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炎 ― 小説工作機械メーカー │ Y工業大学編 第1章「1億のタネ」⑥

「多分機械の大きさは大して変わらないと思うんです。ただK社の機械の方がチップコンベアが短い。」
    そう言いながら僕は再度KHTのカタログをバッグから取り出した。
    チップコンベアとは、ワークを削った後の切りクズ(切粉と呼ぶ)を機外に排出するための装置で、NC旋盤であれば機械の右側に付くことが多い。排出された切粉は、チップバケットと呼ばれる専用の巨大な容器に堆積し、いっぱいになったら屑鉄業者に引き取りの依頼を掛ける。チップコンベアは機械の横幅を長くする大きな要因のひとつだ。
「やっぱりな。」
    現在僕たちがPRしているKHT-8000のチップコンベア込みの横幅は3651mm。K社の既設機より137mm長い。これが商談で命取りになることが往々にしてある。なにせ日本の工場は小さく、限られたスペースに目いっぱい機械を押し込んで仕事をしている。それはY工業大学も例外ではなく、NC旋盤エリアでは10台の機械が南北両側の壁に沿って中央の通路を挟み左右5台ずつ、すし詰めで並んでいる。横幅が今より137mm長い機械が左右対称に並ぶということは、通路が274mm狭くなるか、もしくは長くなる分機械を壁側に寄せなければならないことを意味する。
「仁川さん、そっちの壁側ってスペースあります?」
    仁川さんに訊きながら、自らも北側の機械の壁側に回り込んだ。
「900だな。」
「900ですか。」
    実際にメジャーで測ってみたら、機械と壁との距離は889mmだった。
「そっちはどうなの?」
    南側の機械と壁との距離も測ってみると、こちらは903mmだった。
「結構厳しいですね。」
    そう言いながら僕は機械と壁との距離をメモ帳に記入した。
「池尻先生に相談するか。こういうのは早めに言っといた方がいいんじゃないか。」
「そうですね。これは重要事項です。」

「池尻先生!ちょっとよろしいですか。」
    仁川さんは池尻教授に声をかけた。
「どうかされましたか?」
「いやー、K社さんの機械、結構小さいですな。さっきお話したKHTはこれより少し横幅が長いみたいなんですわ。」
    仁川さんが先陣を切ってくれた。
「130mmちょっと、KHTの方が長いですね。」
「なるほど。では壁側にまだ余裕があると思いますから、少し詰めて置きましょうか。」
「それがですね、弊社は機械周囲にメンテナンスエリアとして大体1m、最低でも800mm程度のスペースを空けて頂くことを推奨しています。 サービスマンが機械の修理に伺った際に作業ができるスペースを確保するためです。いま両側の機械は壁から900mmくらいしか空いていません。」
    僕は課題を正直に伝えた。この手の課題が後から出てきた時のユーザーの落胆と怒りほど、手が付けられないものはない。
「なるほど。」
「新しい機械を通路を侵食しないよう壁側に目いっぱい寄せますと、大体750から780mmくらいになります。」
「随分壁側が狭くなってしまうということですね。」
「そうなんです。私の方で会社に戻りましたら、サービスマンにこのスペースでも作業できるかは聞きますが、無理な場合もあります。その場合、通路が少し狭くなっても問題ないですか?」
「まあ、50mmとかなら問題ないと思いますが・・・。200mmや300mmとなりますと、考えものですね。」
    実質、NOということだ。それもそのはずで、通路幅は見た感じ1.7mくらいしかない。これが1.5mになったら確かに困るはずだ。
「まあ高杉さん、一回サービスマンに訊いてみてくださいよ。」
    仁川さんが良きタイミングで会話を断ち切ってくれた。メーカー不利な話題はなるべくさらっとお茶を濁したい。工作機械に限らないが、メーカーが商社と同行でユーザー訪問するメリットは、このようなさりげないヘルプにある。

「ありがとうございました。ゆっくり拝見できました。」
    その後も何点か確認事項を見て、今回の訪問の目的は全て果たすことができた。
「ニモさんに来て頂けてよかったですよ。入札の時期の件も、早めに知れてよかったです。」
「今日の内容を含めて、後日御見積をお出ししますので、またご確認ください。」
    僕と仁川さんは池尻教授に訪問の感謝を告げ、E棟を後にし、駐車場へ向かった。

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