聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇5) 〜「原罪と楽園追放」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、いわゆる芸術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないとよく理解できないもの多すぎません? オマージュなんかも含めて。ついでに小説や映画なんかも含めて。
それじゃ人生つまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
まずは、今回の1枚。
楽園追放で一番有名な絵だ。
マザッチョの『楽園追放』。
今日紹介する他の絵と比べても、悲しみ度合いは最高峰だ。
特に印象的なのはエバの顔。
強烈に悲しんでいる。
ただ、エバが「木の実、食べてみよーよ。食べちゃっても大丈夫だよ」って積極的に誘ったわけで、それを前提に見ると「うそ泣きするタイプ」に見えなくもないなw
自分からやっといて、大仰に泣いて「私が悪いんじゃないもん!」って言い張りそうなタイプ。
そして、アダムはあくまでも情けない。
完全に尻に敷かれるタイプである。
あとでエバに「なんであのときもっと強く止めてくれなかったの!」とか理不尽なこと言われて、しかも「・・・ごめん」とか謝っちゃうタイプだ。
さて。
ここまでの話を超カンタンに要約しておくと、
天地創造した神は、土のちりからアダムを、アダムのあばら骨からエバを造った。
ある日、エデンの園で仲良く暮らしていたアダムとエバは、神に「善悪の知識の木の実には触っても食べてもいけない」とよくよく言われていたにもかかわらず、蛇の「YOU、この木の実、食べちゃいなよ、死にゃーしねーよ」というそそのかしに乗って、エバがその実を食べてしまい、エバに誘われてアダムもうっかり食べてしまう。
その実は「何が善で何が悪かを(神でなく)人間が自分で決めることができる善悪の知識の木の実」。
つまり神に従うのではなく、自分で判断できちゃう、ということである。それは「神への叛逆」なのである。
という流れ。
で、前前前回は天地創造、前々回はアダムとエバの創造、前回は蛇の誘惑を取り上げてきたわけです。
で、蛇の誘惑を受けて、エバがアダムをそそのかす。
このあたりが、プッサンの『春(地上の楽園)』に描かれている。
この絵の中にはもう蛇はいない(いるのかもしれないけどボクは見つけられなかった)。
だから、すでに木の実を食べたエバが、明確にエバの意志で「大丈夫だってば! いまなら主は見てないって! ほら、おいしいよ、あなたも食べて」とアダムを誘っているのである。
(神は右上を飛んでいて、エバたちに気がついていない。ちょっとマヌケ)。
すべての女性の始祖がエバなわけだけど、このあたりの「女性に対する目線」は旧約聖書でわりと一貫していると感じる。
なにかと女性が狡猾に描かれる。
特に今日はそんな絵が多いなぁ、と思う。
ま、とにかく二人して食べちゃうわけですね。
ここが「キリスト教の基本的な考え方」になるみたいなのだけど、「善悪の知識の木の実」を食べたこと自体が「原罪」で、アダムとエバの子孫である人類は全員その罪を背負った、ということ。
そして、キリストが救世主となって人類の罪を償った、ということらしい。
ただ、「原罪」については、それはそれは「膨大な量の解釈」が存在する。そして、このことだけを一生考え続ける人だってたくさんいる。
ここでボクが浅薄なことを話してもひとつもいいことはないので、上の考え方を紹介するだけで、さっさと次に行きたい。
もう少し知りたい方は、簡単にまとめてあるWikipediaあたりからどうぞ。
で、ここからはこんなお話。
読むとより絵が楽しめるので、読んでみてください。
木の実を食べたエバとアダムは、急に裸が恥ずかしくなり、局所をいちじくの葉っぱで隠す。
禁断の木の実を食べたことが神にばれ、神が怒る。
アダムは「エバのせいなんです!」と責任転嫁し、エバは「蛇に騙されたんです!」と責任転嫁する。
神は全知全能だ。つまりそんなことお見通しだ。怒りは収まらない。
蛇は「野のすべての獣のうち、もっとも呪われる。生涯這いずりまわり、ちりを喰らう」と言われる。
エバは「おまえの産みの苦しみを大いに増す。おまえは苦しんで子を産む。それでもおまえは男を求め、男はお前を支配する」と言われる。
アダムは「おまえは生涯、苦しんで地から食物をとる。大地はおまえに対して、いばらとあざみを生えさせ、おまえは顔に汗してパンを食べ、ついに土にかえる」と言われる。
そして、神は天使ミカエルに命じて二人をエデンの園から追放し、命の木を守る為にエデンの東側にケルビムと炎の剣を置いた。
エバとアダムのどっちのほうが罰がきつい、とかいう無益な言及はしないけど、ざっくり、エバは男女関係方面の罰、アダムは生存方面の罰、という印象。
ただ、エバの子孫である「現代の働く女性たち」は、産みの苦しみがある上に、自ら男を求め、男に支配され、しかも今やアダム的な生存方面の苦難も引き受けている、ということ。
いや、なんか不平等すぎて笑う。
せめて男が「女に支配され」るくらいじゃないと見合わないなw(ざっくり時代はそっち方向に進んでいるとは思うけど)
この辺りの不平等さについては、『聖書物語 旧約篇』(山形孝夫著)という本に、こんな記述があった。引用する(太字佐藤)。
すでに、お気づきのとおり、女性の出産時の苦しみを、神の懲罰あるいは苦役として語る創世記3章の神話には、女性の性愛それ自体を呪われたものとみる家父長制社会のイデオロギーが、少しの粉飾もなく、赤裸々に表現されている。これは創世記だけではない。旧約聖書全体を一貫する「父の家」の論理である。これがいかに女性を傷つけ、女性を呪縛しつづけてきたか。
このことは、多くのフェミニストが指摘するところであるが、物語の底にあるのは、女性のセクシュアリティに対する、あからさまで執拗な脅迫であり、攻撃である。
それが逃れようもない神の断罪の言葉として宣告されているところに、計り知れない凄みがある。
これも、すでにお気づきのように、こうした事件の結末は、女性がいかに不完全な存在として創られたかを予感させる創世記2章の「女」(イシャー)の誕生物語に、あらかじめ巧妙に仕掛けられていたのである。
うむうむ。同意。
ちょっと女性蔑視視点が多すぎるように感じる。
さて。
ちょいと気になるのは、エバの罰の「それでもおまえは男を求め」の部分。
なぜ気になるか、というと、この「禁断の木の実」まわりの絵画が妙にエロチックなのだ。
つまり、「禁断の木の実」とは、実はセックスのことなのではないか、ということを少し追ってみたい。
一番エロチックな絵画は、クリムトの『アダムとエバ』
これ、楽園におけるアダムとエバを描いたというより、エバをファム・ファタール(宿命の女)として描いているように思う。
エバにそそのかされて、アダムは楽園を追われる。
破滅を予感しながらも、アダムはエバと「失楽園」に落ちていく。これはファム・ファタールそのものだ。
たぶん、この絵は木の実を食べた直後で、まだ神に見つかってないところではないかと思う。つまりセックスを知った直後ではないか。そう思わせるくらいはエロチックだ。
頬を上気させているエバ。
陶酔するアダム。
アダムの下半身がヒョウ柄になっているのも何かを感じさせる。
そして、普通ならアダムとエバは対等に並ぶのだけど、ここではアダムがぐっと後ろに引いて、エバの主導が感じられる。
ちなみに、未完成の作品なので、エバの両手はまだきちんと描かれていない。そこも妙にエロチック。。。クリムトさん、迷ったね。
ちなみにね。
東京神学大学学長だった桑田秀延氏はこう言っている(本「真の愛を求めて」より)。
「原罪、特に禁断の木の実をとって食べたということは、普通、性に関係がある、と言われるのです」と。
ううむ。
まぁいろんな解釈があるのだろうけど。
でも、「聖職者が独身(童貞・処女)を貫く」ことも、無関係ではないのかもしれないな。
巨匠たちも、かなりエロチックな絵を描いている。
まず、巨匠ティツィアーノ。
これ、エバが「木の実をもいで食べちゃおうよ」と誘ってるところ。
そしてアダムは「やめろやめろ」と手を伸ばしているわけだけど、手があからさまに胸に向かっている。
これ、エバが性的なことを誘っている、つまり禁断の木の実とは性的なことである、ということを示唆しているとも読み取れないだろうか。
上の絵に触発されて模写したとしか思えない絵を巨匠ルーベンスも描いている(下の絵)。
やはり手は胸に向かっている。
そして、ティツィアーノの絵よりも、アダムの視線がより胸に近づき、前のめりだ。遠くから見ると胸を見ているようにしか見えないw
エバは完璧な模写だ。
でもアダムはちょっと前のめりに描きかえている。
やはりこれも・・・性的に誘われている、ということを示唆しているのではないかな。
※ ちなみに、ティツィアーノの絵もルーベンスの絵もエバの足もとにはキツネがいる。これは「狡猾さ」の寓意だろう。
そして、ルーベンスはアダムの背後にわざわざオウムを足している。オウムは人間の声をマネする鳥だ。つまりその寓意は「言葉の内容のなさ」だ。
「やめろやめろ」と言いながら、心は裏腹、ということか。
要するに「押すなよ、絶対押すなよ」と言ってるダチョウ倶楽部的なことですなw ダチョウ倶楽部、深い。
次に、巨匠ミケランジェロの絵も、そうかもなぁ、と思う。
お下品な話になるけど、アダムの腰の位置とエバの顔の位置。
画家は構図を熟考して決めるので(特に巨匠)、こんな不自然な体勢に描く理由が何かあるはずだ。
やはり性的なことを示唆していると、ボクは思う。
ちなみに、上の絵は「部分」で、全体は下。
このシリーズで何度も取り上げているシスティーナ礼拝堂の天井絵だ。
天井全体で言うと、この絵は「6」になる。
絵の右側の「楽園追放」の場面をアップすると、下になる。
天使ミカエルにつんつんされながら追い払われているw
でね。
まぁそんなところばかり見ているわけではないんだけど、アダムのペニスが、同じ絵の左側の「蛇の誘惑」の場面と比べるとずいぶん小さい。
というか、前々回で取り上げた『アダムとエバの創造』での「アダムのペニスがお粗末すぎ問題」を振り返っても、あのころのアダムのペニスの極小さに比べて、「蛇の誘惑」の場面だけサイズが違う。
これはどう考えても何かを意味している気がするな。
お下品だけど、わかりやすいように、並べてみる。
「アダムの創造」→「蛇の誘惑」→「楽園追放」の順。
もちろん、緊張するとペニスは縮むので、(楽園での)弛緩と、(楽園追放の)緊張を描いているとも言える。
ただ、ミケランジェロは、絶対に意識して描き分けている。なんとなくこう描いたなんてことはない。それだけは確かだ。
シャガールは、相変わらず美しくも幻想的だ。
どうとでも解釈できる絵だし、もっとくわしい人は違う解釈するかもだけど、追放するために追っている天使ミカエルの背景で流れている青い線。この青い線の左端に抱き合っているふたりがいる。
この青い人間は「サタン」と取ってもいいし、(青い線がつないでいることを考えると)追放されるに至った原罪と取ることもできるかと思う。
まぁもっと何度も何度も見て考えたくなる絵ではあるのだけど。
・・・ということで、ちょっと原罪の「性」方面を追ってみたけど、この解釈が正しいなんてまったく思っていないので、議論はご勘弁ください。
ただ、いろいろな絵からそう取ってもおかしくないのかなぁと思わされた、ということです。念のため。
でも、こうやって妄想的に絵を見るのって楽しいw
ということで、もう少し他のを紹介していこう。
シャルル・ジョセフ・ナトワール『楽園から追放されるアダムとエバ』。
アダムが必死に謝っている珍しい絵だ。
ウケるのは、蛇がこっそり逃げてくとこw(エバのうしろ)
アレクサンドル・カバネルのは、左下にいる蛇(サタン)が超悪い顔しててウケる。
ちなみに、神が引きつれているミカエル(神から見て左)とケルビム(神から見て右)。
この絵、わかりやすいな。ケルビムの炎の剣はこれが一番イメージ近い。
ドメニコ・ザンピエーリ。
これ、ミケランジェロの『アダムの創造』の神の姿をそのままパクって(オマージュして)描いているな。あの神の姿が本当に世間的インパクトがあったんだと思う。
そして、アダムの情けない責任転嫁と釈明w
いや、エバをかばってやれよ。
オッタヴィオ・ヴァンニーニ。
炎の剣を持ってるからケルビムかな、もう斬りかかる寸前だ。アダムとか「ちょっ」ってなってる。
ギュスターヴ・ドレ。
これは版画。でも天使の恐ろしさは一番出ているかも。怖いよ天使。
ジェームズ・ティソ。
これ、追い出しているのではなく「近寄るな」「あっち行け」って言ってるね。このテーマでのこういうパターンの絵は珍しい。
そして聖書通り、アダムとエバは皮の服を着ている。
というか、ケルビム、偉い天使なのだけど、ちょっと労働者風リアリティがあって笑える。
トマス・コール。
これも珍しい構図。
というか、美しいね。
クリックして拡大すると、小さく小さくアダムとエバが見えるはず。
右側のエデンの園から追い出され、左側の嵐吹きすさび河川は氾濫し火山は噴火する荒涼たる世界へと入っていく。
エデンの園の入口(出口?)の描写も、おもしろい。
ちょっと「エデンの園という守られた子宮」から出てきた感がある。
あ、そうそう、アダムとエバはそれぞれ責任転嫁をしたじゃん?
それをわかりやすすぎる感じで描いた絵があるので、こちらも紹介しておこう。へんてこな絵だけど。
マイスター・ベルトラム作。
アダムとエバが「いや、エバが」「いや、蛇が」って指さしてるw
ちなみに、アダムの左手はやっぱり示唆的w
彫刻も一対だけ。
ロダンの地獄の門の左右に配されているアダムとエバだ。
(写真は国立西洋美術館の松方コレクション)
最後に「アダムとエバの一連の物語」をまとめたような絵があるので、それを紹介してオシマイにする。
ボクの中では「エロ親父」(しつこいw)、ご存じクラナッハの『楽園』。
中央に「生命の樹」がある。
これ、順に並べるとこういうストーリー展開になっている。
1. 土のちりからアダムを造った。
2. あばら骨からエバを造った。
3. 神がふたりを祝福している。
4. 蛇の誘惑。
クラナッハはアダムを「困ったなぁ」ってポーズで
描くのが好きw(前回参照)
5. 裸を恥じて隠れるふたり。
上に神の顔だけ浮かんでて「見とるで〜」ってなってる。
6. ミカエルに追われるふたり。
おまけ。
ヨハン・アントン・ランブー『楽園追放後』
遠くに追放されているところが描かれ、前面では追放後の生活が描かれている。
アダムは苦しんで地から食物をとるという罰を受けている。
エバが両手にしているのは、子どものカインとアベルっすね。
ということで、次回は、人類初の殺人事件となる「カインとアベル」についてやります。
※
このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
※※※
この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。
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