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『葬送のフリーレン』は人生の質を高めるヒントをくれる


人生を豊かにする時間感覚をエルフから学ぶ

『葬送のフリーレン』が面白いです。
アニメ・漫画は好きで結構見ますが、これまでにありそうでなかった雰囲気の物語で、ファンタージーが苦手な方でも、人間物語が主軸となっているので楽しめると思います。
身近な友人に勧めてみたのですが、どうやら合う人と合わない人もいるようで、、全員に必ず響くわけでは無いようなのですが、この物語の面白さを少しでも伝えられればと思いこれを書くことにしました。

簡単なあらすじを話します。


よくあるラスボスを倒しに行くストーリーではありません。
ファンタジーの世界が舞台になっていて、長い間人類を恐怖に陥れていた魔王を、勇者のパーティが倒し、それから確か30年か50年くらいたったころから物語がスタートします。

この時点でちょっと変わったスタートで、よくある王道の冒険者のストーリのその後の世界を描いています。

勇者、魔法使い二人、前衛の4人のパーティーで、その中にエルフが一人いるのですが、それが主人公フリーレンです。
私も知らなかったのですが、エルフはとても寿命が長く1000年くらいは生きている設定のようです。(長さはもうちょっと長かったかもしれません。)エルフからすると人間の一生はほんの一瞬に感じられるぐらい、エルフの寿命は長い設定です。

そんなエルフが『勇者一行と過ごした10年』という期間を大切に考えているシーンがところどころで出てくる物語です。そこが特にオススメしたい私が好きなところです。

葬送のフリーレンは、『人生の時間感覚』を変化させる装置として楽しむべきです。

主人公フリーレンの寿命はとても長く、『たった50年じゃないか』というような人間離れしたセリフもところどころに出てきます。(たった50年なんて普段思わないですよね?)
こんなセリフを何回も聞いていると、自分の中の感覚が狂ってきて、後で書きますが自分の人生についても新たな気づきを得ることができます。

物語の最初は、フリーレンが久しぶりにかつての仲間に会いに行きます。
魔王を倒して50年近く経っているので、当然他のみんな老いぼれています。

そんな姿をみて、いつまでも若々しいエルフのフリーレンは


『人間ってすぐ死んじゃうんだよね』


という態度で、仲間をからかいながら久しぶりの再開を果たします。

この最初の再開のシーンで、私は結構泣きそうになりました。

パーティーのみんなは確かに老いぼれていて、もう戦うことは当然できない、それに対しフリーレンはいつまでの若々しいし、まだ死なない。
こうしてみると人間はとてももろく、損だというように見ることもできますが、フリーレンの仲間で誰一人老いを後悔したり、嘆いたりする人はいませんでした。

全員、フリーレントともに過ごした10年間の時間を大切にし、その過ぎ去った時間を今も手元にある態度で過ごしています。私はそういう過去に楽しいことがあると『また戻りたいな』というふうに未練を残すような気持ちなりますが、それとは違いその時間があったから今があるという信念を感じます。

勇者ヒンメルのもとをフリーレンが訪ねます。フリーレンは以前ヒンメルに預けたもの(本人は対して価値のあるものと思っていないもの)を取りに行くのが目的でした。
ヒンメルと再開し、その預けていたものをフリーレンに返すときに


『これの事はひとときも忘れたことは無かった、大切な仲間から預かったものだから』


という言葉とともに返します。
このシーンが私は一番好きで、今も書きながら泣きそうになってしまうのですが笑、このパーティーの絆を感じます。きっとまたいつかフリーレンが取りに来る日のことを思いながら、それと同時に、ともに過ごした時間を思い出し味わっていたのではないかと想像します。

葬送のフリーレンを読むと過ぎ去った時間と残された時間について、深く味わい感謝する気持ちになります。こういった体験を日常ですることもできますが、なかなかきっかけもないと難しく、これを漫画やアニメを通して体験できることは大変価値のあることだと考えています。

目の前の当たり前を大切にして幸せになる方法

フリーレンは冒険中によく勇者一行との旅の出来事を振り返ります。その振り返り方が特徴的で、あの頃は良かったなというものではなく、あの時があるから今のこの考え方・習慣があるという考え方をします。
私は、過去を振り返ある時は、どちらかというと後悔が多いような気がしました。こうだったら良かったのに、こうしておけば今が変わったのではないか、、というように、今を否定してしまいます。

もちろん振り返りは大事ですし、全部だめだというつもりはありませんが、過去を肯定的に、未来に距離をおいて見るという気持ちを思い出しました。

私がこの事で思ったのは、やはり人間は油断すると身近にあるのものをこれからも一生続くものと錯覚してしまうのだと思いました。
例えば、身近な人が病気になって入院してしまったり、他にも、仲の良かった人もいろんな都合でしばらく会えなくなったりすると、失ったら寂しいのだなとそのときになってはじめて思い出します。

正直、【新しい出会いやイベントと】、【大切な人と過ごす当たり前の日常】を比べると、残念ながら前者の方が魅力的に見えます。まだ未知の部分もあり、新しい刺激が入ってくるからです。仲の良い人は、仲が良いだけあって、相当注意しないと魅力を見つけられないという難しさがあります。

もう一つ、フリーレンの面白さを語る上で大事になってくるのは『人間ってすぐ死んじゃう』というフリーレンの感覚です。
フリーレンはは50年に一度の流星群を見た時も、また次の流星群の頃に来るよと、来週行くよ、ぐらいの感覚で話します。それぐらい人間の感じる時間感覚とかけ離れています。
50年を一瞬と感じることは、たぶん人生で経験できないことです。げんに初回の体験すらできていません。不思議なもので、一年後以上は無限と感じている気がします。

将来への不安を取り払うためのちょっとしたこと

このきっかけもあって、ふと自分の寿命について考えたことがありました。私の父の寿命と同じ歳で死ぬとすると、びっくりするぐらい短いことに驚きました。
無限に感じていた空間が、一気に満員電車になってしまった感覚です。この時に思ったのは、


やりたいことはたぶん全部やれない、

というか、そもそもやりたいと思った事を全部やれるわけではないので、優先順位をつける必要性を強く感じました。また、人生が思っているより短いとなると、この考え方自体を変える必要性を感じました。

人生は長いと考えていた自分は、将来これをやりたいなと思うものの、時間はたくさんあると考えているので【将来やろう】と【今に無関心】でした。

それに対して、人生は短いと考えた私は、【時間はあとわずかしかない】から【今を大事にしないといけない】という考え方に変わりました。


『人間の寿命は短いと知っていたのに、なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう』

これはフリーレンのセリフです。

フリーレンの感覚では短いと感じていた勇者一行と過ごした10年間が、とても大切な時間だったのではないかと気づくシーンのセリフです。

寿命は短く時間は限られていると考えると、パートナーとの向き合い方、家族との向き合い方、友人との時間、やりたいこと、不安なこと、それぞれの感じ方、見え方が変わりました。無限にやれると感じていたことが、限りあるものとなったので、何を大切にするかを決めることが重要になりました。

大きな変化は、これまで当たり前になりいつも間にか無関心になってしまっていた本当に大切なものを思い出せたことです。

自分の周りには思っている以上に大切なものがあります。悲しいことに忘れてしますが、時間が有限であると気づくことで、思い出すことができます。

私は過去を悔やんだり、未来を不安に思うことが多いです。しかし、これは無意味です。少なくとも私にとってはバランスが悪いです。
私の時間は有限なのに、いったい人生の何割をコントロールできない過去と未来のことを考えることに費やすのでしょうか。

唯一コントロールできる【今】という時間をつかって、コントロールできない【過去と未来】に時間を使うなんて浪費です。当然振り返りや計画といった必要な時間もありますが、必要以上にかけるのは無駄ということです。

もっと今という時間にフォーカスして、自分の人生のバランスを整えていきたいと思っています。

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