見出し画像

俺は本気であなたのコピーになりたかったんですよ。

「新人の古河です。一生懸命頑張ります。よろしくお願いします。」

2019年8月。俺は新卒で入社した工作機械メーカーの合同新人研修を終え、営業所へ配属された。
さて、クソみたいに機械売りまくって、さっさと海外営業部へ異動しよう。

なんて、尖っていられたのも束の間。俺の自己紹介に誰も拍手のひとつもしない。俺と目を合わせる人はいないし、誰も話しかけてこない。外様を徹底的に排除する異常な雰囲気だった。
俺の上司である営業所長がぼそっと独りごちた、「今年新人来るって聞いてねえけどな。」の一言で、初日にして完全に心が折れた。一気に顔面から血の気が引き、頬がピリピリと痺れ、脇から嫌な汗が吹き出た。ヤバい。ハズレくじ引いちまった。

50過ぎのベテラン営業のMさんをOJTの指導係に付けてもらい、客先に付いて回る日々が始まった。が、どうもMさん反りが合わなかった上、初日以来営業所のほぼ全員から無視され続け、半ば鬱状態に入っていた。社内どころか客先でも上手く笑顔が作れず、営業車の中で何度も指摘された。
仕方なく営業と工場との調整ごとの仕事を仰せつかった。しかしこれも鬱状態と、連日の無視によって自信がパッキリ折られたせいで、工場とも電話で上手く喋れず、またMさんから指摘。何度も何度も。

ため息が増え、会社の駐車場に着いてから40分間音楽を聴きながら呼吸を整えてからでないと出勤できなくなった。

そんな沈みきった俺をよそに、Nさんは輝いていた。
Nさん。俺の2歳上の3年目の先輩で、阪大卒の秀才。関西人らしいチャキチャキとした気持ちのいい口ぶりと、ダブルチェック、トリプルチェック至上主義の、絶対にミスをしない丁寧な仕事ぶりで、代理店や客先だけでなく、社内でも抜群の評判をほしいままにしていた。
しかもNさんは3年目とは思えないほどの製品知識を持っていたし、飴と鞭を使い分けた商社営業との交渉は見事なものだった。

「Nはな、ちゃんと家で機械の勉強してんだよ。カタログに蛍光ペン塗ったり付箋貼ったり、機械の仕様書印刷して読んだり。」
Mさんは、俺を詰るように言った。
生産管理の若手も、工場のベテランも、営業技術課長も、みんな口を揃えて言うのが、「Nは凄い、あいつは別格、将来は役員」だった。

その日から俺は、Nさんのコピー人間になると決めた。
Nさんへの嫉妬と不甲斐なさで脳が沸騰しそうだった。

Nさんは持ち前の地頭の良さ加え、ワークライフバランスのワの字も存在しない人だった。毎日朝7時から夜11時まで休憩無しのぶっ続けで仕事をし、機械納入も躊躇なく土日に入れ、有給申請をしながら会社に来る、仕事の鬼だった。
俺が休んでいようが、寝ていようが、仕事をしていいようが、Nさんは仕事をしている。Nさんはさながら俺にとってのメイウェザーだった。そして俺はどうしても格好いいNさんになりたかった。

「頑張ればNさんになれる」と思うと少し気分が晴れて、お客さんや社内の関係者には明るく振る舞い、馬鹿にされてもNさんと比べられても決して顔には出さず、毎晩製品の仕様書を読み漁った。

同時期に幸運も訪れた。俺とOJT担当のMさんとの修復不可能な関係を見かねた、60過ぎの超ベテラン営業のSさんが、俺を弟子に付けてくれた。
S師匠は元エンジニアで、知識量は半端なく、俺が仕様書で見つけた疑問点や、お客さんの発言で分からなかった部分は、全てS師匠が答えてくれた。それを帰宅後に全てノートに書き取った。俺はみるみる知識を吸収し、S師匠をして「知識だけなら4年目と同等」と言わしめた。「まあ、Nくんは3年目で7年目くらいのスキルだと思うけどね」とも。
同時にS師匠の営業トークを学び、クロージングや商社との価格交渉の場に立ち会い、現場の雰囲気を掴んでいった。

かくして配属半年で俺はS師匠のOJTを終え、担当商社を割り当てられた。S師匠から教えてもらった全てと、横目で見ていたNさんの雰囲気と、現場で学び取った自分自身のノウハウを組み合わせ、ガンガン機械を売った。

S師匠から巣立ったあとも、仕事はうまくいっていた。米中貿易摩擦や新型コロナウイルス発生によって国内の自動車・航空機産業が死に体となり、工作機械受注が落ち込んだ2020年、2021年。それでも毎月何かしらの機械は売れていたし、1億超の大型受注を発掘からクロージングまでまとめる経験もできた。それなりに家族や恋人を犠牲にしてハードワークもこなした。
いつの間にか、Nと古河の2大エースとか、営業所はお前ら二人の肩に乗っかっている、と持て囃されるまでになった。

手放しで褒められている。持ち上げられている。順風が吹いている。
それなのに俺の心はちっとも満たされない。少しも嬉しくない。

俺は、ちっともNさんに近付いていない。むしろ遠ざかっている。

同じ人間ではないのだから当然なのだが、話し方、お客さんや商社との距離感や喧嘩のやり方、依頼事項に対する温度感、トラブル発生時の対応、ハードワークへの許容度など、どこを取っても、とてもNさんのコピーと言える代物ではない、俺という営業マンが完成していた。それは俺の目から見れば、Nさんの劣化コピーだった。

営業所の飲み会で酔った勢いで、「僕はNさんになりたいんです、でもなれないんです。」と泣き言を垂れたりもした。営業所長は、「先期も今期もお前の方が数字が良いんだから、それは事実として受け止めて誇れ。そのままのお前でこれからも頑張れ。」と、言葉少なに慰めてくれたりもした。

全然腑に落ちないまま2021年9月、Nさんから突然着信があった。

「よう。他の人から聞いてる?俺、会社やめるんだ。」
やっぱり。Nさんの才能は、将来は役員だ何だと言われながら、この会社に収まっている器じゃなかったんだ。
聞けば給料の良い外資系企業に行くのだそう。
俺は驚愕と、少しだけ晴れやかな祝福の気分と共にこう返した。
「え、まじですか!?俺もいま転職活動してるんです!」

2021年11月、Nさんと俺は二人揃って会社を辞め、それぞれの新天地へ歩みだした。
転職先の外資系IT企業では、工作機械メーカーよりも更に多様な営業マン像を見ることができた。
外資系の見本のようなイケイケの人。電話もメールもゆったりおっとりの人。小さなディールをかき集めるのが得意な人。大型ディールをキッチリ決めるのが得意な人。代理店との握り合いが上手い人。部下からの人望が厚い人。役職者を使うのが上手い人。
全員、外資系で長年生き残ってきた手練れだ。

強者だらけの環境に身を置いて1年弱。俺はやっと気付いた。
営業というのは、唯一最強のモデルケースがあるわけではなく、結果を出し、出し続けた者が正解であり勝者であるというシンプルな事実に。
Nさんはあのキャラクターで数字を量産したし、俺も俺のスタイルで結果にこだわってきた。
大事なのは、思考停止で誰かのコピーを目指すことではない。
大事なのは、常に考えることを辞めず、より良い提案、より強い交渉ができるように刀を研ぎ続けることだ。ある人の真似をしたり、ある人を反面教師にしたりという行為は、仮説と検証のサイクルが伴っていないと空虚であることを自覚することだ。
似たようなスタイルの営業が多い前職では気付けなかった大切なことを、環境を変えて気付くことができた。この点は転職を決断した去年の自分に感謝だ。

というわけで、俺は遂にNさんの呪縛から解放されつつある。
Nさんのコピーを目指して走り抜けた3年間は俺に成長をもたらしました。でもここでお別れです。俺は俺の道を進みます。
もちろんNさんの良いところは忘れませんよ。しっかり真似させて貰います。ただ全部はやめておきますね。

Nさん。俺はあなたのコピーにはなれませんでした。
でもねNさん、あなたは高みに行ってください。もっともっと昇って、また俺をあのときのように叩き潰してください。積み上げた自信を根こそぎ消し去るほどの絶望をもう一度ください。唸るほどの大金を稼ぎ、俺の嫉妬心にもう一度残酷に放火してください。俺はあなたを妬み羨む心で焼死したいんです。
あなたのことが大嫌いです。あなたのことが大好きです。またどこかで会いましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?