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#225 「目の見えない人は世界をどうみているのか」の2章を読んで「見えない人」という括りは粗すぎると気づいた話

こんにちは!けーたです。

ここ最近は仕事以外のアクティビティを詰め込み過ぎていてインプットを確保する為の時間が捻出できてないのが悩みです。

コントロールできる日々はある意味自分でできる範囲を超えるチャレンジができていない事=相対的な退化であるとマッチョな定義をしてみる。

その前提であれば、自分は自分をプッシュできているので良い状態にいる!と無理やりポジティブに捉えて何とかバランスを取っています。

前置きが長くなりましたが、本日は「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の第2章について読書メモを投稿します。


〇第2章において気づいた学び


・その生き方、感覚の使い方は多様なのです。


・教育とは触る世界から見る世界へ移動させること


・体とは、まだ見ぬさまざまな働きを秘めた多様で柔軟な可能性の塊


〇まとめ

今回の第2章では、自分達が持っている体の機能について、これまでの知見を基に機能は固定的だというアンコンシャスバイアスの存在に気づかされる内容が多くありました。

そして、それは悠久の過去から人間の体の機能が受け継がれてきて、たまたま私たちの世代が「過去に定義づけされた機能」のバトンを今もらっているだけで、バトンの先には機能はどう変わっていくのか予想が難しいという認識ができるよい気付きでした。

昨今AIの成長がすさまじく脳という機能が代替されて何か他のモノに進化していくのでは?と妄想を掻き立てられました。

序章、第1章同様に第2章もこれまでの読書からの学びとは一線を画すような学びの深い内容でしたので、ご興味ある方は是非手にお取りください。

誰かの選書の参考になれば幸いです。

ではでは


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