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お金は必要

もちろん誰もいらないなんて言ってない。

結局の所
お金を何に使うのか?って話なんじゃないかと思う。

欲しい物を買いたいのなら、欲しい物がなくならない限りお金は必要になる。企業やブランドは、人間の欲を刺激する技を長年かけて培っている。学校教育を受けただけのなんの経験も知識もない一個人が、彼らの戦略にのせられずにいることは難しい。幸せをお金でどうにかしたいという潜在欲求にも抗うことは難しい。

幸せをお金で買う
わからなくもないけど、じゃあ幸せってなに?という話になる。今の日本で、健康な心身を維持するだけならかなり少ないお金で実現させられるはず。でもおそらく、多くの人にとってはそういうことじゃない。

極端だけど、健康な心身を維持する暮らしもままならない人もいる。これを読んでいる人の中にはそういう人はいないと思う。でもやっぱりそういうことじゃなくて、「幸せはお金でなんとかできるんじゃないか」という幻想がゆらめいて見える気がする。

お金の使いみち
結局、みんなお金の使いみちがわからいのかもしれない。

戦後の食べ物も思うように入らなかった時代は、つい最近のこと。当時子供だった人はまだ普通に生きている。お金を稼いで食べ物を買う、家を買う、家電を買う、車を買う。生活が便利になっていくことにお金を使っていた。同時にそれは、暮らしが便利になり生きることに余裕を生み出した。これも、ひとつの幸せのカタチといえる。今以上に便利な生活ってなんだろう。

なんのために
このお金はなんのためにつかっているのか。

なんだか、使っているより「使わされている」ものが多いのじゃないか。流行のファッションアイテムは、年月とお金と時間をかけて練られたブランド戦略だ。欲しいと思うのは誰にも影響されていない個人の意志だろうか(ダメとはいっていません)ポテチは体に益はない。しかし、メンタルにこれこれこういう好影響がある。そのために、自分で選んでお金を払って手に入れている。そんなことを考えて買う人はいない。食べ物が簡単に得られるおかげで、生活習慣病に悩む人が増えている。不健康にお金をつかわされているというと、言い過ぎなのか。

不幸感の原因
「お金を使わされる>お金を使う」という状態が、多くの人の抱えている漠然とした不幸感の原因だと思う。おかげで経済がまわっているのは事実だが、個人としては不幸のままで良いはずがない。お金を使う目的を失っていることこそが問題なのだと思う。

僕は「使いたいものに使えるだけのお金」が欲しい。さて、今日はなんのために有り金を使おうか。
(つかえるほどもってないけど)


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