「 OK. Ask him.  いいよ。訊いてごらん。」

 自分の名前がでたにもかかわらずグプリートは気づいていない。真司は何をするつもりだろう? 穣次が興味津々で見ていると、真司がグプリートに声をかけた。
 「 Ah, Gupreet !  あー、グプリート!」
 大きな声で呼ばれてグプリートはようやく、こちらを見た。
 「 I have a question. 質問があるんだけど。」
 「 What is it ? なんだい?」

 ここで真司が必殺の一撃を放った。二人の女性船員を交互に指差して、
「 Which girl do you like ?  どっちのコが好き?」

 グプリートは生真面目で、いわゆる固い人間である。色恋の話なんてめったにしない。それが、いきなりこんなことを訊かれて「釣りあげられた魚のような顔」になってしまった。同時にあちこちから笑い声があがり食堂が寄席のようになった。厨房のコックまでもが大笑いしている。

 ヴィーカスは短い言葉で弟子をほめたたえた。「 Shinji, 真司、」拳をひねりながらグイッと出して、「 Nice question! いい質問だ!」

 そのころ愛とあすかは展望デッキでコーラスグループの合唱を聞いていた。今回乗船している研究者のうち、イギリス人男性のチームはみな歌が好きで、仕事の合間によく合唱の練習をしているのだ。

 今日の歌は、歌詞こそ知らないがメロディーは愛もあすかもよく知っていた。
 「あれは『蛍の光』*1じゃないか。」
 「もとはスコットランド民謡なんだって*2。あの人たち、イギリスの古い歌を専門に歌ってるそうよ。」

 そばには若いフランス人女性のフランソワーズがいて、二人と一緒に歌に聴き入っている。
 曲が終わり三人が拍手すると、コーラスグループがちょっと気取ってお辞儀した。

 その中から若い男性が近づいて来てフランソワーズの名を呼んだ。そして彼女に向かって何か話し始めたが早口なので、何を言っているのか愛にもあすかにもわからない。ソプラノという単語が出て来たから音楽の話なのだろう。コーラスグループに入るよう誘っているのかもしれない。
 でも。
 あすかと愛は思わず笑みを浮かべて互いを見た。この男性の目的が全然別のところにあることは明々白々だ。

 フランソワーズは同性の二人が見てもうっとりするような微笑みを浮かべると「 私、シャンソン*3が好きなの。」と言って彼に肩透かしをくわせ(ここは聞き取ることができた)、「アイ、アスカ、お茶を飲みに行きましょう。」と言って歩き出した。
 彼女についていきながら振り返ると、かの男性は苦笑いしながら肩をそびやかしていた。

 陽気な空気で満たされた食堂に、フランソワーズと愛とあすかが入って来た。穣次と真司の近くにはヴィーカスのほかにもうひとり科学者がいて、四人でゆっくり話していた。

 「楽しそうね。二人とも上達した?」
 あすかが声をかけると真司が、
 「きのう始めたばかりだよ。でも、楽しくなってきた。」
 と応えた。ついさっき、大きな手ごたえを感じたところだ。

 穣次は愛に言った。
 「ゾノもやらないか。研究室の人たちと話ができると楽しいぜ。」
 すると愛は不思議そうな顔をした。その理由を知っているのは、この場ではヴィーカスだけ。彼は中学生たちを見てニヤニヤしている。
 「別に英語ができなくても 話はできるぞ。」
 愛がそう言うと、今度は男子たちがきょとんとした。

 え、何を言っているんだ? 海外から来た学者の中で日本語ができるのはヴィーカスだけじゃないか。

 そのときフランソワーズが愛に何か話しかけ、ふたりは元気よく喋り出した。何を言っているのかわからないけど、発音の特徴でわかる。これはフランス語だ!
 穣次と真司はあっけにとられ、ヴィーカスは声をあげてわらった。
 愛が言った。「ママンはカナダでフランス語を話していたからな。我が家ではフランス語と日本語を使っているんだ。」

 それから愛はこちらのテーブルに来ると穣次に笑顔を向けた。
 「でも、せっかく誘ってくれたから私もやってみようかな。英語も出来れば話ができる相手がふえて楽しいからな。」

 こうして英語レッスンはますますにぎやかになったのだった。

(おしまい)

*1 原曲はAuld Lang Syne オールド・ラング・ザイン「過ぎ去りし懐かしき
 昔」、歌詞は Robert Burns(ライトハウス英和辞典、研究社)
*2 スコットランドはイギリスの北部。
*3 chanson フランスの歌曲。


あとがき

 お読みいただき、ありがとうございます。
 『ゆうばり航海記』は私が脚本形式で書いたお話で、第1章から第6章まであります。今回、第4章をnoteに載せるために小説形式に書き改めました。第1章~第3章がなくても背景や人物関係がわかるようにしてあります。

 『ゆうばり航海記』はSFっぽい話で、いろいろ事件がおきます。第4章は唯一、事件も事件の前兆もないパートです。

 6つの章のなかで第4章がいちばん短いのですが(2500字弱)、脚本形式から小説形式への変換は思いのほか大変でした。どうやら、漫画や演劇、ドラマと小説は表現方法が根っこから違う。「当たり前じゃないか!」とおっしゃるかも知れませんが、やってみていろいろ肌で感じることがあったのですよ。それが何であるか書こうとすると脳みそがめちゃめちゃ疲れそうだから書きません。
 脚本形式から小説形式への変換はしんどいからリクエストが来ない限り、もうやらないぞっと。


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