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作文するときの「遊び手」

なにかに手を伸ばそうとする時にこそ,遊び手が重要になることがあります。もっとも,いつも油断してしまうので「遊び」手なんていわれるのかもしれません。

「遊び手」

辞書で「遊び手」を引くと【遊び好きな人,遊び上手な人】とでてきます。これは「売り手・買い手」と同様に[〜する人]の意味から来ているようです。

実はこの「遊び手」という言葉には「使用していない,空いている方の手」という意味もあります。

辞書では見かけませんが,厚生労働省やトヨタ自動車の資料にも「安全な機械作業」などの文脈で出てくるので,使われているところでは使われている,わかる人にはわかる言葉なのかと思います。



「遊び手」に注意

「空いた方の手」という意味の場合,「遊び手を意識しなさい」とか「遊び手に注意しよう」というように使われます。

手を伸ばして物をとろうとするとき,空いている方の手が「遊び手」です。
無意識に体を支える場合,「遊び手」の置きどころが悪ければ不安定で体のバランスを崩したり,「手」自体が機械に巻き込まれたりしてしまいます。
思いがけない事故につながることがあるので「遊び手」への注意が必要だ,というわけです。


作文においての「遊び手」

私にとってnoteでやっている「思いつき達の言語化」は,けっしてスラスラとできる作業ではありません。家具の隙間に落ちたコインを,無理な姿勢で手探りしながら指先ぎりぎりでつかもうとするようなものです。
私が作文をするときの「遊び手」に当たるものは,読者視点かと思っています。必死に作業をしていると読み手のことをついつい忘れてしまうからです。

読者視点といってもいろいろあります。
文章に限っていうなら言葉の意味や使い所,説明の順序や要不要など,読み手がどう捉えるかの想像と配慮が,それに当たると思います。それらが直接内容の良し悪しに影響するとはいえませんが、「遊び手」の[つきどころ]が悪ければバランスを崩して,「伝える」という作文の目的を叶えられなくなってしまうかもしれません。

作文に限らず,なにかに手を伸ばそうとする時こそ,「遊び手」への意識は大切だと思います。とはいえ実際にはなかなか難しいものです。「遊び手」なんて呼ばれるのも,いつも空いた方の手が「遊びがち」になってしまうからかもしれません。遊ばせすぎないよう(できる限り)心がけていきたいと思います。

最後までお付き合いいただき,ありがとうございます。願わくば事故が起きませんように(笑)

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