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ヨハネの手紙第一3章7節ー8節

「惑わされないで」
惑わされないようにとヨハネは告げているのです。なぜなら私たちの周りには、信仰のつまづきとなるものや惑わしとなるものが満ち溢れているからです。あるいは惑わすものは当時以上に格段と増えていると言ってもいいのかもしれません。実際、教会を正しくない方向に導こうとする人々の存在があったことが伺えます。間違った教えの風はいつの時代も吹いてくるものなのです。

特にここでヨハネが問題にしていることは、正しい福音理解から逸れていくときに、正しい生き方からも逸れていってしまう点なのです。極端な者たちが倫理的な事柄を軽視し、罪の問題をあいまいにしてしまうことが起こっているからでした。何を信じているかは、どう生きるかに直結しています。間違ったことを信じるならば、必然的に間違った生き方に至ってしまうものなのです。

それでは正しさとは一体なんなのでしょうか。ヨハネが指し示す正しさの基準はキリストにあります。私たちの義の目標はキリストなのです。私たちに期待されている正しさの目標とは、キリストに現れた正しさです。従って、この正しさを信仰者はみ言葉を通して真剣に 学び続ける必要があるでしょう。そうでないと、私たちの感覚や経験則だけが価値基準になってしまいます。そんなあやふやなことではまずいのです。

ここからずれてしまうならば、どうなってしまうのでしょうか。私たちの生き方は自己目的的になり、自己実現を目指すような生き方へと変質してしまうことでしょう。自分の欲望を満たす生き方へと簡単に変わってしまうのです。相手を傷つけても利用してもなんとも思わない。そういうつまづきに陥ってしまわないように主イエスキリストが私たちのもとに遣わされました。人としてどう生きるのが正しさなのかを明らかにして下さったのです。

ヨハネはこれらのつまづきや惑わしの背後にある霊的現実に鋭い目を向けるのです。罪を行うように仕向ける目には見えない邪悪な悪魔の力が働いていると言うのです。悪魔の手口とはみ言葉に対する疑いを抱かせることです。神は本当にそう言ったのだろうか。あなたの背きはそこまで気にするほどのことだろうか。神はもっと寛容ではないのか。こういう巧妙な囁きに耳を傾けてはいけないのです。誰にも欺かれてはいけません。

しかしキリストは人を罪の状態に留めておこうとする鎖を打ち破るためにおいで下さいました。悪魔は人を罪の支配のうちに繋ぎとめておこうと必死なのです。神から遠ざけようと躍起です。けれども主はその悪魔のわざを終わらせることがお出来になります。どうやってでしょうか。あの十字架の上でです。十字架で罪の代価が支払われたことで、悪魔の敗北は決定したことを感謝したいのです。

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