人の体温やエネルギーを肌で感じられる価値


今回のコロナ騒動で、人と会わなくなったり、会う約束ができなくなってしまっていることが多くなっていますが、それを受けて改めて感じるのは、人の生のエネルギーを肌で感じる ことってやっぱりものすごい大切なことなんだなと。


環境コストやエネルギー消費量的にみれば、人が集まらないことや、移動しないことで多くのエネルギーが使われなくなっていい という見方をする人もいるだろうと思いますが、そのような、現代を生きる人の日常の幸せを極端に否定してしまうような考えは、一部の人はよかったとしても、多くの人の幸せにはつながっていかないような気がするので、人も含めた環境の持続可能性を考える上では少し問題点も多いのではないかと考えます。


何より、上記にあげたように、人の生のエネルギーを肌で感じること は、多くの人にとっても大切なものであるだろうと思うから。


今回のことがきっかけで、リモート飲み会や、リモートライブなどが普及したとしても、生の体験の価値が廃れることはおそらくないであろうと考えます。

(仕事とかはそれとは対照的に、今回のことで一気にリモート化が進むのかな??)


CDは売れなくなったけど、Liveは伸びていたりすることや、各地で毎週のように行われている、どんちゃん騒ぎやイベント毎が絶えないように、人は知らず知らずに生の触れ合いを求めてしまう生き物なのだろうと思います。

同じ霊長類でも、孤独を愛するオランウータンのように生きることは、人には大変難しいことでしょう。


■会話でも音楽でもスポーツでも、人にエネルギーを届けられる人はもうそれだけで尊い


僕はそもそも盛り場があまり得意ではない人種ですが、そんな僕でも、今回のこの騒動から発生した、人の距離感には異様なストレスを感じることがあるので、日常的に盛り場でエネルギーを発散していたり、チャージしていた人たちはもうたまったもんじゃないだろうと思います。


ハグしたり、握手したり、ハイタッチしたり、ダンスしたり、会話したり、人は体温やエネルギーを感じあえるような触れ合いをすることで、明日の活力を得られたり幸福を感じられるのかもしれません。

これから先の未来、色々なものが、リモート技術やAIなどのテクノロジーの力によって置き換えられていくでしょうが、人の生のエネルギーを浴びることで満足感を得られるようなものは、おそらく代替えがきかないものでしょうから、上記でも書きましたが、「これからも廃れることはなかなかないのだろう」 と、今回の騒動を受けて強く思っています。


今は特殊な事態で、そのような価値を世の中や個人に提供してくれる人たちが腐りそうになっていたりもするけれど、多くの人に生のエネルギーを与えることができる人が持っているエネルギーって、もうそれだけで素晴らしい価値があるものだと思うので、今は大変な時でしょうが、そのエネルギーを放出できるその時まで溜めに溜めて、また多くの人に勇気や感動を与えてほしいなーと切に願っております。

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