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ヨハネの手紙第一3章1節ー2節

「神の子どもとされて」
自分が何者かを知ることは大切です。ここでヨハネが伝えようとしているのは、私たちが神の子と呼ばれている事実です。それがどれほど大きい恵みであるかを改めて思い起こさせようとするのです。もちろんこの恵みについては何度も聞いてきたことではありましょう。しかし、その素晴らしさに改めて気づかされてもっと感動を覚え、感謝をしてもいいのではないでしょうか。それは神の愛なしにはあり得ないことだったのですから。

神は私たちをわが子と呼んで下さいます。ただの呼び名ではありません。神の子とはクリスチャンに与えられた特別な立場であり、特権なのです。天地を創造された方が、人を、しもべでも居候でもなく、子どもとして向かい合って下さる恵みがここにあります。ですから父よと祈ることもできます。やがて終わりの時には神の子どもとして迎え入れられて御国を嗣ぐ約束まで与えられているのです。これほどまでの特権に預かっているのです。

ところが私たちが神の子であるという立場は、社会全体に知られているかというと決してそうではありません。隠されていると言ってもいいでしょう。それは神様を信じない限りはわからないことなのだと言われています。私たちのすることは、この神様を証しして、この福音を信じる者は誰でも神の子の立場が与えられる恵みをお伝えしていくことにあると言っていいでしょう。

さらにヨハネは神の子の立場に導き入れられた今から、さらに開かれた将来へと目を向けています。将来、私たちは神の子どもとしてふさわしく新しくされ、成長し、整えられていくのだとのヴィジョンがここでは記されているのです。そのとき私たちがどういう変化をしていくかについては必ずしも明らかではありません。ただひとつわかっているのは私たちはキリストに似た者へと変えられていくことだけは確かなのです。

どのようにしてキリストに似ていくのかと言えば、キリストを知ることによってですとしか言いようがありません。どうやってキリストを知ればいいのでしょうか。それは聖書を通してなのです。人生の様々な場面でみ言葉に向かい合うときに、そこでキリストと出会うのです。み言葉が私たちをキリストのもとへと導いて下さることでしょう。やがて私たちはこの目でキリストとお会いする時がやって来ることを信じているのです。

そう考えるならば、現代の生活とは、キリストに似た者へと変えられていく約束が実現するのを、今か今かと待ち望む歩みだと言ってもいいのではないでしょうか。その日がやって来る備えを今から始めずにはおられなくなるのではないでしょうか。期待が強く確かであればあるほどそうせずにはおれないからです。やがて来る将来に備えて、今をしっかりと歩んでいく私たちとさせていただこうではありませんか。

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