いつか来るその日まで
*大学の授業を終えて地下鉄に乗り込むと、正面に見覚えのある男性が座っていた。膝の上に広げられた答案を、厳しい表情で添削しているその姿にピンとくる。大分の予備校にいた頃お世話になった、現代文の先生だ。東京校から配信されるこの先生の授業動画を、何度も見たことがある。直接お目にかかるのは、これが初めてだ。当然向こうは、僕のことなど知っているはずがないので「あの時は、ありがとうございました」と心の中で感謝の気持ちを伝えた。
*中学生の時「基礎英語」というNHKのラジオ講座を聞いていた。その講師を務めていた先生が、偶然にも、僕がいま通っている大学で教鞭をとっている。しかも担当しているのは英語の教職課程の授業で、去年めちゃくちゃお世話になった。昔ラジオで聞いていた声が、目の前に立つ生身の先生から発せられた瞬間、不思議な縁に感動したことを覚えている。
*教員採用試験の2次試験。会場は、母校の高校だった。高校時代の自分がどこかで見守ってくれているような気がして、安心して模擬授業や面接に臨むことができた。もし「ホームスタジアム」で試験を受けることができていなかったら、結果は変わっていたのかもしれない。
🌨☃️❄️
生きていれば、こんな風に点と点が繋がる瞬間は、何度かおとずれる。それは、これまでの生を肯定できる瞬間でもある。
今こんなにしんどい思いをしているのも、何かの伏線で、いつかは回収されて、前向きに捉えられる日が来ると考えれば、少しはマシみたいなことはある。
ただ伏線は、回収されるまで伏線だったと分からない。それがもどかしい。でも「いつかは回収される」と思えることが、生きる希望になったりする。
「いつか」は、意外とちゃんと来る。
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