人生とは打率ではなく打数だ
明日の言葉(その10)
いままで生きてきて、自分の糧としてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。
ボクはある時期から、この言葉を大切にするようになった。
人生とは打率ではなく打数だ。
人生を打率で計ってはいけない。人生とは打数なのだ。
迷ったときは、打席に立つ。
空振りしてもいいから、恥をかいてもいいから、打席に立つ。
打率を上げることは考えない。
打率を上げようと考えるから、いろいろ悩み、プレッシャーがかかる。
それよりも打席に立つ。
たとえ打てなくても、いま出せるチカラで打席に立つ。
だから打数はたいていの人よりかなり多い。
相当多い。
めちゃくちゃ多いかもしれない。
当然、打率は下がる。
イマイチなこと、おもしろくないこと、つらいことや哀しいことも、打数が多い分、増える。
が、それを恐れてはいけない、とボクは自分に言い聞かせている。
なぜなら、打数が多い人生の方が、結局楽しいと思うからだ。
打率を下げたくないがために、「いま調子が最高ではないから今回は打席に立つのをやめよう」とか「もっと絶好調のときを待って打席に立つことにしよう」とか、打席を毎回見送っていたら、きっとあなたにはチャンスは回ってこない。
調子悪くても、打席に立つこと。
まだその分野で初心者であったとしても、三振覚悟で打席に立ってみること。
そっちのほうがずっと重要だ。
というか、高打率だけど打数が少ない代打人生と、低打率だけど打数はだれより多い一番打者人生のどちらが楽しいと思う?
ボクは、まったくヒットが打てないことが続いたとしても、人より多く打席に立ち続ける方を選ぶ。
だってたった一回の人生だ。
いろんな打席をひとつでも多く経験したほうが楽しいじゃん。
そりゃ打率が高い方が格好いい。
どうせならミスしたくないし、損もしたくない。かっこよくも見せたいし、いい思いもしたい。
だから調子のいいときを選んで、自分の得意分野だけ選んで、用意周到に準備できる打席だけに立つ人も多い。
確かにそうすればアタリ率は増えるだろう。
勝負強いとか褒められるだろう。
でも・・・打数、少なくない?
一度の人生、そんな少ない打数で悲しくない?
一試合に1打席だけ代打で打席に立つ3割打者と、毎試合5打席立てる一番バッターの2割打者と、どっちの人生の方が結果的に楽しいと思う?
人生の悩みの多くは「他人との比較」だ。
相対的に他人と比べると、それが悩みになる。
相対的な比較。
つまり、それが打率である。
意外と「打率低くてもまぁいいや。数多くいろんなことをやったもの勝ちなのだ」みたいなあっけらかんとした態度が解決する悩みも多いと思う。
もちろん、イチローみたいに打率も打数も驚異的に多い人生は最高だ。
でも、イチローも、どっちを取るかと言われたら「打率 < 打数」と言うとボクは確信している。
というか、彼ほど打数を愛する人はいない、とすら思っている。
人生は打率ではなく、打数だ。
この言葉、誰が言ったのか知らない。
自分の中から出てきた言葉かもしれない。
最近では、それなりに年齢を重ね、「この歳でそんな失敗したら格好悪いんじゃないか」とか「もう年齢的にできないかもしれない」とか思うことが、こんなボクでもちょっとずつ増えてきた。
新しい打席を怖がり始めたのだ。
だからこそ、自分にもう一度いい聞かせたい。
人生は打率ではなく打数だ。
打席に立とうよ。
立ったほうが、きっとずっと楽しいよ。
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。