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【さとのば生による学生紹介】なぜ海外から日本のローカルへ?多くの出会いから価値観を広げたい!高校卒業後、単身マレーシアへ飛び込んじゃった人

今年度のさとのばも始まって早3ヶ月。2024年ももう半分、折り返しです。
1年生はさとのばの学びに慣れてきたでしょうか。

さとのば大学は端から端までユニークで、面白い人たちでいっぱいです。
魅力に溢れた、一言では言い表せない、いい意味で「どこか普通ではない」人たちです。

そうはいっても、やはりどんな人がいるのか、伝わらないと思います。
もちろん、伝えきれるとも思ってはいません。

だからこそ、伝えたいのです。

出身地も、年齢も、滞在している地域も、歩んできた人生も違う。好きなことも、得意なことも、興味のあることだってバラバラ。だけど、さとのば大学という場で学び合っているということだけは同じ、私たちのことを。

■書き手:さとのば大学2年生 宮原 桃花

さとのば生ってどんな人?

彼の名前は稲毛 奏斗(いなげ かなと)。
この春さとのば大学へ入学した新1年生です。

出身は奈良県の生駒郡というところで、今年は宮城県女川町をフィールドに活動しています。

女川にある「女川向学館」という放課後スクールでアルバイトをしており、そこでは親しみやすさを込めて、かなてぃーという愛称でこども達と関わっています。

好きなことや関心のあることを#で表してもらいました。

#ご飯食べること作ること #音楽 #コミュニケーション #対話 
#教育 #学び #成長 #伴走 #ハンドボール

音楽がないときついと話してくれて、音楽を聴かない日はないというほど日常に溶け込んでいるようです。

女川の海鮮丼

自分を一言で表すと、外見えは真面目なんだろうな〜と。一方で、内見えだと真面目っぽいけど自分が面白く、変なことしたいひととのこと。

外からみただけではわからない面白い魅力が眠っているのかもしれません!

さて、そんなかなとくんですが、さとのばへ来るまでどんなことをしていたのでしょうか?
さとのばに至るまでの経緯は誰一人として同じ人はいないのですが、かなとくんはちょっとレアなタイプだと思います。
どういうことなのか、順を追ってみていきます。

高校生まで

奈良県出身で、公立の小中高と奈良で育ちました。学年ごと持ち上がりでみんな進学するような、小さなまちでした。
中学校時代はハンドボール部に所属していて、のめり込んでいたと表現するくらい熱中してました。高校進学を考える時には、県外に出てハンドボールの強豪校に行こうと考えていました。しかし、その高校を見学に訪れた際、「ここでは活躍できないなー」と思い、別の道へ進むことに。

「部の雰囲気だとか、大学進学のことも視野に入れた時、その高校の進路の選び方とかを見て違うなって。」

ということで、志望校を方向転換することになり、塾に入って受験勉強を本格的に始めます。海外に興味があったため、外国語を学べる高校を受験しましたが、残念ながら不合格。
結果、学力的に無理のない、自分に合う高校に進学します。
しかし、高校に入った頃、ちょうど新型コロナウイルスが襲来してきます。そう、あの頃です。高校に入ったはいいものの、すぐは休校措置が取られたりして学校に行けない。登校が再開されても名前も知らない、マスクをしているから顔もわからない。

それでもしょげることなく、「自分が今できることをしよう!」という意識は持つようにしていました。

変わらず部活でハンドボールをしつつ、好きな英語の勉強もしつつ、高校2年生の時には、高校生向けのオンラインコミュニティ『project:ZENKAI』に参加しました。
このZENKAIに参加したことは、広く世界をみるためのターニングポイントの一部にもなっているように思います。

慣れないオンラインの環境での課外活動でしたが、そこで目をきらきらさせながら話す大人たちに出会ったことで、校外に出ると、面白いことがいっぱいあるんだな…

静岡まで紹介してもらった人に会いに行ったりして、そこから得る学びもあり、次第に学校だけじゃ勿体無いと思うようになりました。

「ハンドボールと学力の兼ね合いをみて大学のことも考えていたけど、めちゃ学びたい学問が決まってなくて。」

そんな身近なところからずっと英語や海外に興味があったけれど、学びを深めたい学問があるわけでもなかった。けれど、漠然と海外に興味はある。自然と、海外留学という道が見えてきます。

「でも、日本の大学に進学してから海外留学するよりも、そのまま海外に行っちゃった方がいいんじゃない?って思って、高校卒業後、そのまま海外へ行くことを決断しました。」

そんなこんなで、高校を卒業後、単身マレーシアへの海外留学の道を進んでいきます。

しかし、そもそもなぜ海外留学の行き先がマレーシアだったのでしょうか。

マレーシアの街の風景

「海外に長期的に住んだことはなくて。人気のある欧米もいいなとは思いつつ、学費も生活費も高い。行った向こうで学び続けるってなった時に、どうしても費用面がネックになってしまって。」

学部も決まっていない状態でも、ファウンデーションプログラムという海外大学への入学を準備する1年間のプログラムがあるようで(著者初耳でした)、まず1年住めるかどうかを確かめることができるし、リーズナブルであったため、まずはこのコースで学んでみることにしました。

さらに言うと、アジアという大きな括りの中に日本という国が存在して、その日本で生まれ育ってきたけれど、アジアと言われて日本しか知らないというのもどうなんだろうか、と思ったことがマレーシアを選んだきっかけになったそうです。

文化の違いと触れ合ってみたい。
きっと、実際に行ってこの目でみてみたら、アジアという世界に対する解像度が上がるだろうと、そんなふうに。

こうして、割と同級生と比べると早い段階で進路が決まったこともあり、2週間ほどSHIMOKITA CALLEAGEに住んだりもしていました。

SHIMOKITA CALLEAGEとは、東京・下北沢にある「暮らしながら学ぶ」レジデンシャル・カレッジです。レジデンシャルカレッジ…むずかしい言葉ですが、簡単にいうと、毎日が学びになる寮、住人同士でともに学び暮らしている家、みたいな感じに捉えていただけると良いかと。

具体的にはマレーシアでどんな生活を送っていたのかも聞いてみました。

マレーシアへ

数学、英語、コンピュータ、リーダースキル、観光学、経済学、ロジカルシンキング…などなど、日本の大学とそう変わらない、必修と選択の授業があって、幅広い分野を学んでいました。もれなくプレゼンテーションがついてきます。それにプラスして、小テストとペーパーテスト。

授業で多くプレゼンテーションの機会があったというので、だいぶ慣れたのでは?と尋ねると、「だいぶ慣れたけど、即席で英語にしなくちゃいけないから日本語のようにはいかない」と少し苦そうに答えてくれました。

学期末になると、そのプレゼンテーションの課題が「あー、やってくる〜」なんて友達同士で言い合いながら課題に取り組んでいました。4、5つくると、いっぺんにやらなきゃいけなくなるので、大変な部分はもちろんあって。個人で発表するものも、グループで発表するものもあり、お互いにタイムキープしながら練習していました。

科目にはよるけど、大抵20人くらいのクラスで、その場でフィードバックがあるわけではなくて、質問はあったけれど。授業後にどうでしたか、って聞きに行ったりとか。
楽しいは楽しいけど、毎回必死になって課題に取り組んでいました。

ーマレーシアで印象的だったことは?

「生活様式というか、文化が全然違うことは印象的でした。
同じ学校にパキスタン出身の子がいたんですよ。その子は、イスラム教の教えのもと生活していたので、ハラルの許しがないとお肉が食べられなくて。

他だと、トイレとかは驚きでした。マレーシアのトイレは、個室内にトイレットペーパーが設置されていないことがほとんどで、代わりにホースが設置されています。そのホースから出る水で洗い、清潔にします。しかも、用を足した後、自分の身を清潔にするだけでなく、地面も濡らして、「綺麗にしましたよ」というサインを残したり。マレーシアでは水が神聖なものとして扱われていることもあり、全身水で洗ってトイレから出てくる人もいるくらい。」

まさかトイレだけでこんなにエピソードがあるとは笑

開発途上のイメージがあったけれど、普通に日本にあるものよりも高い高層ビルがあったり、時刻表通りにくる電車だったり、交通量が多かったり…多種多様な文化の違いを経験しました。

マレーシアの都市部

さとのばで学ぶということ

お話を聞いていると、とても充実したマレーシアでの留学生活を送っていたように見えるのですが、一転、さとのばへ来た理由とはなんだったのでしょうか。
経緯を含め、きっかけを聞いてみました。

直接的ではないけれど、自分の進路について改めて考えるきっかけになったのはビザの更新のタイミングでした。

ビザを更新するのか?このままここで勉強して卒業するのか?

マレーシアの大学って3年制なんです。このファウンデーションプログラムを卒業して、マレーシアの大学に入学したとして、1年に1回は日本に帰りたいという思いがある。けれど、そうやって試験のために勉強して、長期休暇で休んで、日本に帰ってをあともう3回繰り返して就職するのは、自分で選んだ道だけど、違和感を感じてしまいました。

それって、海外にわざわざ来た意味あるのか?日本の大学生と変わらなくないか?

マレーシアでの就職を考えていたわけではなく、海外の大学を卒業したという箔が欲しいわけでもなく、文化の交流がしたいと思って留学をしました。

面白いと思えることを、100%やれているとは言えない。
価値観の違い、文化の違いに触れるのは楽しいけれど、それで終わってしまう。

どうしたら満足できるのか、自分は何を求めているのか…

そんな時、思い出したのは高校生の時に自分がしていた活動のことでした。自分が移動をすると、偶発的に人に出会うことができるという経験則がありました。なので、キャンパスや会社といった特定の場所に通うだけの生活だと、必然的に人との出会いは減ってしまうだろうなと思って。人との出会いが減ると、文化の交流も価値観の違いに触れることも減ってしまう。

これを満たせる場所が、さとのば大学でした。

さとのばのことはたまたまTwitter、まあ今はXですけど、で知っていて。
高校生の時から、海外にいっている人の情報を仕入れるために使っていて、他の人は知らない最先端を知れるということもあって。
さとのばって、そんなのもあったなぁくらいで思い出しました。
本当にたまたま。

そして、高校生の時に参加していたproject:ZENKAIを介して関わっていたはなちゃん(さとのば大学2年生_佐藤花奈)に連絡をとって話を聞いてみました。そう言えばはなちゃん、さとのばに通ってたなぁというのを思い出して。すごく楽しそうに話していたし。

説明会やオープンキャンパスだけではなく、実際に通っている学生からの話を聞けたらいいなと思ってはなちゃんから話を聞きました。

選択を途中で変えるという経験が今までなく、これで自分の決めた道を途中で変えて逃げ癖がついてしまうのは嫌だな、とは思いました。でも、そのままマレーシアで学び続けても後悔すると思って、さとのば大学へ入学することを決めました。

1年生の推奨地域は秋田県五城目町、宮城県女川町、長野県長野市の3地域。1年目の地域留学先を女川にした理由は、1年生の推奨地域に女川が含まれていて、色々な面で見た時にいいなと思ったからです。

女川駅

地域選びは悩みました。けれど、女川は車がなくても生活しやすそうだし、今現在アルバイトをしている向学館などもそうですが、地域や人の集まりが多くある環境がいいなと思って。HLAB サマースクールも女川で開かれたりと、そういういろんな人が集まる環境に身を置いてみたいという、ある種直感的なところもあり女川にしました。

最近やってみたいな、と考えていることは、「人と協力しながら、イベントを開くこと」。
社会的にインパクトがあってもなくても、たとえ大きくなくてもよくて、まちで何かをやってみたいと考えています。7月に開かれるおながわ港まつりや、10月に開かれる秋刀魚祭りも機会としてはいいなと感じていて、何かお店を出せるなら出そうかな、と妄想中です。

また、中長期的に何かやるというよりも、今目の前にあることを大切にしたいとも語ってくれました。向学館でのアルバイト中に感じる、向学館に来ているこども達が元気に下校してくれたらな。それだけで嬉しい、それだけで充分だと感じるところもあります。

けれど、いつか将来的には自分の箱を持ちたいとも考えています。
そのほうが時間の使い方なども融通がききやすいし、こども達と関わる場を作れるだろうと思うからです。自分のほしい、作りたいと思う場を作ることももちろんですが、誰かにお店を貸すこともできるし、そうすることで自分にも誰かにとっても居場所になるのではないだろうか…。

地域のこどもも大人も色々な人が行き交うような、誰かにとってのあたたかい居場所というか…おばあちゃんがしていた地域の人が行きかう喫茶店、みたいなイメージです。

過去の自分がそういう場所があったらよかったな、楽しかっただろうなという場所を作りたい。かつての自分を、かつての自分と同じような誰かを救いたい

そういう願いのもと、やってみたいことを考えて膨らませています。

最後に

ここまでお話を聞いて、すごく中高生の頃から色々なことをやっているように見えるなぁと感想として伝えてみました。

すると、かなとくん自身は「色々やっている感はあまりない」と教えてくれました。
曰く、学校生活にプラスくらいなもので、留学にしても運良く行けたなくらいな感じに捉えていて、課外活動も学校生活があるからこそ、楽しめるのだそうです。
活動的で疲れないのかと思いきや、課外活動は心を休めるもの、なんだそう。

最後に、メッセージを託してくれました。

1つのコミュニティに属するのは、そのコミュニティでの関係性を深ぼれるからいいけれど、属するコミュニティが多ければ多いほど考え方も頼れる人も増えると思う。
だからこそ、さとのばのこともやりつつ、managaraもやりつつ、向学館でのアルバイトをしつつ、HLAB の運営をしつつの生活をしている。

違うタイプのコミュニティに行けば行くほど関係性も価値観も広がっていく。
これまでも大切だけれど、これからも大切。何事も積極的にいくのが大切だと思う。

それが、さとのばだけでないコミュニティに属している理由です。

女川のお祭りではさとのば生で神輿担ぎ!左がかなとくん

以上、なぜ海外から日本のローカルへ?ー多くの出会いから価値観を広げたい!高校卒業後、単身マレーシアへ飛び込んじゃった人、稲毛奏斗さんでした。


■地域での暮らしを紹介するオープンキャンパスを開催!【7月20日(土)】

今回のオンラインオープンキャンパスでは、通常のオンライン説明会の拡大版として、さとのば生による発表タイムも◎ 新しい学びの形、さとのば大学の学生の姿を見に来ませんか?

https://satonova.org/archives/events/240608

■暮らしながらプロジェクトを実践する、さとのば大学の学びのフィールドは全国各地

さとのば大学では、4年間1年ずつ多様な地域へ留学し、地域での様々な人との出会いや対話を通して自分自身の関心を探り、マイプロジェクトへと繋げて実践していきます。ぜひあなたらしさが活かせる地域を、見つけに行きませんか。

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