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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇8) 〜「ノアの箱舟と大洪水、そして鳩の帰還」

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。


前回の「ノアの箱舟、その形と大きさ」に続く、ノア・サーガ第2回目である(全3回)。

箱舟の大きさとか、ぜんぶの動物とか乗せられるのか、とか、そういう検証は前回しているので、そちらをどうぞ。


で、いよいよ大洪水

40日40夜、地上は大雨に打たれ、水は次第に増して箱舟を押し上げた。

そのあとの聖書の記述がエグい。

地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた

乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ

地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた

彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。


いや、しつこすぎるから!


息絶えた。死んだ。ぬぐい去られた。ぬぐい去られた。
何回くり返すねん。

まぁ旧約聖書は「教訓の書」でもあるから、つまりそうやって強調して「おまえら神を敬わないとこういうことになるぞ。口だけじゃないぞ!」ってくり返しているわけですね、きっと。


そして洪水は150日もの間、勢いを失わない。

現代日本に住むボクたちも知っている。
洪水の恐ろしさを。

大地震による津波はもちろん、ほんの数日豪雨になるだけで河川は氾濫し甚大な被害が出る。

ましてや、天地を創った神による本気の豪雨である。それが40日連続で降り続き、その後150日、濁流が流れまくるのである。

それがかなり恐ろしいであろうことは(ここ10年の経験をもってして)今やよくわかる。



ノアの箱舟は濁流に翻弄されながらも、なんとかアララト山の山頂に引っかかる。

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これはトルコとイランの国境にそびえるアララット山。
ここのことだと言われている。


水は徐々に減り続け、10月になり、10月1日に山々の頂が現れた。

でも、まだ水は引かなかったのだろう。
ノアはまだずっと箱舟の中にいて、それから40日たってようやく箱舟の窓を開いてカラスを放つ。

どこかに地上はないか、と、放したのだ。

カラスは地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへ飛びまわった。
それだけ。
カラスはいまいち働かないw

で、次にノアは鳩を放つ

鳩はとまる場所が見つからなかったので、まずはノアのもとに帰ってきた。

それから7日待って、ノアはもう一度鳩を箱舟から放った。

鳩は夕方になって彼のもとに帰ってきた。
見ると、そのくちばしには、オリーブの若葉があった

こうしてノアは大地から水がひいたのを知ったのである。



さて、今日の1枚。

やっぱりこれかなぁ。
出色の出来。ミレイの『箱舟への鳩の帰還』。

ミレーではなくて、ラファエロ前派のミレイね。
ミレイと言えば『オフィーリア』が有名だけど、これもいいなぁ。

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この絵がイイと思うのは、ノアの息子の妻たちの気持ちに寄り添っていること。

少女に見えるが、(ノアとノアの妻と3人の息子たちとその妻たちの、総勢8人しか生き残っていないので)息子の妻たちととるのが順当だろう。

大洪水そのものや、ノア自身を描いた絵は多い。
でも、どの絵にも、妻たちは不在もしくは脇役だ。

この絵を見ることで、ボクたちの想像力はより広がる。

妻たちがいかに大変だったか。
いかに苦しんだか。


血がつながっていない、他のファミリーからの嫁である。
自分の出身ファミリーはみんな大洪水で死んだのだ。
自分たちだけが生き残った。

箱舟を建設している間は、まわりの人たちから嘲笑されただろう。
洪水が起こってからは多くの人に「乗せてくれ」と懇願されただろう。
大洪水に流されてからは、動物たちの世話で息つく暇もなかったはずだ。

そして、みんな死んだ。
自分たちだけが生き残った。

ノアが生き残るのは、まぁわかる。
神に選ばれた人だからだ。

でも、自分たちは血もつながっていない。
葛藤は深くなる。
みんな死んだのに、なぜ自分たちは生き残ったのか・・・。

そんな背景をよーく想像しつつ、もう一度彼女らの表情を見てみる。

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鳩が戻ってきて、「やっと地上に出られる!」とわかったところだ。

でも、喜んでいない。
鳩にキスして祝福してはいるが、ふたりの目には違う感情が映し出されている。

彼女たちはこれからもずっと葛藤しつづけるはずだ。
なぜみんな死んだのに、自分たちは、自分は、生き残ったのか。

この主題は、ボクが調べた限り、他の画家は取り上げていない。

ミレイ、すごいな。
この一枚で、たくさんの感情を呼び起こしてくれる。
とてもいい絵だ。



ということで、お話に戻ってざっとこのエピソードを見ていこう。


大洪水

これは画家たちの描写力の出番だけど、実はそんなにいい絵はない。

それでもいくつか見ていこう。

まずはイヴァン・アイヴァゾフスキーの『大洪水』。

ロシアでもっとも多作と言われている作家だが、人気作家だけあって、迫真の描写だ。
水の勢い、高所に逃げる人間たちの絶望感、そして争い。
首長みたいのが指導しているが、彼も空しく水に呑まれてしまうのだろう。

右奥には箱舟みたいのも見えるが、判然とはしない。

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上のに勝るとも劣らない迫力なのが、アイルランドの画家、フランシス・ダンビーの『大洪水』。

クリックしてアップにして見ると、中央の山に這い上る人間たちが見える。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような群がり方。

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ただ、この絵、一般に「ノアの大洪水」の場面で引用されがちな絵なのだけど、不思議な部分がある。

右下の天使が不思議。

誰か、巨人のように大きな人間を起こそう(もしくは生き返らそう)としているかのようだ。
左上奥に見える赤い火も気になる。

これ、もしかして、ギリシャ神話のほうの大洪水を描いたヤツじゃないかな。ノアにはこんな天使が出てくる場面、ないと思うけど(ボクが知らんだけかもしらん)。



巨匠プッサンの『冬(大洪水)』。

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緊迫感はそれほどないので、洪水後にいったん水流が落ち着いたあとの描写だろうか。みんな助かるために必死になっている。

左奥に見えるのは箱舟かな。
あと、稲妻が指し示す先に高い塔のような峰が見える。あそこにアララト山があるのかもしれない。

また、他の動物はいないのに、左側に蛇だけいる
蛇は「エバを誘惑して罰を背負った生き物」なので、その存在は「罪」「罰」「異端」などの寓意だろう。

つまりこの人たちは神を敬わなかったからこういう目にあったのだよ、ということを蛇で表しているのだと思われる。


巨匠ミケランジェロはこんな感じ。
これはシスティーナ礼拝堂の天井絵。

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正直言うと、そんなに面白くない絵だ。

これは天井絵の最初期に描かれた絵だそうで、ミケランジェロはこれを描いたあと「こんなに人物を細かく描いたら下から見えん」と気づき、これ以降の絵は大きく、なるべくシンプルにした、らしい。

うん、そういう意味でも確かに他の天井絵よりちょっと劣るなぁ。

奥には箱舟が見えるが、これはノアの家族以外が群がっているのだろう。なんとか乗り込もうとしている姿か。
なんか斧を使っている人も見える。壊して中に入ろうとしているのか。

ノアたちはこの人達をどうやって追い払ったのだろう。


・・・巨匠を含めて4枚見たけど、そんなに面白くないんだよなぁ。

なんかミレイの絵みたいな内面描写を見たあとだから、大洪水を俯瞰した絵ってそんなに魅力的に思えないのかも。


ただ、1枚、なかなかの迫真で目を惹きつけるのがある。

6世紀に描かれた彩飾写本『ウィーン創世記』

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稚拙は稚拙だ。
でも、ものすごく迫力があり、怖い絵だ。

なんというか、神の「人間を滅ぼす」という強い意志を感じるような絵である。

そして、水の中と外の描き分けとか、6世紀と思えない。すごいなぁ。

大洪水は、巨匠たちも含めていろいろ見たけど、この原始的な絵の強さには負けている、と思う。


【追記】
ギュスターヴ・ドレの版画でかなり「強い」のを見つけた。
これは迫力あるなぁ。

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さて、大洪水の描写はこのくらいにして、大洪水のあとの話を続けよう。

サンマルコ大聖堂の『洪水の中で舟から鳩を放つノア』

カラスも描いてあるのはわりと珍しい気がする。
カラスは死体とかもつついちゃったんだなw

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マルク・シャガール『鳩を放つノア』。

なんかヒコーキの窓から放つみたいな構図になっているけどw、暗い手前側と、希望に溢れた窓の外。その対比もとてもいい。

ちなみに、子どもが生まれていることに注目。
箱舟で漂流している間に子どもができたのだろう(聖書ではそんなこと書いてないが)。これも新しい生活の始まりを感じさせる。

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シャガールは『ノアの箱舟』と題して、下の絵も描いている。

手に鳩を持っているから、この「鳩の帰還」のあたりのエピソードを中心に描いている絵だろう。

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いろいろ解釈できそうな絵だけど、右側に人間たちが幸せそうに集まっている。

これは新しい生活が始まり、つながって増えていく子孫たちを象徴していると思うな。この「鳩の帰還」がすべての希望の始まりなのだ。


だからこそ、ピカソはオリーブの葉を加えた鳩の絵をよく描いたし、他の画家も「鳩とオリーブの葉」をモチーフにした絵は多い。

ピカソ『Dove & Peace』

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その希望を直球で描いたのが、ミレイと同時代に活躍したジョージ・フレデリック・ワッツの『大洪水の後』。

洪水後に昇った朝日のみ。
箱舟も海も鳩も描いていない。
タイトルが書かれてなければ何の意味かもわからない。

でも、ものすごい希望が溢れている。
いいなぁ。直球だなぁ。

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さてと。
地上に降り立つノアたちの絵を少し見て、今回はオシマイ。

鳩がオリーブの枝をくわえて帰ってきたことで、ノアは水が引いて地面が露出したことを知り、動物たちといっしょに外に出る。

アララト山の山頂あたりに引っかかっていたんだから、下山が大変だったと思うけどw

とにかくみんなで降り立つわけだ。


サイモン・ド・マイル『アララト山に到着したノアの方舟』

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動物たちもつがいで順に降りて行っている。
画面下の方では、痩せこけてあばら骨が出ちゃったライオンが馬とかたべちゃってるw よく見たらいろんな動物、みんな痩せてるな。

というか、2匹ずつしかいないのに、馬、食べちゃって大丈夫なのかな、と思ったけど、いくつかの動物は7カップルずつ収容したんだった。たぶん馬はその中に含まれていたのだろう。

ちなみに、左奥に悪魔的な動物が飛んでいる。
サタンもまた生き残っている、ということかな。



ヒエロニムス・ボスの『アララト山のノアの箱舟』。

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この箱舟、小さいなw
こんなのに全動物入ってたら、そりゃ手品だ。

ま、ボスなんで、ヘンテコでもなんとも思わない。そういう意味で、すばらしい立ち位置を手に入れているよなぁボス。

それはそうと、手前の洞窟みたいなところにいるのはなんだろう?
なんでコイツだけ特別扱いなのか・・・
なんとなくサイに見えるけど、こんな黒くないだろうしなぁ。ちょっと謎。



ということで今回はオシマイだけど、蛇足的にひとつだけ。

ギュスターブ・ドレ『箱舟から放たれた鳩』。

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実際にはこんな感じで「死体だらけ」だったんだと思うんだ。

上で「鳩の帰還」がすべての希望の始まりとか書いたけど、鳩は幾多なる「死」の上を飛んで帰還したのだ。

そこについての画家の視点に感じ入る。


以上。

次回は、ノアが神に献げ物をし、虹の契約をうける場面を。

不思議なおまけエピソード「ノアの泥酔」もあるよ。



このシリーズのログはこちらにまとめてあります。

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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。



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