【おもしろいの正体:20】ちょっとまずい、は、うまい。
完全じゃないことを
魅力と言う。
ちょっと不味い餃子は美味い。という
ごく個人的な持論があって、
三つ星シェフがつくる
完璧に出来上がったフランス料理も
銀座の老舗の鮨もそりゃうまいだろうが
それに街中華の餃子が負けるかというと
そんなことはない、という話。
さらに細かく言うと街中華の場合、
それが店のたたずまいとか、オヤジの人情とか
そもそも味じゃないものが作用してる場合と
なんか普通じゃない、という
意外性から生み出されてる場合がある。
雰囲気がよさをつくることも大いにあるけど、
今回はとりあえず後者の、中身の話です。
美味しさの探求に真面目に取り組む人にとって
たぶん目指す正解はひとつだけ。
そこにたどり着くためにやってるので
正解の一歩手前までは
全て失敗ということになる。
しかしその失敗作に魅力がないかというと
決してそんなことはない。
逆に完璧なものには面白味がない気がする。
それは、その先を感じないから。
高級中華店の餃子の
なんか違う感。
人間で考えるとわかりやすい。
完璧な人間は素晴らしいだろうが、
あんまり友だちにはなりたくない。
そんな感じ。
餃子に完璧を求めてないってこともある。
たかが餃子。だけどそこが好ましい。
たぶん餃子を友だちだと思ってるんだろう。
高級なうまさは尊敬する人物って感じ。
話がどんどん逸れていくが、
人がおもしろいと感じるものにもこれがある。
完璧なものは素晴らしいとは思うが、
おもしろいとは感じない。
それは、よい、ことと
魅力がある、ことが違うからだと思う。
足りない感覚と参加性。
前にも言ったが、完璧ではないとき人は、
その足りない何かを補うことに快感を覚える。
だから足りない何かを意識的に残すことで
魅力をつくることができる、とも言える。
個人的におもしろいと
一般的におもしろい
そうは言っても
わざと不完全にするなんてややこしいこと
誰ができるか、って思いますよね。
なので考え方をちょっと変えてみます。
一般的におもしろくなくても、
個人的におもしろければいい。
みんながいいと思うものは古いもの。
自分だけがおもしろいと思うものこそ新しい。
そういう考え方をしてみる。
新しいってこれまでなかったってことなので
それはつまり突然変異です。
遺伝子が失敗してできちゃった的な。
その思いつきは
突然変異かもしれない。
なんか間違って生まれた
自分にしかわからないモノこそ素晴らしい。
テレビで「白いイチゴ」が紹介されてて、
これも突然変異でできたのが最初らしいんだけど
これ食べた人の感想が、
「うまい、だけどこれイチゴじゃない」だった。
新しいものは何もないところからは生まれない。
だけど、変なモノができちゃったら
それは新しいカテゴリを作る可能性がある。
なんか凄くないですか?
異物の混入
新しいことを考えるとき、
いちばん手っ取り早いのはこんなふうに
みんなが当たり前だと思ってる部分を
疑うことです。
イチゴは赤い、を疑うみたいな。
もうひとつやり方があるとすると
たとえば当たり前だと思ってるものの中に
違うものをぶち込んでみる手があります。
もしくは当たり前の中の異物を見つける。
believeの中には
lieが入っている。
これ僕が考えたんじゃなくて、
たまたまエスカレーターで前にいた人の
Tシャツのに書いてあった。
最初に気づいた人すごいよね。
そうだよな、確かに入ってる、と思った。
コトバ遊びだけど真理。深い
個人的に思うことが
アイデアになる。
概念からはみ出ること。
つまり普通に考えることからはみ出して
考えること。
まとめると当たり前の結論になっちゃいますが、
意外に忘れがちです。
そこに普通があるからこそ
はみ出すことができる。
普通から遠いところには新しいものはない。
100歩先は凄いけど意味がわからない。
おもしろさは半歩先にある。
みたいなことだと思います。
ということで次回
【おもしろいの正体:21】おもしろさは錯覚の共有だったりする。
気が向いたら、また遊びに来てください。
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