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ひとつ犠牲をつくらなきゃ

地元に帰ってきてから2週間が経った。スマホのホーム画面にあった乗り換え検索アプリはお役御免となり、今は納車したばかりの車を乗り回して、ペーパードライバーからの脱却を目指している。もうこれで、都会の満員電車にもみくちゃにされることはないけれど、その代わり、地方の車社会に適応していかなくちゃいけない。

何かを選ぶことは、何かを捨てることだ。

早稲田大学に進学することを決めたのは、ちょうど4年前の今頃だった。2度受験に挑戦した東大への執着みたいなものは、しばらく捨てきれなかったけれど、ちょうどその頃にリリースされたあいみょんの楽曲「さよならの今日に」に背中を押されたりもしながら、前へ進むことにした。ふとした時「もし〜だったら、〜だっただろうに」という仮定法過去完了の定型文が頭によぎることはあるけれど、切り捨てたものの上に成り立っている現在の自分を、できるだけ受け入れるようにしている。最新の自分が、最良の自分だと思いたい。

切り捨てた何かで今があるなら
「もう一度」だなんて
そんな我儘 言わないでおくけどな

さよならの今日に/あいみょん

大学生活を過ごした東京ではなく、地元に戻って就職するという選択も、簡単に下せるものではなかったし、決断をした後でさえも「これでよかったのかな」と疑心暗鬼になってしまうことがある。そんな時に、またしてもあいみょんの最新曲が、優しく寄り添ってくれる。犠牲にした選択肢に後ろ髪を引かれるのではなく、自分が選んだ道を、自分自身が信じてあげなければいけないと思わせてくれる。

選んできた 今までも
迷いながら
そうやって ひとつ犠牲を作らなきゃ
だけど今 触ってみる
胸のリズムが
大丈夫だって跳ねているから

リズム64/あいみょん

人は、いろいろな選択を繰り返しながら生きていく。電車で乗り換えを間違えても、高速道路のJCTで道を間違えても引き返すことはできるけれど、人生はそうはいかない。何かを切り捨てるということ、何かを犠牲にするということを、時には受け入れなければいけない。だからこそ「選ばなかった道の運命も、悪くなかったのかな」と考えてしまうことがある。でも、その気持ちはぐっとこらえて、自分の選択を後から振り返った時に「正解だった」と思えるように、前を向いて生きていけたらいいなぁ。

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