FINAL FANTASY15を語る

【日記】首領の日常#114

2020/03/15(日)

ファイナルファンタジーに私が求めるものは多い。

私は4,5,6が好きな人間なのだが、どんどん変化していくFFに憤りを感じずにはいられない人間だ。

FF13をプレイしたときも衝撃だった。
確か13章構成だったが、8章まで体験版だろうかと思うようなゲームプレイ、ラスボスについたときはパーティ今まででいうLv100の状態で挑んだが敗戦の連続。
アクションゲームに近いアクティブバトルはもはや休憩の暇を与えておらず、バイオで毒にさせケアル連打で勝てるとは思わなかった。
しかし、プラチナトロフィーを入手したころには、戦闘のバランスの高さに驚かされた。ものすごく精密に計算しつくされた戦闘バランスは、成長を感じさせないというのを痛感させられた。通りで最後の章に至るまで体験版をやっているような錯覚を覚えたわけだ。

と13の時点でゲームを作る上でやってはいけないことが学べある意味良作であったのだが、15はそれを超える曲者であった

ストーリー、戦闘、街並み、また細部に至るすべてが苦痛であり酷い。

文句を言うからには細部までやりこんでからと思うところがあるがこれほど苦痛なのは初めてだ。

制作側の苦労がにじみ出ている。その情景が目に浮かぶようなのだ。
上からの幾度となく変更される経営方針、何度も変更される仕様、技術力を持った精鋭たちが自身を殺してただ言われただけに動く

一度、戦闘システムが変わりファンからの署名活動があったとしても、どうしようもできない現場
立ち上がろうものなら潰される現状。

老人を保護する立場の人間が老人を置き去りにした事件があったが、その職員たちの一人が、まずいことは気が付くことが出来たはずだが出来なかった。と言う感じのセリフがあった。

俗にゆうパペットだ。
操られるだけで自身の感情が介入することが出来ない。

絞り出すようにかすれた声が聞こえてくるようだ。

はじめてFINAL FANTASYをプレイする方と全てのファンの為に

起動時に浮かぶこの一言がそれを物語る。

もし私の勘違いだとすれば、、、
消費者をなめていると言わざる負えない。

さて、もう一度FF15 と向き合ってくるとしよう。

声を上げられぬもの達の声を聴き自身がなすべきことは何かを考える。

そう思う今日この頃である。

以上。


感謝!感激!全私が喜びます。 ”世界に誇れる日本のゲーム”を作れる漢を目指して、 日々精進いたします!