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のぞみ1号

牧師として教会を二つ兼任している。岡山に住んでいながら広島県の福山に礼拝に伺う日曜日が隔週でやって来る。乗る列車はほぼ固定。岡山9時10分発「のぞみ1号」。福山着が9時26分で、10時半から始まる礼拝にちょうど都合がいい。

列車番号から察しがつくかもしれない。この列車は東京発で、しかも東京始発ののぞみだ。東京が6時ちょうど発なので、3時間10分疾走して岡山にたどり着いたことになる。正直に言うと、岡山で乗って、福山で降りる程度の利用なら、列車がどこ始発で、どこが終点か(この列車の場合は博多)など関心が薄くても無理はない。東京から博多まで乗り通す人の割合がどの程度おられるかも不明ですし。

脈絡なく思い出すが、鉄道ファンで知られるくるりというバンドの曲に「のぞみ1号」がある。東日本大震災を契機に生まれた曲らしい。なぜか列車は人生と重ねあわされることの多いシンボルだ。現実にも2011年3月12日。大地震の翌日、東京駅から無事に始発ののぞみ1号が発車した時には、JR職員がほっと胸をなでおろした逸話が残っている。

長い歴史の流れから見るなら、個人の人生など途中乗車と途中下車みたいなものだ。歴史の途中で生を受け、多くの人は歴史が終わる前にこの世を去る。だとしても始点と終点に思いをよせることはあってもいい。宗教の役割のひとつはそこにある。


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