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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇13) 〜洗礼者ヨハネ

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。

いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。


ヨハネとかヨセフとかヨアキムとか、旧約聖書を含めるとヨセフとかヨシュアとかヨナとかヨブとか、えっと他にもいたっけな、まぁとにかくなんつうか、

「ヨ」ばっかり!


新約聖書の登場人物で言えば、イエスの父がヨセフで、マリアの父がヨアキムだ(ついでに言うと、イエスをヘブライ語読みするとヨシュアだけど)。

しかも、面倒くさいことに、ヨハネは2人いる。


今日から数回にわたって紹介する洗礼者ヨハネと、12使徒のうちのひとり、使徒ヨハネだ(福音書を書いた4人のうちのひとり記者ヨハネは、使徒ヨハネと同一人物とされる)。

ふたりを区別するために、特に今日紹介する方のヨハネは頭に「洗礼者」「バプテスマ」などをつけることが多い。

英語だと「John the Baptist」だ(そう、ヨハネを英語で書くと、Johnなのだ。ヨハネ・レノン。ずいぶん雰囲気が違うw)。

※ コメント欄で教えていただいたが、正確に言うと、新約聖書でヨハネは5人出てくるそうだ。
このふたり以外に、マルコと呼ばれるヨハネ(使徒の働き12章12節) 、ペテロのお父さんのヨハネ(ヨハネの福音書1章42節) 、大祭司の一族の中の一人のヨハネ(使徒の働き4章6節)の3人。
ただ、アートを知る、という意味では、洗礼者ヨハネと使徒ヨハネ(記者ヨハネ)を知っておけばいいかと思う。


で、洗礼者ヨハネ。
この人何者かというと、イエスに洗礼を授けた人、である。

つか、洗礼ってなんだっけ?


いや、聞いたことある。洗礼名とかね。
あと、なんか水かけるんだよね。それもわかる。
でも正確に説明できないので、知っておこう。

ざっくり言うと、「洗礼とは、改宗者をイスラエルの一員として受け入れる儀式の一部」だ。この時点では、ね。もっと時代が行くと「キリスト教の一員になる儀式の一部」になる。

全身を水に浸す浸礼と、頭に水をかける滴礼があり、異邦人の汚れからの清めを象徴する。旧約聖書で出てきた油を注ぐ(=メシア)とは全然違う儀式なわけだね。

で、洗礼者ヨハネは、修行の末、洗礼に新たな意味をつけたらしい。

つまり、改宗者だけでなく、ユダヤ教を信じるユダヤ人ですら「罪の汚れ」によって、神の民と呼ばれる権利を失ってしまっている。

だから、すべからく洗礼をして、罪を悔い改め、新しく生まれ変わる必要がある。

洗礼は悔い改めた者に対する神の赦しの証拠である。


と、洗礼者ヨハネは説いたのである。


そんな根源的なことを説いて回ったせいか、洗礼者ヨハネは「あなたさまこそが、あの、旧約聖書に書かれた救世主さまなのですね!」ってみんなに言われる。

でも、彼は否定する。

「いや、私など足もとにも及ばないお方がもうすぐ現れる」

・・・そして、イエスがやってきて、ふたりは出会い、洗礼者ヨハネはイエスに洗礼を授けるのである(なぜイエスが洗礼を望んだか、などは次回)。


というか、このふたり、親戚だ。

親戚で、同い年。
洗礼者ヨハネのほうが6ヶ月年上。

図にするとこんな感じ。
まぁイスラエル民族自体が、すべてイスラエル(ヤコブ)の血筋なので広い意味で「親戚」ではあるんだけど、イエスの母マリアと洗礼者ヨハネの母エリサベトはいとこ同士なのだ。

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で、図に書いたように、実は、洗礼者ヨハネの両親も、マリアと同じように大天使ガブリエルに受胎告知されるんだな。

そのストーリーを簡単に書くとこんな風だ。

エリサベトと夫ザカリアはもうかなりお歳で、跡継ぎを諦めていたんだけど、ある日、夫ザカリアの元に天使が現れて「エリサベトが男の子を生むので、その子にはヨハネと名付けなさい」という受胎告知が行われる。

「ちょ、いや、あり得んし! だってうちの奥さんいったい何歳だと思ってるんすか? プププ」


思わずザカリアは笑ってしまう。
そしたら大天使ガブが怒ること怒ること。

「信じないならそれもよし。ただし生まれるまでお前はもうしゃべれない!」

って、ザカリアの声を出ないようにしてしまう。

・・・いいなぁw
久しぶりに旧約聖書っぽい「理不尽な怒り」を見たw
(なんか旧約聖書のあのむちゃくちゃな理不尽さがなつかしくて)
(というか、旧約聖書の「三人の天使が90歳のサラに受胎告知に来るエピソード」をちょっと思い出すね)


ドメニコ・ギルランダイオが、ザカリアの元に現れた大天使の姿を描いている。ザカリアは祭司をしてたんだな。

ちなみに周りに描かれた人々は、フィレンツェの有力市民や文化人たちだそうだ。リアルに出演している「おべんちゃら系」の絵なのだね。細部まで異様に凝ったいい絵だけどね。

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で、実際にエリサベトは妊娠する。

数ヶ月遅れで、マリアも大天使ガブリエルから受胎告知を受けていて、妊娠する。

で、マリア、ガブちゃんから「エリサベトも妊娠し、すでに6ヶ月だ」と教えられて、「あら、いとこのエリサベトも! ちょっと挨拶がてら会いに行こうかしら」ってなもんで、マリアはエリサベトに会いに行く。

この「ただ会いに行っただけの日」が、キリスト教において祝日(5月31日、もと7月2日)になっているというから驚きだ。

ちなみにマリアはわりと長逗留し、エリサベトが洗礼者ヨハネを生むまでここにいたらしい。


この場面、いくつか絵を見てみよう。

カール・ハインリッヒ・ブロッホ
わかりやすく年齢差がわかるね。そうエリサベトはかなりおばあちゃんで、だからこそ夫ザカリアは「いや、あり得んし!」って笑ったわけだ。
マリアの横には純潔の寓意である白百合がある。

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ジャック・ダレー
エリサベトがマリアのお腹を触っている。
マリアが会いに来たとき、エリサベトの胎内の子(洗礼者ヨハネ)は躍ったという。
左にいるのは口が利けなくなった夫ザカリアだろう。お気の毒。

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セバスティアーノ・デル・ピオンボ
一瞬オトコかと思ったらエリサベトだったw
奥から急いでザカリアがやってくる。

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アルベルティネッリ
シンプルな構図できれいな絵。
このときふたりのお腹に、のちに世界を変えるイエスと洗礼者ヨハネがいるわけだ。それ前提でありがたくこの一連の絵を見るべきなんだろうね。

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ギルランダイオ
後ろのふたりにも光輪があるということは、大天使たちかな。

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で、洗礼者ヨハネが生まれる。

命名の日(生まれて8日目に割礼をして名前をつける)に親戚全員がこの地方の慣習から「父の名をとってザカリアと名付けるべきよ」と主張したけど、エリサベトは「いえ、この子はヨハネと名付けます」と言い切る。

夫ザカリアから筆談で事の経緯を聞いて知っていたんだな。

親戚一同「ヨハネ? なんでよ」と反対するんだけど、口が利けないザカリアが、筆写で「命名 ヨハネ」とか書いてみんなに見せ、有無を言わさず名前がヨハネと決まる。

で、決まった途端、ザカリアの口が利けるようになるw
そうか、許してもらえたんだ。
よかったね、ザカリア。

アルテミジア・ジェンティレスキ
左端でザカリアが「命名 ヨハネ」って書いてるw
手前の産湯の用意をしている4人の中でどれがエリサベトだろう。もうかなりお歳なはずだから、右から3人目かなぁ。
いや、意外とザカリアの後ろの暗がりでお腹を「痛かったわぁ」ってさすっている女性がエリサベトかも。
もっと言うと、右手前の人が青い服を着てるから(生まれるまで逗留したという)マリアかもしれない。光輪がないけど。

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ファン・デル・ウェイデン
とてもいい絵。奥に寝ているのがエリサベトなので、手前で洗礼者ヨハネを抱いているのはマリアだろう。光輪もあるし。
で、横でザカリアが筆談で「ヨハネと名付けます」と伝えている。

マリアの後ろには後年のイエスと洗礼者ヨハネ(十字架の杖を持っているのがヨハネ)が彫られている。このアーチ、よく見るとストーリーが彫られているようだ。正確にはわからないけど、イエスが生まれる将来のストーリーのようだ。

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ちなみにこの絵、三連祭壇画の左端。
真ん中は次回の「洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼」、右端は「洗礼者ヨハネの処刑」だ。

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ちなみにこのあとマリアはナザレに帰ってしまう。
なので、幼子イエスと幼子ヨハネは出会っていない。

でも、まぁこんなエピソードがあったことあり、解釈としては「兄弟みたいなもの」と捉えるのだろう、以前とりあげた聖母子像では、イエスと洗礼者ヨハネはよくいっしょに描かれた。

この回で多く取り上げたので見てみて欲しい。
1枚だけ再掲しておこう。

ラファエロ「牧場の聖母」。
左が洗礼者ヨハネ。マリアがヨハネを慈愛の眼差しで見ているのがなんかグッとくる1枚。それにしてもシンプルかつ堅牢な構図だ。

1506 Madonna del Prato のコピー-min



さてと。

生まれたあとの洗礼者ヨハネについて、聖書では「幼子ヨハネは、身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前にあらわれるまで、荒野にいた」と書いてあるだけだ。

そう、彼はなぜか荒野に出て修行する。
もしかしたら、年老いたエリサベトとザカリアは亡くなってしまい、天涯孤独になったのかもしれない。

そして、イエスの先駆けて道を説き、救世主の出現を予告する。


ジョヴァンニ・ディ・パオロ
町の城門を出て山を抜け、荒野へと向かうまだ少年な洗礼者ヨハネ。
山というより試練の門みたいな感じだ(こういう割けた岩山は旧約聖書でもよく象徴的に出てきたね)。

右手前の箱庭のような田園風景がこれまた象徴的でかわいい。

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彼は、各地を放浪しながら、人々に神の審判が下ることを説いて歩く。

冒頭のほうで書いたように、人々はヨハネこそが救世主だと勘違いするが、ヨハネは丁寧にそれを否定し、もうすぐもっと力がある人が現れる、と説いていく。「私はかがんでその方の靴の紐を解く値打ちすらない」と。

・・・いや、自分に置き換えると、思わず「ん? う、うむ。わしこそが救世主であるぞ」とか言っちゃいそうだ。

だって、荒野の名も知れぬ民相手なわけですよ。
しかも、イエスと同い年ということはまだ10代〜20代。自己中で慢心ざかりの年代だ。なんか自分を大きく見せたい年頃じゃん。

なんか自己顕示欲とか出ちゃうよねぇ・・・。

なんと謙虚で、なんと冷静で、なんと無私な、気持ち悪いほどよく出来た青年ではないか。

そして彼はイナゴと蜂蜜だけを食べ、ラクダで作った粗末な腰巻きを着て、葦で作った十字架の杖をつきながら荒野を彷徨う。


今回は、その「少年期〜青年期の洗礼者ヨハネ」の絵をもう少し見て終わりにしたいと思う。

まだちょっとふっくらしているころの洗礼者ヨハネね。
このあと、やせこけ、苦行者そのものになり、次回、30歳になったイエスが唐突に洗礼者ヨハネの元に現れて、彼に洗礼を請うわけだ。

ここでようやくふたりが出会う(すぐに別々の道を行くのだが)。


まず、今日の1枚。

レオナルド・ダ・ヴィンチの超有名な絵だ。

有名だから今日の1枚にするのではないよ。
なんだろう、この微笑みはなんだろう、ってここ数日考えて、わかったようなわかんないような、いろんな思考が生まれてはまた消えして、ずっとこの絵の前にいた。それを持ってして「今日の1枚」としたい。やっぱヒトを長くその前にいさせる絵を、ボクはとても好きみたいだ。

で、いまだにわからない。この微笑みがなんなのか(まぁ研究者たちが何世紀も考えていることなので数日でわかるわけもないのだが)。

深読みし、シンプル化し、また深読みし、と堂々巡り。

ねえ、みなさんはどう思う?

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これはダ・ヴィンチの実質的遺作。
これと『モナリザ』、そして『聖アンナと聖母子』の3作は、ダ・ヴィンチが生涯手元に残し、手を入れ続けた作品と言われている。
そして有名なスフマートと呼ばれる手法の完成形と言われる絵のひとつでもある(輪郭線を用いず、光と影の効果だけで立体を表現する手法)。


それにしても、この微笑みは謎めいている。

この顔に意味はない、単に美しさを狙った、みたいな論も見るし、愛人関係にあった弟子をモデルにし、洗礼者ヨハネは単なるモチーフで、実質その弟子を描いたとする説もある。

でも、まぁ素直に受け取れば、天を指さし「救世主の到来」を予告しつつ、「おめでとう、恵まれた方々よ。救世主が現れますよ」と、画面のこちらにいるボクたちに語りかけているように思える。

でも、そんな単純な絵じゃない気がするなぁ・・・。

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なんかモナリザと同じように、目が笑ってないよね。

アップにして角度を変えるとよくわかる。
すべてを見透かすような、冷徹な目・・・。

ダ・ヴィンチは、あれだけの万能選手な天才なのに、性格的に「やりとおすことができない人」だったらしい。いや、傑作を何点も残した時点でもう充分やりとおしていると思うけどね。でも本人はそう思って内省し続けていたという。

彼はデッサンの片隅や手稿に、こんな言葉をくりかえし走り書きしていたらしい(※ケネス・クラーク 『レオナルド・ダ・ヴィンチ 第2版』より)。

「教えてくれ、これまで何かやりとおしたことがあるかどうか」


・・・いやぁ、自分に厳しい。

晩年のダ・ヴィンチは、この絵を売らずに持ち歩き、何度も描き足したという。

つまり、「この洗礼者ヨハネは、彼自身の心を突き刺す内省の表現なのではないか」とも思う。これを見ながら自ら猛省し、自分を奮い立たせたのではないか。


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「レオナルド。あなたはこれまで、何かをやりとおしたことがあるのですか?」


・・・お〜怖っ!


というか、そう考えてくると、もう1枚持ち歩いた「モナリサ」の絵も、あれは彼女の悲しみを描いているのではなく、ダ・ヴィンチ本人への冷たい視線なのかも、と、ちょっと思った。



ええと、ここで堂々巡りしていても仕方がない。先に進もう。


アントン・ラファエル・メングス
葦で作ったという十字架の杖と、ラクダの毛で作った粗末な衣服は洗礼者ヨハネの記号だ。
しかし謎なのは、なぜ洗礼者ヨハネはこんな修行に向かい、そんな思想に辿りついたかだ。神の言葉を受けたのだろうか。どこにも書いてない。ヨハネは謎に満ちている。

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ブロンズィーノ
マニエリスムの巨匠。ちょい色白すぎで軽薄すぎで女たらしすぎw
いやぁグラビアヌードなんてなかった時代、この絵は淑女たちにとってとても扇情的だった気がする。

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クリストファーノ・アローリ
いい絵だね。こういう青年、いるよね。なんか指さしたりしてないさりげない感じがいい。

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アンドレア・デル・サルト
まだ少年の面影を保っている洗礼者ヨハネ。なんかとてもいい表情だ。

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ジョシュア・レノルズ
いや、ちょっと少年すぎw こんな年齢で荒野に出たら野垂れ死ぬぞw
でもいい絵だね。レノルズは少年を描かすとうまいなぁ。
仔羊もわりとよく描かれる記号。

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ゴヤ
なんかリアルな中3って感じだね。
杖のところの文字はなんて書いてあるんだろう。グーグル翻訳のカメラで写して見たら「交流」って出たw なんだ?w

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さて、今日はそろそろオシマイ。

カラヴァッジョ劇場でオシマイにしよう。

いや、なんだろう、巨匠カラヴァッジョ、洗礼者ヨハネが好きだったのかな、いろんなポーズを描いている。なんなんだ、ってくらい描いている。

ちなみに、「」内は題名ではありません。なんとなくセリフをつけてみただけ。別に笑いも狙ってません。

ということで行ってみよう、カラヴァッジョ劇場。


「なんか今日も疲れたな」

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「水飲んで、お口くちゅくちゅして、もう寝ちゃおう」

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「寝る。もう寝るよ」

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・・・「そんでもって起きたよ。もう朝だ」

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「よっこいしょ。うぅ朝日が眩しい。つか、なんか腰痛いし」

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「さーて、メリーちゃん、今日も行こうか」

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「・・・えー、なによー、メリーちゃんとわちゃわちゃしているところ見ないでよー」

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・・・最後がなんか変すぎるけどw

いや、よくわからんw
なんでストイックの塊である洗礼者ヨハネをわちゃわちゃにしないといけないのか・・・。

犯罪者で自堕落な生活を送ったカラヴァッジョ、もしかしたら「苦行という超ストイックな人生」を選んだヨハネに、少し人間らしさ(喜び・営み)を足してあげたかったのかもしれないな、と、ちょっと思った。

もしくは定型を壊すことでウケを狙っただけなのか・・・。


ということで、なんか洗礼者ヨハネの人生っていろいろ考えちゃうとこあるんだけど、次回もその後のヨハネを追ってみる。

次回は「イエスの洗礼だ。

荒野の説教で話題になり、人が集まってくる洗礼者ヨハネの元に、イエスがやってくる。



この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら

※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

※※※
この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。





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