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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇3) 〜イエス・キリストの一生

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。

いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。


ここ数日、このシリーズを書き続けて行くために新約聖書についていろいろ調べ、頭を整理している(ちなみに信者でもなく、ミッション系の学校にも行ってなかったので、人生でほぼ初めて真剣に読む新約聖書です)。

そして「うわぁ・・・なんかいろいろ難しいな」と感じている。

著者(記者)も4人以上いてエピソードが少しずつ違うし、教派や研究者たちによって捉え方違うし、信仰する人が多いのでたくさん地雷踏みそうだし、なにより全体に「ありがたいエピソード」が多すぎて、旧約聖書みたいなツッコミどころが少ない。

というか、新約聖書って「布教の書」なんだな。

正直、「当時の新興宗教であるキリスト教」の伝道者たちが、キリスト教をより広め、イエスをより崇拝させるために伝説で彩っていろいろ箔付けしている印象が強い


イスラエル民族の「歴史書」であった旧約聖書とはえらい違いだ。

だから、旧約聖書であれだけ「これでもかー!」と出てきた殺人とか性犯罪とか姦通とか詐欺とかが、ほとんど出てこない

布教が目的の本だからね。
そりゃそうなる。

そして、新興宗教をより権威をもって広めるために、エピソードがちょっとずつオーバーめに盛られていく

これも仕方がないのだろう。
救世主イエスがより崇拝されるよう、誰かが話を少し盛り、次にそれを伝える人がまた少し盛り、としていって、長い年月かけて分厚い伝説となっていく。

そんなくり返しで出来上がったのが新約聖書かと思う。

福音書として最初に書かれたのは『マルコによる福音書』で、イエスの死後40年ほど経ってからだ。

そして、いくつかの福音書や手紙を集積して、「新約聖書」としてまとめられたのは、イエスが亡くなってから、1世紀から2世紀くらい経ってからだ。

もう実際にイエスを見た人が誰も生きていないころにまとめられている。

そりゃ想像が入ったり、都市伝説が入ったり、思わず描写がオーバーになったりするよね!



実際の「人間イエス」の一生は、わりとシンプルな気がする。

30歳で覚醒し、新しい考え方を宣教し始める。
33歳で「大衆を扇動した罪」で死刑になる。


すんごい簡単に言うと、こういう人生(簡単すぎ!)
いや、でも軸はそういうこと。

その間のことをもう少し書くと、

●イエスはユダヤ教徒であったが、30歳で目覚め、自分の考え(ユダヤ教という民俗宗教から一歩踏み出した普遍的な考え)を周りに布教し始める。

少しずつ弟子を増やすが、世間にはなかなか受け入れられない。

いろんな奇跡や治癒が少しずつ知られるようになり、「おお、もしかしてローマ支配を追い払う力強いメシア(救世主)かも!」と、救世主到来の預言を信じるユダヤ民族の期待を受ける。

●でも、厳格な戒律を守るユダヤ教の幹部な人たちからは「なんだあいつの考え」と睨まれまくる。

●イエスはユダヤ教幹部に訴えられ、「大衆を扇動した罪」であっさり捕縛。死刑を宣告される。捕まってからはまったく奇跡を起こさないので、「えー、メシアじゃなかったんかい!」と民族の失望を買い、嘲られる。

●33歳で十字架に架けられ、嘲笑と怒声と侮辱の中、死亡。


・・・少し認識違いがあったら後から直すけど、ざっとこういう人生だったと思う。宣教したのはたった3年だ。

そして、実は、磔刑(たっけい)になるころまでは、12人の弟子(使徒)たちも、たいして深くはイエスを信じていない。どっかで信じ切れていない不信心な弟子たちなのだ。

ただ、この後、

●磔刑の3日後に復活する。

という奇跡があり、それを知った弟子たちもさすがに目覚め、後悔し、イエスの昇天後、率先してイエスの考えを布教し始めるのだ。


まぁ「復活」が実際にあったかどうかはともかく、人間イエスはこんな人生だった。

そして、「復活」の奇跡から遡って、救世主イエスにふさわしい様々な伝説が作られていったのではないか、と思う。

※ もちろん信仰している人は違う解釈をするだろう。
※※ ただし3年の間に説かれたイエスの考え方については、納得いく部分が多い「当時としては超過激かつ革新的な愛の教え」だったと思う。


ということで、奇跡や伝説も足して、「人間イエス+救世主イエスの一生」をまとめてみたのが、下の表だ。

この連載の目的は「アートを楽しむためにストーリーを知っていく」というものなので、基本、「名画のモチーフとなるエピソード」しかやらない。

でも、そのモチーフを挙げただけで、こんなにたくさんになったw

イエスの人生たった33年で、約50本!(予定)
数千年分で65本だった旧約聖書に比べて、どんだけモチーフが多いんだよって思うわ。

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・・・多いとはいえ、逆に言うと、旧約聖書で65エピソード、新約聖書で約50エピソード、足して約115エピソードを知ると、なぞの西洋美術の元ネタがかなーりわかるようになるなぁ(嬉)。あとはギリシャ神話を知っちゃうとかなり美術館が楽しくなりそうだ。



さて、今回の残りは、軽くイエスの一生の「基礎的な部分」をさらってみたいと思う。

いろいろ読んでいく中で思った「基礎中の基礎な疑問」の答えを備忘録的に書いて行くものだ。

ちなみに、「疑問はあるけど、まだきちんとした答えに辿りついていないもの」もある。

それらは随時書き足していきますね。


●イエスが名前でキリストが姓?

最初は誰でも思うよね? 思わない?
イエス・キリストって、姓がキリストで名前がイエスだって。

いや、イエスは人名だけど、キリストは姓ではない。
当時、姓をつける習慣がなかったらしく、イエスは「ナザレのイエス」と、村名で呼ばれていた。

キリストとは「救世主」という意味。
つまり、イエス・キリストとは、「イエスという救世主」という意味らしい。イエス=キリスト、ということだ。

言うなれば、キング・カズと同じ構造だなw
前後は違うけど。
キング・カズは、「キングであるカズ」という意味じゃん? イエス・キリストもそういう構造で「キリストであるイエス」と思っておけばいいっぽい。

いや、前後が違うからわかりにくいか。
えーと、コナン・ザ・グレートとか?(古)あ、マツコ・デラックスも同じ構造かも!

ということで、この連載では、人名であるイエスで表記を統一していこうと思う。
一般にキリストと呼ぶ人が多いけど、それは救世主と呼んでいることになる。ボクは信者ではないので普通に人名で呼ぶことにする。

ちなみに、イエスはギリシャ語名で、ヘブライ語で言うと「ヨシュア」になるらしい。そう、あのヨシュア。へー! 
ヨシュア、当時としてはかなりありふれた名前だったらしいよ。太郎的な。


●イエスは実在した?

諸説あるが、この連載では「実在した」として論を進めたい。

でも、処女から生まれ、数々の奇跡を行い、死後に復活する「生身の人間」として実在したか、と言われるとそれは「信仰的実在」と言うしかないと思う。

ちなみに、母マリアはその後も複数の男女を産んでいる(つまりイエスには兄弟・姉妹がいる)。

イエスが亡くなったあと、弟のヤコブがキリスト教団を率いたことも歴史上の事実らしい(何がフィクションで何がノンフィクションかわかりにくいが、歴史文献として残っているらしい)。

そういう意味では、実在したのだろう。

ついでに言うと、ご存じの通り、西暦はキリストの誕生年の翌年を元年(1年)としている(ただし、今日推定されるイエスの誕生年から4年ほどズレがあると考えられている)。


●イエスはダビデの血筋?

これ、預言では「ダビデ王の血筋に救世主が現れる」ということになっているらしく、わりと重要なことらしい。

旧約聖書のときにまとめた以下の図を見てもらうとわかるが、イエスの父ヨセフはダビデの血筋ということになっている。

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まぁでも、イスラエル王国滅亡からバビロン捕囚の混乱の中、のちにナザレの田舎のいち大工に落ち着くヨセフの家系図がはっきりしているほうがおかしい。

たぶん後付けだとは思うけど、でも、一応、ダビデとつながっている。
つまり、救世主の資格あり、ということだ。

ただ。
イエスは「母マリアが処女受胎して生まれた子ども」ということになっているので、宗教的に言うとヨセフの血は受け継いでいない。

では、マリアはどういう血筋かというと、レビ族の出らしい。

上の表のヤコブの子どもたちのひとり、レビ。
そう、レビの血筋にはモーセが出ているが、マリアはその血筋らしい。

ちなみに、イエスに洗礼を施す洗礼者ヨハネの母エリザベトもレビの血筋で、マリアの親戚である。


●イエスはクリスマスに生まれた?

生まれてない。
聖書にはそんなことどこにも書いていない。
実際に生まれたのは、聖書の記述からすると、冬ではないらしい。

どうやら、イエスの死後何百年経ってから「誕生日は12月25日とする」って定めたらしい(マジか)。

なんでそんなことをしたかというと、冬至の時期であるこの日前後には異教の記念日がいろいろ重なっているので、どうやら「そこにイエスの誕生日をぶつけた」というのが理由らしいよ。

つまり、異教の記念日に正面から闘いに行って、他の賑わいを潰し、布教拡大に利用したわけだw

えげつないなぁw


●イエスがキリスト教を起こした?

イエスはユダヤ教徒だった。
死ぬまでユダヤ教徒だった。

ユダヤ教は旧約聖書でいう「バビロン捕囚」時に成立した民族宗教で、ヤハウェを信仰する一神教、きびしい律法(戒律)、ユダヤ人だけが救われるという選民思想、そして救世主を待望することなどを特徴とする。

で、これ、今後読んでいくために知っておいた方がいいっぽいのでちゃんとまとめてみると、当時、ユダヤ教は大きく4つの宗派に分かれていた

・サドカイ派
祭祀階級を中心にした派閥。「モーセ五書」を信奉する。聖地エルサレムの神殿で祭祀をとりおこなうとともに、ローマからユダヤ社会の統治を任されていた。

・パリサイ派(ファリサイ派)
「モーセ五書」に加え、律法学者たちの口伝律法も尊きものと認めていた。一般市民に支持されていた派閥であり、ユダヤ教の排他的指導層をもつ。イエスの論敵でり、イエスはパリサイ派を厳しく批判した。

・エッセネ派
一番厳格に律法を遵守し、閉鎖的な社会空間を形成していた派閥。ストイック。世俗社会から離れ、パレスチナの荒野で自給自足&禁欲的な生活を送っていた。死海文書を残したのはこの人たち。

・熱心党
ローマへの不服従を唱え、独立を勝ち取るために戦い続けた武闘派閥。対ローマ武力闘争を繰り広げた。


イエスはどこに属していたか定かではない。
洗礼者ヨハネ(イエスに洗礼を施した人)「エッセネ派」に属していたという説もある。
まぁヨハネが荒野を放浪した人だったので、たしかにエッセネ派っぽい。そのヨハネに洗礼を受けたのがイエスなので、エッセネ派説有力。

とにかくイエスはユダヤ教徒で、死ぬまでユダヤ教徒のままだった。

で、イエスが亡くなってから、イエスを開祖とする新興宗教キリスト教が作られた、ということだ。


※ 他にも「疑問」があるんだけど、まだちゃんと答えを整理できてないので、また整理できたら書き足していきます。



さて、今日はこんなところでオシマイにしよう。

「今日の1枚」は、巨匠レンブラントの「復活のキリスト」。

数あるイエスの肖像の中でも、好きな1枚だ。

「復活のキリスト」という題名なので、磔刑の苦しみを乗り越えた後なわけだけど、「復活」の奇跡も希望も救いも1ミリも感じられない。

疲れと諦観と哀しみしか感じられない。

だって、このイエスの目!
底に慈愛は感じるけど、でも諦観や哀しみが勝っているように見える。

それでも愚かさをくり返す人間たちを、絵の向こう側から、じぃぃぃっと見つめている。レンブラントはそう描いたんじゃないかな。

少なくともいまはそう読める。
ただ、この連載を進めて、「復活」のあたりまで行ったときは違うことを感じているかも知れない。

でも、いい絵だな、これ。
レンブラントはこういう表情描かせたら世界一うまいな、と思う。


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ということで、今回はオシマイ。

次回はいきなり新約聖書最大のモチーフのひとつ、「受胎告知」だ。

とてもじゃないけど、全部は貼れないと思うので、有名なものを中心に見ていこうと思う。



この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら

※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。



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