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「だめだこりゃ」「だいじょうぶだぁ」


今朝、志村けんさんの訃報を聞いて、しばし呆然としてた。

志村けんが荒井注に代わってドリフのレギュラーになったのは1974年。
ボクは13歳だ。

それから今日まで45年(45年!)、まったく途切れず、ずぅっと第一線で笑いを届けてくれた。

好きなギャグはたくさんあるんだけど、ボクが今しみじみ思い出すのは、実はギャグではない。

1985年に終わった『8時だョ!全員集合』と、その後の特番を受けて、1987年から始まった『志村けんのだいじょうぶだぁ』

これは、師匠でありリーダーであるいかりや長介の決まり文句であり、ドリフの大オチである「だめだこりゃ」への返歌だったと思う。

だめだこりゃ → だいじょうぶだぁ


このタイトルに込めたであろう想いがね、なんかすごい好きで。

時は1981年に始まった『オレたちひょうきん族』全盛時代。

国民的番組『8時だョ!全員集合』は『オレたちひょうきん族』に追い落とされて消えていったんだけど、そしてドリフはほとんど「だめだこりゃ」になりかけていたんだけど、そこに「だいじょうぶだぁ」と叫んで乗り込んでいって、ドリフを救い、ドリフ的笑いを救い、ドリフ・ファンを救った志村けん。

そして、ただ救うだけでなく、ずっと守り続けたドリフの「型」を見事に「型破り」して、飄々と越えていった志村けん。

さすがだなぁ。
鮮やかだったなぁ。

彼がドリフの型破りをしてくれたおかげで、ドリフの笑いは時代遅れの遺物にならなくて済んだんだ。


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麻布十番で、夜、よくお見かけした。

いっつも酔っ払っていた。
でも、その自由な感じは健在で、有名な自分に囚われず、常に自然体だった。

考えたら、晩年もテレビとかで説教臭いことほとんど言わなかったよな。
老害にも全然ならなかった。

さすがだ。
さすがついでに、最後もサラリと逝ってしまった。

なかなかできることではない。


日本人がみんなどこかで新型コロナウイルスやパンデミックを甘く見ている中、彼が亡くなったことで真剣さが大いに増した人が数千万人はいると思う。

そういう意味で、結果的に彼はサラリと多くの人命を救ったのだろう。
そういうところもさすがだな、と思う。


志村けんさん。
本当にありがとうございました。

おかげ様で45年間、とても楽しかった。






古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。