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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇9) 〜「ノアと虹、そして泥酔」

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。


さて、ノア・サーガの第三回目にしてラスト

前々回は「ノアの箱舟、その形と大きさ」、前回は「ノアの箱舟と大洪水、そして鳩の帰還」をざっと見てみた。


「ノアと箱舟」について、ここまでの流れを超簡単に要約しとこう。

神が人類の所業に呆れはてて「はい、いっそ全滅!」ってなったんだけど、「いや、やっぱノアとその家族だけは残すことにするわ」って人間を8人だけ残し、「すぐに箱舟を造れ」と命じて、そこにノアたちと全動物のつがいを乗せさせた。

そして、大洪水を起こし、箱舟に乗った生き物以外をすべて滅ぼした。

箱舟はアララト山頂に引っかかって止まるんだけど、地上の様子がわからない。なのでノアは鳩を飛ばして様子を見る。

で、鳩がオリーブの枝をくわえて帰ってきたので、「やった! 水は引いた!」って喜んで、箱舟から出て地上に降り立つ。

こういうストーリーだ。


で、今回は、地上に降りてからの物語である。


神は、地上に降りたノアたちを祝福する。

「産めよ、増えよ、地に満ちよ」

・・・いや、一方的に滅ぼしといて勝手過ぎるやろ、と思うけど、スルーして先に進む。


ノアは神に感謝し、燔祭(はんさい)をする。

燔祭。
日本人には見慣れない言葉だけど、どうやらわりと重要な儀式だ。
聖書ではいっぱい出てくる。

生け贄の動物を祭壇で焼き、神に捧げる儀式のことだ。

ちなみに。

「燔祭」を英訳すると、 holocaust (ホロコースト)。


・・・いや、そうなのか。知らんかった。
   まだまだ知らないこと多いなぁ。


それはさておき。

神はその様子を見て、「もう滅ぼすなんてしない」って槇原敬之みたいな約束をする。

ちょっとやりすぎた、と思ったんだろうなw

そして、空に「誓いの虹」をかけるのである。

ノア・サーガのクライマックスだ。

あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。

すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。

わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。

水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める


わりと不思議な文章だ。

「契約のしるしとして虹を置く」って言いつつ、「虹を見たら契約を思い出す」とも言っている。

虹は神の意志なのか、それとも自然現象なのか、どっちやねん。

まぁでも、どっちも、なんだろうな。
なにせ全知全能の神なのだから。
素直に「虹とは神との契約であり、約束のしるしなんだ」と思えばいいのだと思う。

いずれにしても、喜ばしいことだ。

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西洋人のほとんどはこの旧約聖書を常識中の常識として知っている。

つまり、このノアの物語も、「虹の契約」のエピソードも、彼らにとっては何百回も聞いた「浦島太郎」みたいな物語なのだろう。

そういう目で見ると、たとえば映画「オズの魔法使い」の名曲『Somewhere Over The Rainbow』だって、ボクらが「いい曲だなぁ」とメロディや詞を味わうのとはまた違った味わい方をしているはずなのだ。

この歌を「神様との契約のしるしである虹の向こうのどこかに」って聴くと、より希望と憧れの色が強くなる気がする。



さて、今日の1枚。

マルク・シャガールの『ノアと虹』。

美しいね。白い虹。

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白い虹って、自然現象でもそういうのあるらしいんだけど(ボクは見たことない)、シャガールはそれを描いたわけじゃないと思う。

契約の虹って、たぶん、人類が初めて見た虹なんだよね。

そういう意味で、「初めての虹」を、すべての始まりの「白」で表現したんじゃないかな(単なる私見です)。


この絵でもうひとつ好きなところは、ノアが寝転がってポジティブな妄想をしているところ。

ノアは散々苦労したわけだ。

でも、この「神との契約のしるしである虹」によって、安全が保証された子孫たち、つまり人類の未来が大きく広がった

「いや〜、やった甲斐あったなぁ」って思うよなぁ。

それをノアは、寝っ転がってのんびり夢見ている。

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シャガールはこの連載にすでに何度も出てるけど、彼はユダヤの血を引いている画家なので、描き方が深いというか、ユダヤ民族のその後の苦難とかを前提に描いている部分は確かにある。

ただ、ノアの後ろにいる群衆を「これから苦難が待ち受けるユダヤ民族だ」とする解説があったけど、ボクは違うと思うな(もっと理解が進んだら違うことを思うかもだけど)。

苦難を受けた人々は虹の後ろ、絵で言うと左上や真ん中上に描かれている。
これは大洪水で死んだ人たちだろう。
たくさんの「死」のうえに、この虹は築かれている。

絵の下の方のノアの周りの人々は、今後の繁栄を表している、ととってもいいのではないだろうか。

なにしろ、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」なのだから


さて、シャガールの絵の中でも、真ん中下あたりでノアが赤い服を着て燔祭をしているけど、他の燔祭の絵も見てみたい。


まずはミケランジェロ
システィーナ礼拝堂の天井絵の『ノアの燔祭』。

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ノア家8人総出で生け贄を焼こうとしている。
右下では可哀想なヤギがノドを切られたところ。

というか、牛とか馬とかまで見に来てる。
いや、彼らも焼かれちゃうのかもしれない。

ちなみに、「清い動物」(どれが清いのか書いてないが)は14頭(7つがい)ずつ箱舟に乗っているので、生け贄にしても死に絶えないのでご安心を。たぶんヤギとか牛とか馬とかは清いんだ。知らんけど。


この絵はシスティーナ礼拝堂の天井絵の「7」の位置にある。

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ここまでの連載で「天井絵の全貌」がようやく見えてきましたね。
ボクもずいぶんくわしくなってきた気がする。

1. 光と闇の分離
2. 太陽と月、植物の創造
3. 水の分離
4. アダムの創造
5. エバの創造
6. 原罪と楽園追放
7. ノアの燔祭
8. 大洪水
9. ノアの泥酔

たとえば「 7.ノアの燔祭」のあとに「 8.大洪水」があるのは順番としてはおかしいんだけど、天井をよくよく見るとわかるように、梁のカタチの影響で「奇数部分は小さくしか描けない」ので、順番を無視して大きく描きたい題材を偶数部分に入れた、ということだと思われる。

ここで気になるのは、最後の『ノアの泥酔』だ。

光と闇を分離したり、太陽を造ったり、アダムを造ったり、楽園追放があったり、大洪水があったりの後である。

超壮大かつスペクタキュラーな人類史的エピソードの連続のあと、いきなり「ノアの泥酔」w


しかも、なんか不思議なエピソードなんだよなぁ。

まぁ、それについては、このページの下のほうで書きます。


ノアの燔祭について、他の画家のも見てみる。

よく出てくるのでだんだんお馴染みさんになってきたバッサーノの『洪水の後のノアの生け贄』。

奥の方でノアがひとりで燔祭していて、神がそれに応えている。

この人、わりと似たような構図が多いw(前々回のに2つ似たような構図のが出てくるのでそちらも見てみてください)

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ドメニコ・モレッリ『箱舟を出た後のノアによる感謝の祈り』

これはわかりやすい燔祭。
ダブル・レインボーが「契約」っぽくていいね。
遠くに象とかキリンがいる。

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ダニエル・マクリース『ノアの燔祭』。

画面全体にかかっている虹が印象的な絵。
構図がシンプルでわかりやすいけど、ちょっと説明的な絵だ。

たぶん字が読めない(つまり聖書が読めない)ほとんどの人に「虹の場面」を説明するためには、このくらい説明しやすい絵が必要だったんじゃないかな。

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ちなみに、中央上の虹の下に白い羽のようなものが見えるけど、これは手のように見える。両手をチューリップ状にしている。つまり神の手、かな、と思う。


ベンジャミン・ウェスト『祭壇に動物を捧げるノア』。

これも説明的な絵だねえ。

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さてと。
上の方で言及した不思議なエピソード「ノアの泥酔」に触れて、三回に渡ったノア・サーガを終わろう。

これ、なんか妙なエピソードなんだよね。
壮大なノア・サーガの〆にふさわしくない。
なんでこんなのつけたしたんだろう。

ざっとストーリーを追ってみる。
理不尽きわまりない、ヘンテコなストーリーだ。

ノアの3人の子は、セム、ハム、ヤペテという。

ある日ノアは、ワインを飲んで泥酔し、天幕の中で裸で寝てしまった

そこにたまたまハムが入ってきて、父の裸を見てしまう。
当時「裸は絶対に見てはいけないもの」だった。それを見てしまう。

ハムは慌て、外にいたふたりの兄弟にそれを伝えた。

セムとヤペテは着物を取って、自分たちの肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった


ちょっとわかりにくいので、この場面を描いてくれている絵を見よう。
アンドレア・サッキの『ノアの泥酔』。

後ろ向きに歩み寄っているセムとヤペテがいる。
ノアの裸は見ていない。

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ジェームズ・ティソのもわかりやすい。

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で、続き。
ここからが理不尽きわまりない。

やがてノアは酔いがさめて目を覚ます。

そして、ハムが自分の裸をのぞき見たことを知り、呪いの言葉を「ハムではなく、ハムの息子カナンに」投げかけるのである。

「カナンは呪われよ。
 長男セムの奴隷となれ」

そして、カナンは苦難の道を歩むことになる。


いや、マジか!
マジかよ、ヒーロー・ノア!


裸見たくらいでなんだよ。
大洪水という苦難を乗り越えたダイハードみたいな英雄が何言ってんだよ。
神に選ばれた選民が、そんなケツの穴小さいこと言ってじゃねーよ!


・・・いや、当時の風習だから、「裸見られたことが許せない」ということは百歩譲るとして、だからってハム自身ではなく、ハムの息子のカナンを呪うことないやん!

しかも長男の奴隷にすることないやん!

なんなんだ、ノア。
ちょっと意味分からん。
ここまでの英雄伝が台無しだ。


ミケランジェロ『ノアの泥酔』。

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いや、だから、壮大かつ絢爛なシスティーナ礼拝堂の天井絵の中に入れるようなエピソードじゃないだろ、というのが正直なところ。

しつこいけど、もう一度天井を見上げるぞ。

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この9番が「ノアの泥酔」だ。

1. 光と闇の分離
2. 太陽と月、植物の創造
3. 水の分離
4. アダムの創造
5. エバの創造
6. 原罪と楽園追放
7. ノアの燔祭
8. 大洪水
9. ノアの泥酔

1から8の壮大な流れがあって、その次に「ノアの泥酔」のエピソードが来る。しかもヘンテコな小さな小さなエピソード。

ううむ。

とはいえ、ミケランジェロがこれを選んだ意味はちゃんとあると思うんだな・・・。



そんなこと考えながら本やネットを見回っていた。
そしたら、ヴェネチア派の巨匠ベリーニの『ノアの泥酔』に行き着いた。

で、「ん?」ってなった。

ハムはたぶん真ん中だ(向かって左は明らかに年齢行ってるから長男セムだと思うし、右側は裸を見ないようにしてるからハムではないだろう)。

ハムだけニヤリと笑ってる

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なんだ??
なんだ、この悪党みたいなニヤリは??

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巨匠ベリーニが適当にこんな絵を描くわけはない(と思う)。

だとすると、なにか意味がある

そう、たぶん、きっとハムは悪党なんだ・・・・・・。


そして、本とかネットを読み回って、別の解釈を知った。

なんと、ノアはハムに犯された、という説があるのである。
それを遠回しに書いたエピソードだ、というのだ。

む、息子に?
レイプされた??
(もしかしてハムは人類初の同性愛者?)

マジかよと思いつつ調べていくと、グイド・カニャッチのエロい『ノアの泥酔』の絵があった。

カニャッチは、ノアを実に若々しく、そして美しく描いている。
これは同性愛的な方向を示唆しているんだろうなぁと思う。
(ちなみにこのとき、ノアは601歳なんだけどw)

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ただね。
なんというか、あの悪党のニヤリは、単純に同性愛という話でもないと思うんだな。

まぁレイプかどうかはわからないけど、とにかく「ハムはノアを屈辱的に辱めた」ということなのだろうと思う。

そう、ハムはノアの上に立とうとしたのかもしれない。

「神に選ばれた人間」である上に「大洪水を生き延びた英雄」であり、いまや「人類の始祖的」であるノア


そのノアを犯すもしくは辱めることにより、マウンティングというか、「ノアを征服したオレ」感が欲しかったのかもしれない。

・・・厨二だな。

そしてノアはそれに気づき、彼の子孫を含めて罰した、ということではないか。


ちなみに、このハム→カナンの子孫たちの部族と、長男セムの子孫たちの部族は、今後複雑な差別関係になっていくようである。

そういう「部族間の争いの未来」を匂わせる伏線として、ミケランジェロは、天井絵のフィナーレに持ってきたのかもしれないな、と思った。

この辺は単なる個人的な推理というか感想である。
もっと旧約聖書を読み進んで、理解も進んで違う考えになったら、また修正などしたいと思う。


ちなみに、ノアは洪水の後、350年生き、950歳で死んでいる

さすが選民。
さすが英雄。
さすが大洪水以降の人類の始祖w

ということで、驚天動地のノア・サーガ、終わりたいと思います。


次回はね、バベルの塔、です



このシリーズのログはこちらにまとめてあります。

※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。


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