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あの時食べていたチョコクロワッサン

忘れられない思い出の味、というものが誰でもあるかと思う。私も母の味などいくつか思い出の味や料理の覚えがあるが、思春期を思い出した時に浮かぶのは、このチョコクロワッサンだ。

少し小さめでクロワッサンの層の中にチョコが詰まっていて、さくぱりっというクロワッサンの歯触りととろっと一緒に溶けるチョコがとても美味しい。今は日本企業になっている、フランス本社のパン屋にあった。他にも、自分で具をセレクトして作ってもらうクロワッサンサンドイッチがとても好きで良く食べていた(ツナマヨが美味しかった)。が、あれから20年経ち日本の同系列店に寄った際は、そういうメニューはなかった。チョコデニッシュはあったが、昔と同じチョコクロワッサンはなく、もう食べられないのだな、と改めてしんみりしたことを覚えている。

ちなみに、当時そのクロワッサンを食べていたのは、香港だ。香港の店も調べる限りは、もう同じメニューはなさそうだった。とても残念。


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私が親の転勤で香港に住んでいたのは、中学の時だ。

当時の香港は返還直後。なんとなく落ち着かない情勢もあったが、今のあの大変な状況に比べれば全くもって平和だった。そんな大都会に、片田舎で育った、内気で人付き合いが下手くそな冴えない私がやって来た。

日本人学校で出会った同級生は、ほとんどが東京近郊大都市圏から来た子で中には海外を転々としている子もいて、そして親は一流企業勤務、会社社長や外交官などなど。下の兄弟たちのように、年が幼ければ感じなかったかもしれないが、中学生ともなると洗練さにものすごく差があるように思えて、都会っ子が田舎者にはまぶしく映った。

スクールバスでの通学、校則が厳しくなく制服をおしゃれに着崩す女子、いきなりのネイティブの先生による全編英語での授業(その頃ABCも全部言えるか怪しかった)、放課後は揃って塾に通い日本の難関校に入学可能なレベルの勉強をしながら成績別にクラスが分けられ切磋琢磨する。

生活のギャップに戸惑い、思春期突入も相まって根暗さが増した。

そして、いじめを受けた。ある日突然、クラスの仲良くしていたつもりだったグループの女子から無視されるようになった。もうクラス内でグループは出来上がっていたので、移動教室やグループ分けの授業、休み時間など居場所のない苦痛な時間が始まった。

幸いだったのは、その女子たちと通っていた塾や住んでいたエリアが違ったので、学校の中でだけ耐えれば他の時間は気にしなくてもよかったことだ。学期ごとに転入転出が多くある海外の学校ならではで、しょっちゅう人が入れ替わるし、毎年あったクラス替えで先生の配慮でその子たちとクラスが離れたので、酷かった時期は短い。

でも、中学を卒業して日本に帰国するまでずっと、なんとなく居場所はなかった。仲良くしてくれる子はいたけれど、2人一組でペアを作って、となったら必ず他の子を選ぶみたいな、自分はいつも余り者という感覚。それを、先生や親に言うことはできなかった。反抗期真っただ中だったし、何よりも、そんな自分が恥ずかしかったから。

塾が終わり、夜遅くに路線バス(2階建てバス!)で帰路につく道すがら、100万ドルと称される夜景をぼんやり眺めながら、このままどこにも着かなければいいのに、明日が来なければいいのに、と何度思ったかしれない。ちなみに、ここで家出でもしようものなら、おそらく本当に行方不明になりかねなかった不夜城、香港。日本人観光客の盗難誘拐の話は本当に多かった。ご注意を。

パン屋は、バスターミナルから自宅マンションまでの帰り道の地下のスーパーの一角にあった。某ファストフード店も近くに何軒もあって、何かしら買い食いをすることが多かった。でも特に疲れている日、明日になってほしくないから家に帰りたくないという日に、そのパン屋でチョコクロワッサンを2個買った。

ゆっくり地下街から地上に出る階段を上がり、マンション内の公園を歩きながら、それにパクついた。心と体の回復に糖分を欲していたのかもしれない。食べながら、じんわりと甘さが身体にしみわたる気がした。

あの頃の私は、生きることを、頑張っていた。


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中学を卒業して帰国して、携帯電話が普及する前だったこともあって、当時の同級生との連絡は完全に絶っている。

あんな大都会に暮らすという貴重な体験だったものの、上述の理由と反抗期で親との外出をほとんど拒否していた為、現地での暮らしを満喫することはなかった。美味しい広東料理の味も多くは覚えていないし、観光地と呼ばれるところにもあまり行かずに終わった。

だから香港に、あまりいい思い出はない。

けれど、あのチョコクロワッサンは、ふと過去を振り返った時にまた食べたかったなと思う。同じパンはおそらく2度と食べられないが、今もチョコデニッシュは好きだ。

あの時の、泣きたくなるくらいの甘さを、今も覚えている。

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