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これは【note】ではありません。

タイトルとトップ画で、察した方はさすがです。
このあと、最後まで目を通して答えを確認してみてください。

なにをいってるの?と思った方は、このあと最後まで読んでみてください。答えがわかります。(わからないかもしれません笑)

「これはnoteではありません」

「これ」は「これ」という言葉であって、「note」ではありません。
あるいは、これはwebサイトであり、画面に表示されたドットでともいえます。しかし、ごめんなさい。これはnoteです。(笑)

今日は、僕の大好きな画家と、その絵について解説したいと思います。
有名な画家と作品なので、知っている方も多いのではないかと思います。その絵について、自分なりの解釈や驚きを描いてみようと思います。

そのまえにパンダ

動物のパンダではないものは、「パンダではない」と言葉で表現することができます。では「パンダではない」ものの絵は描くことができるのでしょうか。

例えば「パンダの乗っていないテーブルの絵」を書くことができるかどうか考えてみます。まずそれはどんな絵でしょうか。

テーブルだけの絵を書いたとします。確かにパンダの乗っていないテーブルではありますが、それはただのテーブルの絵です。

ではテーブルの上にコアラを乗せた絵はどうでしょう。確かに、パンダの乗っていないテーブルですが、これではコアラの乗ったテーブルです。

では、パンダの乗ったテーブルを描いて、パンダに大きく「✕」(バツ)を描き込んだらどうでしょう。しかし、これでもやはりバツの描かれたパンダと捉えることができます。

実は、言葉で「パンダの乗っていないテーブル」と表現することができても、絵画で表現するのことはできないのです。

これは一言でいうと、造形的表象と言語的表象の違いです。造形的表象では、類似に基づき、似ていることで代理することができます。パンダの絵は、その類似性からパンダを表すことができます。しかし、パンダを表現できても、パンダではないものを描くことはできません。

一方、「パンダ」という言葉はパンダとは似ていません。しかしパンダという言葉は動物のパンダを表します。そのおかげで、「パンダではないもの」という表現が可能になります。これが言語的表象といいます。ちょっとおもしろくないですか?

つまり、「パンダではない」と言葉で表現することはできても、「パンダではない」絵を描くことはできないんだよ、というお話です。
さて「パンダではない」絵を描くことはできないのでしょうか。(ニヤリ)

ルネ・マグリット

ルネ・マグリット(1898年~1967年) はベルギーのシュールレアリズムの画家です。シュールレアリズムは、文字通り、非現実で空想世界のような絵が特徴です。

解説したいのは、マグリットの【これはりんごではない】という作品です。(「これはりんごではない」とググってみてください)

【これはりんごではない】という作品

1964年に描かれた油彩の作品です。精密に描かれた、葉のついた赤いリンゴの絵が一個、縦長のキャンバス描かれています。その絵の上部には「これはりんごではない」とフランス語で書かれています。

これはどう解釈されているのでしょう

精密なりんごの絵の上に、「りんごではない」の文字。いかに美味しそうなりんごであっても、それは絵の具でしかない。
また、りんごという言葉自体も勝手に誰かが決めた観念に過ぎない。

という人を煙に巻くような解説が一般的です。

なんだか子供の屁理屈みたいですね。マグリットの絵画って、本当にこの程度なんでしょうか。

マグリットの策略

マグリットはもちろん、「りんごではないもの」を描くことができないことは解っていました。しかし、彼は「りんごではないもの」を描こうとします。その答えの1つが、この絵だと思います。

マグリットはまず、「りんごではないもの「ではないもの」」を描いたのではないでしょうか。つまり、(見た目には)りんごの絵です。そこに文字でこう書きます「これはりんごではない」

「これはりんごではない」=「りんごではないもの『ではないもの』」

という、絵の説明が成り立ちます。

つまり、書いてるのは誰が観ても「りんご」なんですが、マグリットは、これは「りんごではないものではないもの」の絵だといっているのではないでしょうか。「ではないものではないもの」という、名前の付けられないものに対して、言語的表象では表現できないことを逆手にとっているわけです。

うはははははは

そろそろ書いているほうも、訳が分からなくなってきました。

マグリットのおもしろさ

マグリットの作品は、見る人の頭を混乱させます。本来同時に存在するはずのない2つのものが、描かれたりします。ありえない・存在しないものを表現する画家ともいえます。

【これはりんごではない】という作品は、「これは絵の具や観念でしかないのだよ!ひっかかったな、がはははは」という安易な意図だけではなく、描けないはずのものを描いてみせた、マグリットの面白い「表現力」があるんじゃないかと思います。芸術的屁理屈かもしれません。
僕はそんな屁理屈がとても好きです。

哲学的にいえば、「描けないも」は存在できません。描けてけてしまえば、描けないことにならないからです。描けたということは、そもそも描けないものではないということになります。

ああもうややこしい。

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