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想像力を急速解凍してくれる映画『バロン』

いままで観てきた映画の中で、自分的に「座右に置いておきたい映画」を少しずつ紹介していくコーナーです。


この映画、好きすぎ。

現実と非現実が交差する「おとぎ話」なんだけど、実に凝った作りで、こういう荒唐無稽なものこそ一生懸命凝って作らないといけない、の典型だと思う。

とにかく細部までしっかり凝って作ってあって、観る度に新しい発見がある。

筋はまったくもって荒唐無稽なんだけど、きちんと人生が描かれていて軽いだけの映画ではない。夢と現実のメリハリがとてもきいている。

素晴らしい夢だけに終わらず、醜い現実だけにも終わらず、「人生なんでもあり」みたいな肯定的な態度が全編に流れている。それでいて楽しいことに飽き飽きした怠惰なムードもちょっとあって・・・

観る度に、笑い、拍手し、しみじみし、うっとりし、前向きになり、そして人生捨てたもんじゃない、と思わせてくれる名作だ。

そしてなにより、「想像力」を急速解凍してくれる。
忙しい日々のくだらないルーティンで凍りかけた「想像力」が、この映画を観ることでみるみる解凍される。

「わたしには想像力があるんだもの」と自分を励まし続けてニコニコ生きたのは赤毛のアンだけど、ボクも「想像力」こそ人生を一番豊かにするKEYなのではないかと思う。

そういう意味でそれを強めに刺激してくれるこの映画は、ボクにとって「おくすり」みたいなもの。ちょっと「想像力」が凍っているなぁ、と思うときは「バロン」でも服用するか、って感じでこの映画を使用する。



この「バロン」、原作はドイツ民話『ほら吹き男爵の冒険』。
それを想像力を駆使しまくって映像化したもの。

ボクはこの映画を観た後に原作を読んだのだけど、たとえば「浦島太郎」や「かぐや姫」なんかをテリー・ギリアム監督が金かけて映像化したら面白そうじゃないですか。
そういう「おお、この場面はこういう風に映像化したか!」「うわ、テリー・ギリアム、こんな発展のさせ方をしてるのか!」みたいな楽しみが随所にあった。

ある意味、テリー・ギリアム監督との想像力比べみたいな映画だなぁ、と思う。


テリー・ギリアムは言わずと知れた「モンティ・パイソン」メンバー。

イギリス人ばっかりのメンバーの中で唯一のアメリカ人だった彼は、イラストなどで異様な才能を発揮していたものの、当時はあんまり目立っていなかった印象なんだけど、映画監督になってから大ブレイクした。

「バンデットQ」「未来世紀ブラジル」「フィッシャー・キング」「12モンキーズ」・・・(どれも好き。特に「フィッシャー・キング」)

どれも現実と非現実の境目があいまいで、ある種の狂気についてのお話だなぁ、と思っていたらテリー・ギリアムはあるインタビューでこんなことを言っている。

僕がずっと同じ映画ばかり撮り統けてるみたいにみんな言うんだ。自分ではコンスタントに変わってきたと思うんだけどね(笑)。
確かに僕を魅了し僕にとり憑いている幾つかのテーマがあるのは認める。
時、狂気、その受け止め方、近くの問題。
未だに時も世界もその正体をつかめていない。あらゆることが僕には不可解なままだ。
で、そうしたものと戯れている。
言えるのは何が現実で何が現実でないのか、そうした知覚、認識、理解が人の中でどう機能し、作用するのかを突き止めようとしてるってこと。
人の感情的な関わりだけを扱っているものの方がわかり易く、気持ちいいとみんなは受け止めるようだけど、その背後にあるもの、そこまで観客を連れて行きたいと僕は思う。

ここですね。
この言葉に、この映画のテーマは全部入っているような気がする。



さてこの映画。
75億円の制作費と1000人を越すキャストでローマのチネチッタ・スタジオ(フェリーニで有名ですね)で撮られたらしいけど、役者陣も実に充実している。

主演のジョン・ネビルはさすがの貫禄。
歳とって疲れ果てた時の表情がまたものすごくいい。

モンティ・パイソンのメンバーのエリック・アイドルもとてもいい味出している。脇役なのにすごい存在感。

モンティ・パイソン仲間と言えば、テリー・ギリアム監督と脚本を共作しているチャールズ・マッキーワンもそう。彼は千里眼のアドルファス役で出ている。

彼らの脚本の作り方としては「ギリアムがマッキーワンにアイデアを出し、マッキーワンがそれを脚本化する。そして二人でそれを検討し、またマッキーワンが書き直す」というもの。
言葉はマッキーワンが。映像はギリアムが。そう、まさに彼がいなければ一連のテリー・ギリアム映画は出来なかったわけだ。

忘れてならないのがヴァルカン役のオリバー・リード
鼻息荒いゴッドの役にぴったりはまり、その怪演ぶりで周囲を圧倒している。

ユマ・サーマンもよかったなぁ。
「パルプ・フィクション」でブレイクしたけど、デビューは「バロン」の前年。この映画での彼女の美しさはまだ初々しくて非常に好き。

スティングがチョイ役で出ていたり、あのパーカッションの鬼才レイ・クーパー(大好き!)が体制側の秘書みたいな役で出ていたりするのもなんかうれしい。


というように、なんか、キャスティングも役者たちもみんな悪乗りしているし、みんなで寄ってたかって変なものを作り上げた感が感じられて、この映画を観るたびにニヤニヤしてしまう自分がいる。

ついでに言うと、一番ふざけているのがロビン・ウィリアムズのキャスティングw

「月の王様」役がどう見てもロビン・ウイリアムスだったんだけど、あんだけ出演場面があるのに、そしてビッグネームなのに、大きなクレジットでは出てこない。

で、DVDの画面を止めて出演者を探したら、隅っこに
「The King of Moon---Ray・D・Tutto」
って書いてある。
誰だコレ・・・

でも、何度観てもロビン・ウィリアムズなので、もっと調べたら、『バロン』のトリビア・サイトで以下のことがわかった。

なんと、uncredited and unpaidだったとは!w

Robin Williams was a last-minute casting after the budget had run out, and performed his role uncredited and unpaid.
Robin Williams played the King of the Moon. The credits list "Ray D. Tutto". This is the English transliteration of the Italian phrase "Re di Tutto", which means "King of Everything", which was how the King of the Moon introduces himself to the Baron. Robin Williams performed the part as soon as he arrived in England after a transatlantic flight.

他の情報源と合わせると、もともとこの「月の王」、ギリアム監督が『バンデットQ』で起用したショーン・コネリーが当初演じるはずだったらしい(マジか・・・)。

で、撮影が遅れに遅れているうちにコネリーが『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の撮影に入ってしまい、代わりに起用されたのがロビン・ウィリアムズだった、とのこと。
そういうこともあって時間もなくお金もなかったんだね。友情出演だったのかな。

で、uncredited and unpaidで出て、『いまを生きる』のアカデミー賞ノミネートのお祝いとしてトマトをぶつけられるなどむちゃくちゃな待遇で、本名ではなく匿名同然の"Ray D. Tutto"(イタリア語で「万物の王」)とクレジットされるに至った、とのこと。


・・・なんかよくわからないけど、こういう裏話も想像を膨らます一要素。

いろんな意味で、本当に楽しめる名作だなぁ。

このところ想像力が凍結しはじめているので、週末また観て急速解凍しとこうと思うのです。



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