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人を死に至らしめるものを売るという仕事

「機械ってのはな、売らなきゃいけないんだよ、俺たちは。社長が青い顔していようが、社長の奥さんが泣き喚こうが、そんなことは関係ないんだ。」

新卒で工作機械メーカーに入社してすぐ、新入社員と営業本部の上役との宴会が催された。場を仕切るのは営業部長。営業のピラミッドの頂点だ。十分に酒が回った彼は、瞳を輝かせる俺たち新人の前で唐突に冒頭の台詞を放ったあと、あるエピソードを開陳し始めた。

25年以上前、部長がまだヒラの営業マンだった頃、ある零細の町工場で引合が発生した。しかしどうやら、社長が独りで突っ走って商談をしているようだったという。経理担当の奥さんは会社の懐事情を見て、とても2000万超の設備投資に耐える体力は無いと判断している。奥さんは購入に断固反対だった。一方で社長にとってはどうしても機械が必要だった。新しい機械で新しい仕事を取って、借金を返済して儲かる未来が見えていた。若かりし日の部長は、その社長の輝かしいビジョンに乗っかって、ガンガンPRをかけた。どうして機械を買えば儲かるのか、手を変え品を変えあれやこれや説明し続けた。

幾度の訪問を重ね、社長と仕様・金額・納期が折り合い、遂に注文書に判を捺す段になった。部長が注文書を社長に差し出す。
「ねえあんた、本当にやめて、お願い。」
隣に座る奥さんが社長に懇願した。目は既に潤んでいる。
「社長。」
部長はそれを黙殺し、一言社長に促した。
「分かってる。これで親会社から仕事、貰うんだ。もう話は付いてる。」
部長に言ったのか、自分に言い聞かせたのか、とにかく社長は注文書に社判を捺した。
それを見てその場で泣き崩れる奥さん。その慟哭は数分間も続いたという。真っ青になって僅かに俯く社長と、苦虫を噛み潰したような顔で全身から冷や汗を流す、工作機械メーカーの若手営業マン。
「うちが一家で首吊ることになったら、こんな高い機械売りつけたあんたのせいだから。」
最後に奥さんは、ぞっとするような低い声で部長を静かに罵倒した。
部長は何とも口を利けず、一言だけ発注の礼を告げ、事務所を後にした。

「危なかった、奥さんのせいで発注が延期になるかと思った。今月この案件しかないから落とすと不味かったからな。」
営業車に乗り込んでしばらく走らせた部長の頭に最初によぎった思考はそれだった。
部長は生粋のセールスジャンキーだった。注文書に判がつかれたときの、身体中の血管をアドレナリンが満たすような幸福感がたまらなく好きなのだ。
部長は若手だった当時も、部長になってからも、この一件をなんとも思っていない。武勇伝として酒の席で自慢するくらいの話だ。部長からすれば、儲かる理由、買った方が良い理由を縷々説明したのだから、それに納得できないなら買わなければ良いし、否定するならただの感情論にすぎないのだ。
機械は買うも買わぬも買い手の責任。生かすも殺すも買い手の責任。この思想が髪の毛一本一本にまで浸透している。

手術中のお医者さんの中には、患者さんが人間であることを忘れるようにする人がいるらしい。人間を切っていると思うと怖くてとても手が動かないから。
部長にとってのユーザーは、外科医にとっての患者のような存在なのだろうか。
でもお医者さんは本質的には人間を助けるために、人間が人間であると意識しないようにしている。
部長は、その機械が目の前の人間を死に追いやりうると分かりながら、それを受注を邪魔するノイズとして無視しているのか。

機械を生かすも殺すも買い手の責任。
工作機械営業を生業とする戦士としては理想的なマインドセットだ。受注までの最短距離を突き進むことができるのは、こういう種類の人間だ。実際にこの金言は真実で、営業は本質的には買って儲かるビジョン(それが嘘が本当かどうかは別として)の説明までしかできない。それに魅了されて機械を買っても、その時営業はその機械を代わりに操作してくれるわけではない。儲かりだすまで隣に居てくれるわけではない。

でもね部長、あの宴会から数年経ってもなお、未だにこの話を思い出しては、理解できたりできなかったりしていますよ。俺は営業マンでもあるけれど、法や倫理や正義や優しさや思いやりを愛する、一人の市民でもありますからね。

池井戸潤の小説『七つの会議』では、若かりし日の主人公が営業マンとして老人相手にユニットバスを押し売りしまくっていたら、ほどなくしてお客のある老人が借金苦で自殺してしまった様子が描かれている。主人公はそれを20年以上悔やみ続け、出世を捨ててただ贖罪のために働き続けている。絶対に押し売りはしないし、ノルマ未達でも気にしない。必要ないものを買わせてまた人を不幸にするくらいなら、最初から売らない方がマシだと言わんばかりに。

工作機械は一般的には1000万からの投資になる。多機能・高性能なものなら5000万や1億を超える機械もある。それをおやっさんと奥さんの二人だけでやっているような工場に売りに行く。与信がなく、危ないところから金を借りている会社もある。機械を買っても上手く儲かる仕事が取れなかったら、ピカピカの機械が鉄クズになって借金だけが残る。ギリギリの会社にとっては、文字通り首にロープが掛かった状態で買うのが工作機械。

今は転職して工作機械よりは単価が細かい商売をしているが、身の丈に合わない投資が身を滅ぼすことに関しては、金額の多寡はあまり関係ない。人を死に至らしめるものを売って金を貰うなら、やっぱり俺は、目の前にいる油まみれの真っ黒な作業着を着たおやっさんが、自分に営業数字をもたらしてくれるツールではなくて、一人の人間だと忘れずにいることを諦めたくはない。

部長、俺はとりあえず今のところは、そう思うことにしますよ。

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