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優しい人、尽くすタイプ、真面目な人が陥りがち、人のために尽くしても、いつも何か損している気がするのは。

「私はこんなにしてあげたのに!」
という思いを抱いたことがある人は多いと思います、
仕事、家庭に限らず、あらゆる人間関係において、
こういう思いをしている人は多いのではないでしょうか。

特に優しい人、真面目な人、正義感が強い人ほど、
これを感じている傾向にあるように思います。

相手が期待通りの「お返し」をしてくれないと、
損している気
になってモヤモヤしてしまいがちです。

このお返し
その場での「感謝」であったり「評価」であったりする場合もありますし、その後しばらくして自分が困った時に向けてくれる「優しさ」や何かしらの「親切」だったりします。

もちろん多くの人は見返りを期待などせずに、
親切にしているのだと思いますが
「私はこんなにしてあげたのに!」という思いが湧いたり、
損している気がしてモヤモヤするのであれば、
その場ではそんな気はなくとも
無自覚に「自己都合」が乗っかっているかもしれません。

「私は "こんなに" して "あげた"  "のに"!」
をよく感じてみると、それがなんとなくわかる様にも思います。

また「損している」と感じるのは、
どこかに返ってくるが前提であるからこそ、
損していると感じています。

人には親切にするべきだ!とか、
親切にされたら親切にするべきだとか、
ギブアンドテイクだとか、
そんな議論は表層的な話ので、
それは一旦、横に置いておきましょう。

私も、人のために行動できる人に対して
「それは偽善だ!」なんて言うつもりは毛頭ありません。

重要なのは、そういう人のために尽くせる人が、
損をしたと感じたり、モヤついたりしていることから自由になった時、
全く別の次元で、自分も蔑ろにせずに尽くせる様になり、
モヤモヤも起こらなくスッキリとしていく
ことです。

自己犠牲という土台の上の優しさは
どこかで破綻する。

無自覚であろうが、自己都合が僅かにでも乗った優しさは、
余裕がある時は良いですが、 多くの場合、余裕がなってくると
「私はこんなにしてあげてるのに!」 という気持ち込み上げます。

人には優しくするべきだという考えの裏には、

人に優しくしないと愛されない
人に優しくしないと嫌われる
人に優しくすると褒められる
人に優しくすると愛される

こんなことが隠れていることがあります。
愛されたいから親切にするとはっきりと思っているわけではありません。
こういうものが無意識の中に隠れているからこそ、
その考えに影響されてしまう
のです。

愛されたいから優しくするわけではありませんが、
僅かにでもそうい都合が挟まっている時、その無自覚の都合に影響をされます。その時、私たちは「都合の奴隷」であるわけです。

だから見返りなんて気にしてないと思っていても、
なぜだか、損した気になったりするわけです。

この僅かな考え(都合・戒律・規定・想定・常識等)が無意識に埋まっているが故に抗えない。

無自覚な考えに影響され、
優しいを"やらされて"いる
いい人を"やらされて"いる

「私は "こんなに" して "あげた"  "のに"!」という思いが湧きやすい人は、
「NO」と言うのも苦手な傾向があります。

人に優しくしないと愛されない
人に優しくしないと嫌われる
人に優しくすると褒められる
人に優しくすると愛される

このような無自覚な考えに囚われ、影響されているが故に、
人を無碍にできないので、NOと言うのに抵抗が生じがちです。

そして、自分を犠牲にしてまで、
相手の都合に合わせて、尽くしてしまいがちです。

人に優しくしたり、親切にすること自体は決して悪いことではなく、
むしろ社会では評価されやすいことであるため、
それがいいことであると捉えがちです。

葛藤がありつつも、
「私は優しい性格」だからとか「私は人に尽くすタイプ」と自己イメージを固めてしまい、モヤモヤしながらもそうしてしまうのです。

しかし、この場合、無理が生じ、自己犠牲になることもしばしばあり
それが積み重なるとどこかで爆発してしまう
こともあります。

「無理して人に合わせなくてもいいんだよ」
「そんなことしなくてもちゃんと愛されるよ」

と言われても、頭では「そうだよな」とわかっても、
肚の底では到底納得なんてできません

どんな私も蔑ろにせずに向き合っていく。

人に優しくしないと愛されない
人に優しくしないと嫌われる

無自覚であろうが、そう考えている私がいるのに、
「そんなことしなくてもちゃんと愛される」という誰かの考えで蓋をするのは、優しくしないと愛されない、優しくしないと嫌われるという考えを握る私を蔑ろにしていることになります。

あくまでその場だけやり過ごしても、内側には残り続け、すぐにまた現れてきます。

人に優しくしないと愛されない
人に優しくしないと嫌われる

そう考えている私を蔑ろにせずに向き合っていくと、
自然と自も他もなくなり、誰かのためという意図もなく尽くしていけます。

優しいを "しよう" とすると苦しくなります。
明るくを "しよう" とすると苦しくなります。
いい人を "しよう" とすると苦しくなります。

その“しよう"という意図をもつ私に向き合い続ければ
"しよう"とせずに、自然とそうなっています。

花は人を癒すし 太陽は光を照らし温めますが、
そこに意図はありません。

自覚していくと、そんな「私」が顕れてきます。

「私はこんなにしてあげたのに!」と、いつも何か損しているなーとモヤモヤしているなら、自分自身と向き合っていくタイミングかもしれません。


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