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元西武・綱島龍生選手のこと

12月18日、ベルーナドームで行われた「PERSOL THE LAST GAME」に行った。
イベントの概要は以下のリンク先に記載されている。

僕が見に行った理由はただひとつ。
高校、プロと取材してきた元西武・綱島龍生選手のプレーを「見届ける」ため。ずっと取材してきた者として「行かなければならない」という義務感に駆られた。
綱島選手はEAST DREAMSの7番・セカンドで出場(途中からサード)。

綱島選手(新潟県糸魚川市出身)と球審・山崎夏生さん(新潟県上越市出身)

ベルーナドームといえばデーゲーム時特有の、ドームの隙間から差し込む光が大きな特徴。ちょうどバッターボックス付近にその光が来たのが、綱島選手の第2打席だった。
彼のプレーを見ながら、色々と思い出してしまった。

第一印象は「1年生なのにハイネックのアンダーシャツを着ている子」

(以下、呼称は「綱島選手」から「綱島くん」へ)
僕は毎年夏前に新潟県内で発売されている高校野球雑誌「新潟高校野球展望号」の仕事で、綱島くんの母校である糸魚川白嶺高校を取材し続けている。2015年の5月下旬、学校から少し離れた、高台の途中に位置する糸魚川白嶺のグラウンドを訪れた。当時の糸魚川白嶺は2、3年生が5人で前年秋は他の高校と合同チームを組んでいた。そこに15人の1年生が入部。グラウンドを見ていると2人の1年生に惹かれた。まず目を引いたのはピッチャーの穂苅海斗くん。がっちりした体でピッチャー特有の強気な雰囲気に、喜怒哀楽をストレートに表現する。「あぁ、ピッチャーだな」と感じた。
そして穂苅くんと対極で淡々と静かにプレーしていたのが綱島くん。当時はチーム事情でキャッチャーで、入学したばかりの春季大会では3番打者だった。1年生でハイネックの半袖アンダーシャツを着ていて、「強豪校なら『生意気だ』と許されないだろうなぁ」と思ってしまった。この年に赴任してきた監督の丸山先生とも意気投合し、1年生の加入で活気づくチームを見て「2年後、すごく楽しみだな」という印象だった。
翌年、取材で訪れたら綱島くんは練習試合でショートを守っていた。強肩を生かしてのコンバートだったが後年、「キャッチャーじゃなくてショートをやらせてください」と丸山先生に直訴していたと知る。このコンバートがプロ入りする一つの転機になったと思っている。

高校2年、ショートにコンバート

プロのスカウトが注目する選手に

2017年の春先、綱島くんがプロのスカウトからマークされているという情報を耳にする。「良い選手とは思っていたけれど、まさかプロがマークしているとは」というのが率直な感想だった。
5月の新潟県春季大会・4回戦の日本文理戦の試合前、丸山先生に球場内で会った際に詳細を聞いた。話によれば西武のスカウト・鈴木敬洋さんが足繁く通い、ドラフトでは下位か育成で狙っている、と。
詳細は以前「パ・リーグインサイト」でも書いた。

この春の日本文理戦、チームにとっては大きな試合だった。
1年生から試合経験を積み、前年秋は県ベスト16。上位進出を狙えるチームに成長した。対する日本文理は新潟を代表する強豪。県トップレベルにどんな試合をするのかが楽しみだった。
今でも忘れられないシーンがある。
7回まで0対0となった試合は8回表に文理が1点を先制。一方、糸魚川白嶺は9回裏にチャンスを作り、打席には綱島くん。果敢に初球を打ちに行ったが結果はサードフライ。ベンチへ戻る際、普段滅多に表情を変えない綱島くんが、一瞬だけ渋い表情を見せた。後で綱島くんに取材した際、この場面を「悔しい」と言っていたし、プロ入り後の選手名鑑でも「印象に残る場面」の項目でこの事を挙げていた。
3年夏は3回戦で柏崎工に延長戦で敗れた。このとき、僕は4回戦で中越と対戦することを期待して他の球場で取材していた。試合結果を聞き「何で行かなかったのか・・・」と後悔したのを覚えている。そして、秋のドラフト会議は西武が6位指名。ちょうどこの日は国士舘大・椎野新投手(現ソフトバンク)の会見に行っていたため立ち会えなかったが、終わってから丸山先生に「おめでとうございます!」と電話を入れた。

プロ4年目で一軍昇格

プロ入り後はなかなかイースタンの試合に行くことはできなかったが、試合結果は欠かさずチェックしていた。1年目のシーズン終了後、秋季練習の際に取材で会った際、体つきが高校時代と大きく変わったのを強く感じた(特に背中周り)。その際の記事が下のリンク先のものだ。

練習中は松井稼頭央二軍監督(当時・現監督)マンツーマンで指導を受け、話す言葉の節々に「もっとうまくなりたい」という意志と充実ぶりを感じた。
プロ2年目、別件の取材で西武の二軍施設を訪れた。室内練習場の練習風景も見え、ティー打撃を行う綱島くんの姿もあった。確か30分以上、ぶっ通しで打ち続けていただろうか。高校時代とは見違えるほどバッティングに力強さが増し、「このまま着々とステップアップして、一軍昇格できれば・・・」と期待せずにはいられなかった。
そしてプロ4年目の昨年、開幕直後に外崎選手がケガで戦線離脱。綱島くんはイースタンで好調だったため、「ひょっとしたら・・・」と丸山先生に「一軍昇格、あるんじゃないですか」とメールをした。翌日、丸山先生から着信。折り返すと「本人から報告ありました」との事。4月6日、ホームでの楽天戦で守備から出場し9回には初打席と一軍デビューを飾る。「ついにスタートラインに・・・」という心境だった。

https://www.facebook.com/watch/?extid=SEO----&v=447600269649491

一軍の舞台で初めて守備についた #綱島龍生 選手!落ち着いてゴロを捌くとベンチ前でキャプテン #源田壮亮 選手とグラブタッチ! #埼玉西武ライオンズ #seibulions ーーーーー ▼FC会員来場特典全選手ピンバッチのデザインを大公開!今年は選手のポジションでデザインが変わる! https://www.seibulions.jp/news/detail/00004281.html

Posted by 埼玉西武ライオンズ on Tuesday, April 6, 2021

一度は二軍に降格するが、5月中旬には再昇格。この間、4月中旬には「新潟高校野球展望号」の企画としてリモートで取材した。元々、一軍昇格前にインタビュー企画として提案していたが、ちょうど一軍昇格と重なる良いタイミングだった。「勝負の年」と掲げていただけに、その強い意気込みを感じた。


シーズン途中、腰のケガもあり一軍は7試合出場に終わった。「来年は一軍定着を」と思っていた矢先、戦力外通告の発表。高卒選手は4年目までは戦力外は無いだろうと思い込んでいたが、そうではなかったと気付く。後日、育成選手の打診もあったが、それを断り引退したと知る。よくよく考えれば、高校時代の性格から考えると妙に納得する自分がいた。

現役引退後、それから

今年5月末、糸魚川白嶺野球部の取材でグラウンドに行くと、地元に戻っていた綱島くんの姿があった。声を掛けると「お久しぶりです!」と元気に返してくれた。練習試合を見ながら、入れ替わりで入団した同じ新潟出身の滝澤夏央選手のこと、プロ野球生活でのことなどを話した。途中、「こうして試合を見ているとアマチュア指導資格取りたくなりますね」と言っていたことを思い出す。地元に戻ってしばらく充電した後、どうするんだろうなとずっと気になっていた。
「THE LAST GAME」の試合後、スタンドで綱島くんのご家族にお会いする。会うのは今回が初めてで、ようやくご挨拶ができた。綱島くんが野球を始めるきっかけとなったおじいちゃんにも会い、以前から聞いていた社会人野球時代の話の真相を聞けたのも大きな収穫だった。
12月21日、球団からライオンズアカデミーのコーチ就任が発表された。

「THE LAST・・・」の際にお母さんからその話を聞いた。
形は変われど、球団の野球振興活動に携わる。アカデミーでコーチをしている先輩から声を掛けられたとの事だけど、それも彼の人徳や人柄なのかなと感じてしまう。
新たなスタートにエールを送ると同時に、またいつか何らかの形で彼を取材したいと考えている。

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