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使徒言行録7章44節ー60節

「神の家」
ステファノの説教が続きます。彼が訴えられた理由はモーセの律法と神殿を冒涜したとされたからです。今までステファノはモーセについて彼の信じるところを述べてきました。ここからは神殿について述べていきます。彼は神殿が建つ前の幕屋について振り返ります。神の命令通りに造られた幕屋は、モーセの時代からダビデの時代に存続しますが、その年数は神殿が造られてからバビロンに破壊されるまでの年数以上に長かった事実を指摘するのです。

携帯可能な幕屋ではあったとしても、そこで神が民と出会うあかしがあるならば、それも立派な教会だったのです。場所もたとえエルサレムではなく荒野にあったとしても、神と出会い、礼拝が捧げられるなら、それは立派な礼拝であり教会でもあるのです。礼拝スタイルとは時代に応じて変化していくこともあります。これこそ絶対と思い込む硬直化は避けないといけません。

従ってステファノは偶像化と言ってもいいような神殿にまつわる迷信を訂正するのです。神殿建造は発案者ダビデが工期を延期しても支障をきたさないことです。実際、工事が延期しても礼拝生活は問題ではなかったのですから。さらには神殿を建てたソロモン王でさえ、主なる神は手で造った宮に住んでいるわけではないと祈っています。神が神殿にお住まいになるという理解は間違った迷信にすぎないことがわかるでしょう。

実際、預言者イザヤも天が神の王座、地が神の足台と申します。新しい時代には神と民は神殿抜きにじかに交わる恵みが与えられるのです。へりくだり神の言葉を重んじる人々が神の家とされます。その時には手で造った宮にしがみつこうとする者は主が呼んでも答えようとせず、主が語ったことを聞こうともしない者となってしまうのです。主イエスが神殿を批判した理由もここにあったのです。

現実にステファノは死の間際、天が開けて神の右に立つ主を見ます。神殿なしに直接神と交わる礼拝が行われているのです。これは神殿にしがみつく者の目に冒涜と映って、石打ちの刑が行われるのです。しかし、その状況でステファノが祈る祈りはまるで主イエス様が十字架の上で祈られた言葉を彷彿とさせるものであった点を覚えたいのです。最後まで敵のためにとりなし、自分の身を神にゆだねようとする態度がわかるのです。

主を信じる者は主のごとくに変えられていく証がここにはあります。現代日本に殉教はないかもしれません。しかし、証は別にいのちを落とさないとできないわけではありません。生涯かけて福音を証する働きは決して虚しく地に落ちることはない約束があるのです。ここでもステファノの死を間近で目撃した青年サウロも回心し、救いへと導かれることを私たちも知っているではありませんか。私たちも神の家として福音を証しようではありませんか。


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