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言葉のことばかり【続・行ったり来たり】

卓球の行ったり来たり

行ったり来たりと言えば、
スポーツでも同じようなことがある。

スポーツは言うまでもなく勝負で、
個人競技、団体競技ともに
相手と競うことで成立している。

違うのが「相手との距離」で
直接相手を叩きのめす格闘技から、
記録という結果で間接的に相手と闘う競技まで
その距離は様々である。

そんな中、一番「相手との距離が近い競技」
は何だろう…と考えたとき、
ひょっとしたら卓球ではないかと思った。

自分が打った球が
自分のところへ帰ってくる速度が、
あれほど速い競技も珍しいのではないか。
自分が打った瞬間、帰ってきている感じだ。

ラリーが続くときのリズムは、
もはや戦いを超越した一体感すら感じる。
逆に言えば、あれほど
「相手が球を返してくる」ことを前提としている
競技もあんまりないのではないだろうか。

自分のところに球が返ってこない瞬間、
または自分ではないところに
球が返っていく瞬間、勝負がつく。
それはひょっとしたらすごく
悲しい瞬間なのではないかと思う。

温泉なんかで卓球台で遊ぶときは、
ラリーを続けることが目的になったりする。
それはもちろん競技ではない。

そして誰かの打った球が
遙か遠くに飛んでいってしまったとき、
それは文字通りミスであり残念な瞬間である。

しかし競技としての卓球でも、
それと同じようなちょっとした
「悲しさ」があるのではないか。

これも予測でしかないが、卓球は
レベルの差があると競技として成り立たない
スポーツなのではないかと思う。

相手のレベルがあまりに低いと
「うまく自分のところに球が返ってこない」。
それでは自分の調子も狂ってしまうだろう。

逆に相手の球を返せない自分には
すごく悲しさを感じるはずである。
いや、悲しいとかいう問題ではないな。
なんか「成り立たない」といった感じだ。

なんだか人生みたいである。
いきなり球をうちこまれて、打ち返せよ。
と言われても困ってしまう。

こういうことってけっこうあるんだよね。
それは打ち返せない自分が悪いのか、
打ち込んでくる相手が悪いのか。

少なくとも自分は、構えていない相手に
いきなり球を打ち込むってことはしない。
というかできない。臆病もんだからねえ…。

行ったり来たりの
危ういバランス

そう考えると、行ったり来たりは
「相手との信頼関係で成り立ってる」
ってことなのかもしれない。

「行ったり」さんがいくら頑張っても、
「来たり」さんが応えてくれないと、
次また「行ったり」できないから。

もう、ちゃんとやってくんないと。

一方で毎回、
「行ったり」はどこにいくんだろう。
「来たり」はちゃんとこっちに向かってる?
という不安さも必ずある。

なんか確定ではない気がする。
で、そこがなんかいい。

うまくいくと
卓球のラリーみたいに気持ちいい。
で、途切れるとお前のせい。ってなる。
どうなるかわからない。

そういうのを
「行き当たりばったり」って言うのか?

次回の言葉は「まぐれ」です。

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