みんな何かのプロだという話
「子育てをしたことがない人に教師をやる資格はない」と平気で言ってくる保護者がいるらしい。もちろん、気持ちは分からなくもないし、子育ての経験がないよりかは、あった方がいいのかもしれない。でも「資格がない」とまで言われる筋合いはないと思う。例えば、産婦人科医には男性の人もいるし、選手経験はないけれどサッカーの指導者として活躍している人もいる。経験したくともできない経験というのはどうしても存在するのだから、それを補うために学び続ければいい。それがプロの姿だし、わたしもあなたも何かのプロなのだから、お互いをリスペクトできればいい。
勉強ひとつとってみても、文系・理系の違いこそあれ、高校生くらいまではみんなで同じことを学ぶ。やっていることが一緒だからこそ、同級生と成績を比べて、喜んだり悲しんだり、威張ったり卑下したりしてしまう。あれから4、5年しか経ってないけれど、大学生活を終えたいま振り返ってみると、テストの点数や順位が高いか低いかなんて、取るに足らないことだったと思う。もちろん、基礎学力とか教養とかは大事だけれど、大学に行けば、各々が特定の分野を専攻して、それなりの専門家になって卒業していく。自分は英文学や英語教育にはある程度詳しくなったけれど、いま何で日経平均株価が上がっているのかよく分からないし、どんなふうに病気の治療を施せばいいかなんて分からない。でも、経済学部の彼なら、医学部の彼ならきっと分かるのだろう。勉強してきたことが違うのだから、同級生と自分を比べたってしょうがない。
同世代のアスリートや俳優、アーティストの活躍にも驚かされることがある。サッカーの試合を見ていると、気が付けばフィールドにいる選手の半分くらいが自分と同世代、もしくは年下だったりする。彼らはもう数百万円の年俸をもらっているのだろうし、21歳の選手が入籍の報告をしていてびっくりさせられたりもする。気になった俳優やアーティストの年齢をWikipediaで調べてみると「え、タメじゃん!」となったりもする。自分が呑気に大学生をしている間に、中村敬斗(23)はエグいミドルシュートを決めまくり、浜辺美波(23)は紅白の司会をやっていて、幾田りら(23)には誰もが目を奪われていく。でも、キラキラしているように見える彼らには無くて、自分だけが持っているものも、きっとある。歩んできた人生が違うのだから、手に入るものも違う。それを比べても仕方がないし、むしろ、同世代が頑張っている姿を、自分の原動力にできればいい。
道を歩きながら、すれ違う通行人の顔を見て「あいつは20年後、このおじさんみたいになってそうだな」と、友達の将来の姿を想像することがよくある。20年後、30年後に、同級生や同世代のアスリートとか俳優とかアーティストが、どんなおじさん、おばさんになって、どんな仕事をしているんだろう、どんな選手になっているんだろう、どんな芝居をしているんだろう、どんな歌をうたっているんだろう、と考えるとワクワクする。みんな何かを極めたプロなんだから、比べ合ってもしょうがない。いま、自分と誰かを比べるのではなくて、誰かの未来に思いを馳せてみた方が、生きるのがちょっとだけ面白くなるような気がする。
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