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人類すべてが通るべき必然

自覚の奥行を感じて、そこに価値を見る事は、とても簡単でもあり、難しい事でもあります。

なぜなら、奥行きを感じる事ができる「私」である必要があるから。

あらわしと、あらわれ。

潜象と現象

それが分からない限り、自覚の奥行を感じることはできません。

ですから、感性が届かないのなら、感じられないのは、当然のこと。

自覚の道は、最終的にすべての人類(神や宇宙人も含む)が通る道です。

何もしなくても、いつかは通らざるを得ない必然です。

自覚が起こらなければ、個としての成熟はありません。

そのいつかは、明日かもしれませんし、1,000年後かもしれません。

輪廻があるという前提ですが・・・

馬を水飲み場に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない

価値を感じない限り自覚はやらない。

当然すぎるほど当然です。

ですから、全く強制をしようとは思いません。

ただ、水飲み場のようにそこに在ろうと思います。

普段から、水飲み場があるというお知らせをしています。

いつか必ず喉は乾きます。

その時に、初めて水飲み場がある事の価値を知る事になります。

自覚は、最後のオアシスです。

この話を信じてはいけません

今回の話を信じることで納得しようとしてはいけません。

信じる事と、腑に落ちる事。

多くの人間があいまいになっています。

そして、あいまいなまま生きることで、混迷を続けています。

その中で、一生のうちに起こるわずかな自覚が、本質的な、何かを示唆します。

コンパスのようなそれを手に入れるまでは、冒険を続ける事に意義があるように思います。

適当な気持ちで来ても、自覚は続かないし、成就しません。

ですから、本当に必要だと分かるだけの成熟が必要なのです。

信じることで、盲目になっている方に対して、信じさせようとしないのはそのためです。

来てほしいのか来てほしくないのか?

これは、とても微妙な話です。

これだけのことを読んでも、価値が霞まない方には、来てほしいと思いますし、

なんとなく良さそうだからという方にはまだ早いようにも思います。

しかし、自覚ができなくても、自覚に近づきたい方、悟りに近づきたい方、または、この世を少しでも楽に生きたい方がいらっしゃるなら、それを承知でい続ける事は可能です。

今回の人生で悟りまで至らないとしても、意識は肯定的変化をしていきます。

自覚をお伝えできる段階にない方も、いらっしゃいます。

その方には、その前のお話をしながら、自覚人の中での感化を起こし続けています。

その段階においては、自分が変化しているという自覚もなかなかできないように思います。

結果的にとてもつまらなく感じるかもしれません。

しかし、先達の者がそれを教えてくれます。

自分から面白くできないのなら、いずれ、つまらなくなると思います。

ですから、お勧めは、あまりできません。

様々な段階の方がいらっしゃいます

わたしにとって、悟りはどうでもと良い事でもあります。

自覚をし続けるなら、この地球上においての「悟り」という段階を通る事は必然だからです。

この地球においての、先人たちの智慧、「悟り」という言葉を使わせていただいています。

智慧である「悟り」を概念である「悟り」が邪魔をします。

そのうえでお話をするなら、最初の悟りから苦労する方もいれば、ある程度楽に、深い悟りに至る方もいらっしゃいます。

これは、意識の成熟度に関係します。

ここで大切な事は、みんな途中だという事をしっかり自覚するという事でもあります。

自分の幼さを憂う事は、途中であるという、自覚がないために起こる事です。

先をいく者、後から来る者に敬意がないのは、同じ道の途中の者だという自覚がないからです。

簡単に書いていますが、とても重要な理解(自覚)です。

今、生きているという自覚

人間は思考している時、ここにあるという事に対して、無自覚になります。

それを自覚する最大のチャンスは、死と隣り合わせになる時。

死に向き合ったとき、初めて生を強く意識できます。

生きているという事に向き合う事。

それを通して、自覚に繋がります。

人間がそのような機会に恵まれる可能性はどのくらいあるでしょうか。

自覚を知らないまま、自覚が起きる回数は、人生において1~(せいぜい)10回くらい。

数多の修業が成就に繋がりにくいのは、自覚を無自覚に起こそうとしているからでもあります。

それは仕方のない事。

自覚の奥行を知らないまま、自覚をすることができません。

ですから、たまたま、自覚が起こるか起こらないかわからない修行に価値を見させるという、やり方は、最善の苦肉の策のように思います。

半分だましているようなものなので、本当に騙して修行させる、新興の団体も多く誕生しました。

意識は大きく変化しつつあります。

2000年も経つと、人類の意識は随分変わります。

古くからある修行が、現代人にあっているとは限りませんし、むしろ、フィットしなくなっていると感じています。

そこに在る基本は変わりません。

しかし、意識の変化が進んだ現代に合わせた創意工夫は必要だと考えています。

今だからこそ、自覚が、昔より多くの方に受け入れられるようになりました。

それでも、今のところ本当にごくわずかな方に限られています。

自覚の存在を知らない方も、沢山いらっしゃいます。

水飲み場は、ここにあります。

というお知らせをこれからもし続けます。

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