俺たちは誤解の平原に立っていた
ふと気がつくと、俺たちはある平原に立っていた。
北風が吹くその平原で、目に入ってきたのは、一人の老人だった。
その老人はゆっくりと北に向かって歩いていた。老人の靴の裏には、大きな重力がかかっているかのように、その一歩は重々しく、ゆっくりだ。
そこに青いコートを着た男がやってきて、その老人に声をかけた。
「幸せの街へ行きたいなら、あの山道を通った方がいい。道は険しく危険だけど、あの道でしか到着できない。もうたくさんの人が行ったから、間違いのない道です。大変かもしれないが、頑張って下さい。」
老人はその言葉をじっくりと聞いて、軽く頷いてから、感謝の言葉を簡単に述べ、またゆっくりと歩みを進めた。
しばらくすると、今度はニヤケ顔の赤いコートの男が老人の元にやってきた。
「どこに行くの?幸せの街?ははは。無理無理。そんなのやめた方がいいよ。どうせ着かないよ。この先に私の家があるから、そこでのんびりしなさいよ。何も辛い思いをしないですむし、毎日楽しいことばかりですよ。青いコートの男は嘘ばっかつくんだよ。」
老人はしばらく考えたが、赤いコートの男の顔をじっと見て。その後に軽くうなずくと、その男の家へと歩みを進めて行った。
ここが誤解の平原とは知らずに。
今、医療情報があふれています。テレビ、書籍、雑誌、ブログ、Twitter、Instagram、Youtube。膨大な数の医療情報が、様々な媒体で発信されています。そこから発せられる情報は、燃え盛る炎のように、あっという間に人を呑み込んでいきます。とても参考になる正確な情報もありますが、中には人を危険な目にあわせる情報もあります。
かつて、私は脳神経外科医として、悪性脳腫瘍(脳にできるがん)の患者さんと向き合ってきました。そしてその後は、がん研究者として、この病気にずっと向き合い続けています。
私は医師時代から「誤解の平原」があることを知っていました。しかし、そこがどんなにひどいものかは、病院の中のことしか知らない私は、ほとんど知りませんでした。それがSNSを積極的に使うようになって、他の患者さんから色々と伺ううちに、いかにひどい状況かを知りました。
「抗がん剤は毒だ。アメリカでは使われていない。抗がん剤は絶対にやってはいけない」
「手術なんか受けたら免疫力が下がって、がんが一気に進行してしまう。医師と製薬会社の利権になんかのってはいけない」
「糖分はがんの餌だ。絶対に甘いものなんて食べてはいけない。」
私は「誤解の平原」で、苦しむ患者さんをみて、悲しみ、悩んできました。患者さんは必死で治りたいと思っている。我々も治したいと思っている。良い治療もある。だけど、お互いの歯車はきれいには噛み合わず。ガタガタと激しい異音を発しながら、ずれていってしまう。
私は気がついたら、「誤解の平原」で叫び続けていました。「それは間違っている。何でわかってもらえないんだ」と。
「誤解の平原」はどんどん大きくなっています。昨年、新型コロナウイルスの拡大に伴い、かつてないほどの医療情報の波が世界を呑みこんでいます。そして、誤解は大きなうねりとなって、医療全体を呑みこもうとしています。
今回、私は「誤解の平原」に一緒にたたずむヤンデル先生と一緒に、往復書簡マガジンをすることにしました。
今だからこそ、話しておかないといけないと思うことがいっぱいあるからです。
「誤解の平原」の中で、医療者や研究者はどう医療情報発信をしていくべきなのか? 誤解を減らすには何が必要なのか? 受け取る側の人たちはどうやって正確な情報を見つければ良いのか?
一生懸命に二人で考えてみようと思います。
「誤解の平原」を歩む人の道しるべとなるものを探して。