祈りとは、意乗り。
こんばんは。
本日は珍しく、横浜にて、1日お仕事&プライベート。
ネットで検索した美味しい中華屋でランチをし、刀削麺と炒飯セットをいただき、
友人におすすめされた塩バターと蜂蜜のクレープを食しつつ、
みなとみらいの蔦屋書房にて、読書しつつ、仕事をしつつ、ぶらぶらしつつ、
快適な時間を過ごし、これから、仕事仲間とリアルで打ち合わせです。
来月に迫った、リトリート研修のMTG、普段は、zoomが多かったので、リアルでもしっかり話そうと思い、相手の予定に合わせ、横浜へ。
対面だと、通信のラグもないので、濃い打ち合わせができそうです。
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さて、タイトルの、祈り。
そして、意乗り。
これは、10年前に師匠に教わりました。
祈り、ということの根源的な意味。
むかし、祈りというドキュメンタリー映画があり、祈りを学者が研究し、分析する、という映画でしたが、非常に面白かったです。
祈ると言えば、宗教が一番頭の中に思い浮かぶかもしれません。
日本人は、宗教に馴染みが薄い方も多いですが、
元旦の初詣や、神社に参った時、必ず祈りますよね。
なぜ、人は祈るのか。
師匠は、その中の意味として、
本来の意味とは、「意を乗せること」
つまり、決意表明が本質的な意味と教えてくれました。
お願いをしたり、誰かに縋るのではなく、自分に対して、自分でない人、もしくは神様に誓うこと。
それが、本来の祈りと言ってました。
けれど、神頼みのような、自分の力ではどうしようもないことを願う意味でも祈りが使われています。
むしろ、その方が一般的かもしれません。
手術がうまく行きますように、受験がうまく行きますように、あの人とむすばえれますように、子供が幸せに、、、、、、、
そして、これが間違っていることでも当然ありません。
意を乗せるという解釈は、私の師匠の考えなので。
9割型、私は師匠の考えに同意で、
神社に行くときなどは、必ず、「〜します」もしくは、「〜させてください」という表現で心の中で誓うようにしています。
自分が未来に向けて、意思表示をする場所である。
だからこそ、神社は神聖であると思っています。
逆に、自分以外の誰かの力を願うのは、神社や祈りの本来の意味とは遠いように私は感じます。
自分にできることはすべてやりきり、何もできることは無くなってから、
願うのは、祈りのもう一つの大事な本来の意味ではないかなと思います。
自分をやり切った先に、自分以外の大きな何かに頼る。
祈りの中に、自分が抜けている人が多いから、濁った現実になってしまうのではないかと思っています。
これは、もっと考察して考えてみたいなと思いますが、祈りは誰しもが自然にやる動作でもあり、万国共通で、非常に興味深い分野です。
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