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ケモノで描く必要性について

最近、巷では次々にヒット漫画が生まれている。しかしどの漫画も決まって主人公は人間で獣人が出てきたとしても悪役として倒されるかモブキャラとしてフェードアウトするかのどちらかしか無い。

ケモナーのおいらとしては悲しいものである。
かつて日本には『のらくろ』や『ジャングル大帝』、『アタゴオル』、アニメだと『名探偵ホームズ』などの動物ものの漫画やアニメがたくさんあった。

これらは元気に生きる動物の姿を見ることで明るい気分になれたし再放送された『ホームズ』のハドソン夫人にガチ恋したこともあった。

これらの漫画やアニメにケモノである必要性があるかと言われればあまり無いように思う。しかし動物だからこそ温かな気持ちになる人もいるだろうし人間で描かれた時のえげつなさも少なくなると思う。

昔の漫画やアニメは表現が自由だった。動物で描いていても何の違和感もないし動物で描いてはいけないと明確に決まってはいなかった。

だが昨今の漫画やアニメは違う。メジャー誌やWEBに載る漫画は人間の暗い部分や残酷な部分を描き復讐に燃える主人公やチート能力を使い巨乳のケモミミ娘でハーレムを作るようなものばかりだ。

おいらにはこのような漫画は合わない。もちろんこのような漫画も存在しても良いがおいらは見ているたびに嫌な気分になってしまう。

そして動物の漫画もバトルや暗い話ばかりになっている。『BEASTERS』は暗いがまだ読める。だが『キリングバイツ』などは読む気にはなれない。

また話が逸れるかもしれないがモミジとリンを講評会に来ていた編集者に見せたところ「ケモノである必然性がないしケモノを描くんだったら暗い話にしろ。ほのぼの系なら人間で描け」などと吐かれたのである。

正直おいらは腹が立った。それと同時にもう日本の漫画の自由は見せかけだけの自由でしかないと思った。

フランスの漫画バンドデシネはケモノを自由に描けていて良いと思うし(当然、規制が厳しいからというのもあるだろうが)人間で描かれているものよりも穏やかな気持ちだったり重い気分にならずに見ることができる。

まあバンドデシネでも動物やケモノで描く必要性はないがそれでも描かれているというのは漫画の自由の証だと思った。

無論日本にもケモノ系の漫画の名作は沢山ある。それらの漫画にはケモノである必要性ないものもあるがそれでもおいらは読んでいてとても楽しいし描いている漫画家さんからもケモノが好きなことがよく伝わってくる。

結局必要性なんてなくても楽しければケモノで良いじゃないかというのがおいらの考えである。むしろ必要性云々というのであれば残酷な漫画や復讐に燃える漫画の必要性の方が全くと言っていいほど無いように思う。

最後に、宣伝になってしまうのだがケモノである必要性はないけどおいらのほのぼのとした和風狐漫画『モミジとリン』をよろしくお願いします。

では、また。

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