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言葉のことばかり【異和感の違和感】

昨日「なくす」を漢字の「失くす」と書くと
ちょっと違和感がある。って書いてて、
あれ?違和感だっけ?異和感だっけ?
って思った。

変換すると当たり前のように「違和感」が出る。
「異和感」は出ない。

調べてみると結構根が深くて、
世の中的には「異和感」は
誤用とされてるらしい。

そもそも「違和感」という言葉が
辞書に載ったのが1975年くらいで
実はこれ自体が新しい言葉みたいです。
国語力アップ.comより)

もともとは「体の調子がなんかなあ」
ってところから始まって、
「雰囲気が合わんなあ」に派生したっぽい。
医療の世界が出発点みたい。

で、平成の初めあたりに医療の専門学校とかで
「異和感」って間違って教えてたから
広まったって説が一般的らしい。
(いろんなサイトに書いてある)

だけどね、
なんかそれこそ違和感あるんだよね。

違和感はもちろんよく使う言葉だし、
これはいい。
で「異和感」もあっていいと思うんだよね。
てか実際あると思う。

実は意味がちょっと違っていて
「異和感」は「違和感」から派生した
別の言葉と言えなくもないと思う。
てかそう使われる場面もあるんではないか。

「異」って今どきっぽい

確かに誤用から始まってるのは確かとして、
需要があるから使われてる感じはある。

そもそも「違」と「異」の違い。
(違いばっかりでややこしい…)

「違う」は何か基準があって
それとズレている。間違っている。
「異なる」は二つのものを比べて
何らかの差異がある。違ったものである。

なので「異なる」の方がハッキリしている。
もう別物よ。って感じ。
だけど「違う」はちょっと「なーんか違う」
みたいな曖昧さがある。
口で言ってるその場の話、って感じ。

もちろんどっちも違うって話なので、
同じと言えば同じなんだけど、
この辺のニュアンスの違いって
意外に大切なんじゃないかと思う。

どっちも常識から浮いてるんだけど、
何となく浮いてるのと、
明らかに浮いてるのではずいぶん違う。

たぶん、今どきはすごく
「何となくの違和感」が多いんだと思う。
日常に溢れてる。

だから「明らかな異和感」を
別立てする必要があるんじゃないか。

そしてこの明らかな「異」が
屈折した憧れを持ってる気がする。

「異常」とか「異世界」とか。
キッパリしない日常だからこそ、
キッパリした「異」が意味を持ってる。

言ってしまうと今どきは
「違和感」はすでに「違和」ではなく
普通の範疇に入ってしまってる感覚。

だからちゃんと違いを感じる
「異和」が必要になってるんじゃないか。

最近は「異和感」を載せる辞書も
出てきてるらしい。

11冊の内の3冊は、「異和」という表記も認めています。その3冊とは、『新明解国語辞典 第七版』(三省堂, 2012年1月10日発行)と『新潮現代国語辞典 第二版』(新潮社, 2000年2月5日発行)と『精選版 日本国語大辞典』(小学館)です。

https://sugayan.net/iwakan-kanji/

どれも表記を認めるレベルで
違いまでは言及はしてないみたいです。

まあ、僕の勝手な解釈なので、
何の根拠もないし責任も取りませんが笑
ただ、言葉って変わっていくものなので、
ただ間違ってると決めるのには違和感あります。

Wordでは「異和感」って打つと
間違いって出るらしい。
ワードってそういうとこが嫌いなんだよな。

次回の言葉は「ちょん」です。

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