見出し画像

炎 ― 小説工作機械メーカー │ Y工業大学編 第1章「1億のタネ」⑤

「それで高杉さん、現場で何をご覧になるのですか?」
「じっくり機械を見させて頂きたいのです。いま池尻先生は現状と同じスペックの機械を探されている。しかも既設機とこれから私がお出しする御見積のメーカーは異なる。ですから少しでも先生のイメージと私のヒアリング内容にズレが無いか確認するために、毎回必ず現場で機械を見せてもらっているんです。」
工作機械は納入後の仕様変更がとても面倒な商材だ。ユーザーから見れば些細に見える変更も、メーカーから見れば、やれ配管改造、やれ配線延長、やれモーターのイナーシャ(慣性モーメント)など様々な制約条件が加わる。思ったよりずっと手間と時間がかかるのだ。当然無償では受けられないし、改造中は機械を止めなければならない。たった一人の営業マンが仕様打合せをしくじるだけで、ユーザーは数百万円分もの損害を被る。それが工作機械営業なのだ。
「なるほど、メーカーによってそんなに違うものなのですか。」
「全然違います。あるメーカーでは標準付属の仕様が、別メーカーだと有償だったり、逆もしかりですが。最近はコストカットのお題目のもと、99%のお客様には必要な仕様さえオプションにして、見かけ上の機械本体の価格を安く見せるという手法を取るメーカーもありますね。」
「ニモはそのへん、まあまあ良心的ですよ。」
仁川さんが適度に場を和ませてくれる。商社はこういう役割が意外と大事なのだ。潤滑油というか緩衝材というか、たまにこうやって笑いを挟むことでむしろコミュニケーションは速く進みやすい。話が真面目一辺倒になってきたところで適切なタイミングで会話の緊張を解く。メーカーマンの僕には無いスキルだ。
「はは。そうだと思いますよ。何せ世界のニモですからね。」
池尻教授も笑った。

話ている間にE棟に到着した。
「じゃあ例の機械までご案内しましょうか。」
池尻教授はトラックが入構するための馬鹿でかい間口ではなく、その隣の大人1人分の大きさのドアからE棟に入構した。僕と仁川さんもその後に続いた。現場は一般道と同じく、人と車が同じ道を通ることは厳禁だ。
「この10台ですね。」
通路を挟んで左右に5台ずつ整列されたK社のNC旋盤たちは、15年前の機械とは思えないほど清掃が行き届いていた。そもそも学校用の設備なので日中ずっと動いているわけではないが、それにしても日頃のメンテナンスが素晴らしいことが一目で伺えた。
「綺麗だろ、高杉君。」
僕が機械の美しさに惚れ惚れしていると、仁川さんが僕に小声で話しかけてきた。
「ええ、さすがです。」
現場では他の機械も多数動いており騒音地獄だ。もちろん池尻教授にこの会話は聞こえていない。
「機械、じっくり見させて頂きますね。」
「お気の済むまでどうぞ。」

「チャックサイズ8インチでヨシ。タレット工具本数12本ヨシ。心間は500でヨシ。チャックエアブロー装置は無し。ツールプリセッター搭載ヨシ。チップコンベアはヒンジ1層式でヨシ・・・」
僕は指差し呼称をしながらひとつずつ仕様を現認し、メモ帳に記入した。さきほどのヒアリング内容と既設機とで、イメージは一緒なようだ。これで納入後のトラブルリスクはだいぶ下げられた。それでも確実にゼロにはできないのだが。
「機械サイズも測っちゃいますね。」
そう言いながら僕は5mメジャーをビジネスバックから取り出した。まずは機械の横幅だ。仁川さんがさっと近付いてきてメジャーの一端を持ってくれた。
「3514!」
僕たち機械業界の人間は寸法をミリ単位で表す。「センチ」を使う者は一人もいない。更に単位は省略し数値のみで通じる。僕はいま測った寸法をメモ帳に記入した。

僕と仁川さんははこの調子で、既設機の横幅、奥行き、高さを計測した。計測が終わったところで仁川さんがまたしても僕に小声で囁いてきた。
「結構小さくないか、この機械。」
「仁川さんも思いましたか。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?