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知らないうちに決まっている「頭の決まり」をほぐしてみた

「頭の決まりの壊し方」(小池龍之介著、2017、小学館)

仏道にからめていろいろなストレスにまつわる話をさわやかに書いてあり、その考え方の健やかさにとてもあこがれます。他の作品もおすすめです。

■こんな人におすすめ

◎自分は考えすぎだと感じる人
◎「こう在るべき」に疲れた人
◎勉強のちょっと息抜をしたい人

■ 1、読もむきっかけ

・小池龍之介さんのさわやかな語り口調と、読み終わったときの健やかさを味わいたくなった

・最近ビジネスや自己啓発系の本をがりがり読んでいたので、文字通り俗世離れされた方の本からは何が得られるか興味が湧いた

といったところ。

■■ 2、内容

こうするのが当たり前という「常識」をとりあげ、別な視点でもって「頭の決まり」を壊していこうという趣旨。お題はこんな感じ「説明すれば誤解は解ける」「議論を戦わせることでよい結果が生まれる」「たくみに自己PRしたり自己プロデュースすることが成功につながる」「社会や政治への無関心はけしからんもっと皆、社会・政治に関心を持つべきだ」など、どれもビジネス、自己啓発書が取り上げそうなことをあげています。これを全部「そうじゃないよ」と壊してしまうわけです。おもしろそうでしょ。

■■■ 3、ちょっと仏教

「自分が考えている」と思っていることは実は考えていないそうです。入ってきた情報に対して反射として感じているだけ。思考はオートマチックに生成されるもので自由がないといいます。仏教的な説明では①情報に接し→②それに応じ快・不快を感じ→③快・不快への反射として感情・思考が生じ→④その思考が癖として定着すると執着となり→①…となるそうです。

別の本で書かれてありましたが、修行によって、暑い日には「暑い」でとめることが出来るようになるといいます。「暑い、涼みたい、何でこんな日に限って外回りなんだ、早く帰りたい、チクショウ」などはすべて自動生成された「思考」というわけです。

他に自転車のエピソード。自転車に鍵をかけないのでたまに盗まれるそうなんですが、執着がないので自転車が盗まれたとき「自転車が盗まれた」と思うだけだそうです。「チクショウ誰がとりやがった!」と「考え」るのが普通です。そもそも「考え」はすぐにうつろうものなので執着すると苦しむそうです。

そうなると無気力・無感情になるのではと考えられますが、五官からの入力データに心が反応せずスルーしていくことで、瞬間瞬間の感覚は研ぎ澄まされるそうです。これもやはり「怒り」や「業」についても一緒に他の本に書かれて在り、心がけています(…ちょっと忘れてました)。この辺の話も機会があれば実体験と合わせてアウトプットしてきたいです。

■■■■ 4、正反対と中庸

ちょうど読んでいたビジネス啓発系の本で「自己アピールは大事」と書かれており、この本では「たくみに自己PRしたり自己プロデュースすることが成功につながる」とは一概には言えない、と書いてあって面白かったです。

仏教用語ですが、「極端にならない中間くらい」という意味の「中庸」という言葉があります。「こうあるべき」ではなく「それもありっちゃありだよね」くらいの意識でいいのではないでしょうか。そもそも「こうこう行動するべき」というのはただのアクションであって、そこには意思も方向性もないように感じます。パブリックスピーキングにたとえるなら、「美声と高度なトークスキルで話される」「場にそぐわないくだらない内容」といった感じでしょうか。むしろ高等テクニックが駆使されているだけに、疑惑や反感をもたれてしまうかもしれません。肝心なのは「心の在り様」や「方向性」ではないでしょうか。

まあ、おもしろいんで私はビジネス自己啓発本も仏教の本も、どんどん読んでいこうと思っています。


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