聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇19) 〜マタイの召命
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。
いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。
えっと、少し頭を整理する。
まず、新約聖書とは「ほら、旧約聖書で約束した救世主が到来したよ」という福音(良い知らせ)の物語だ。
そして、その救世主であるイエスの一生は、わりとシンプル。
30歳で覚醒し、新しい考え方を宣教し始める。
33歳で「大衆を扇動した罪」で死刑になる。
これがイエスの人生。
そう、新約聖書とはたった3年ほどのエピソードで成り立っている。
で、その宣教し始めにイエスがやったことは「弟子を12名作ること」。
これがのちに「使徒」と呼ばれるようになった人たちで、彼らがイエス昇天後に世界に布教したのがのちにキリスト教となる。
前回書いたように、大人数に広く薄く宣教するのではなく、少人数に濃く深く宣教し、そこを核に教えを広めるイエスの戦略だ。
この12名を、弟子になった順に並べると、
ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ
フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス
小ヤコブ、タダイ、シモン、ユダ
となる。
この覚え方はこの回でやった。
「ペアダイヤよ! フィーバー待ったと? ショタだしユー!」であるw Kinki Kidsを見出したジャニーさんをイメージした語呂w
で、この12名の、最初の4人。
ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ
フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス
小ヤコブ、タダイ、シモン、ユダ
この4人を弟子にしたのが、前回の「奇跡の漁(すなど)り」である。
あとの8人は、弟子にする経緯とかエピソードとか、あまりない。あったとしても知られていない。
このシリーズは「アート作品の元ネタを知るために聖書を追っている」ので、有名でないエピソードはスルーして進むのだが、でも、あとひとりだけ、「有名な画題」になっているものがあるので、そこには触れておきたい。
それが、マタイ、だ。
ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ
フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス
小ヤコブ、タダイ、シモン、ユダ
ちょうど真ん中の弟子だね。
このマタイ、下賤な職業と言われ、人々から蔑まれていた収税人(徴税人)だった。
だから「収税人マタイ」とか呼ばれることもある。
ちなみに福音書を書いたマタイとは別人というのが通説のようだ(同一人物という説も根強い。つまりよくわかっていない。ややこしい)。
で。
マタイを弟子にした過程が「聖マタイの召命」というタイトルでバロック期によく描かれており、これは知っておいた方がいいなぁ、ということで今回取り上げたいと思う。
ということで、まずは今日の1枚。
もう、このタイトルならこれ、という超有名な名画であり、Wikipediaにはこう書いてある。
「カラヴァッジョにとっては公的な場でのデビュー作、且つ出世作であり、美術史上ではバロック美術への扉を開いた記念碑的作品である」
巨匠カラヴァッジョ 『聖マタイの召命』。
召命、という言葉は旧約聖書篇「モーセの召命(燃える柴)」の回でも取り上げた。
召命・・・(キリスト教で)罪の世界に生きていた者が、神に呼び出されて救われること。(新明解国語辞典第三版)
そう、収税人という職業は当時忌み嫌われており、ある意味「罪人」とイコールだったんだな。
なぜそんなことになったかというと、当時この地域(パレスチナ)はローマ帝国に支配されていて、このローマ帝国は「自分たちに憎悪が向かないように」、ユダヤ人自身に末端の収税を任せて厳しく取り立てていたわけ。
つまり、収税人は、支配者ローマ帝国の「犬」であり、そのうえ、ローマ帝国の威を借りたり、税金を着服したり、賄賂をとったりやりたい放題、とても贅沢な暮らしをしていた、というのである。
そりゃユダヤ人から憎まれるわ。
けれどイエスは、そんな罪な職業についていた「収税人マタイ」をさらっと高弟にする。そして一緒にご飯食べたりするのを目撃される。
そしてそのことを非難されると、こう答える。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
この辺の受け答え、天才的にうまいんだよな、イエスさん。
さて、このカラヴァッジョの絵をもう一度見てみよう。
イエスは右端だ。
うっすら光輪が描かれているのでわかる。
ペテロ(背中を向けている男)と一緒に入ってきて、迷いなく彼を弟子にしようと決め、「ちょっと、そこのあなた、私についてきなさい」と指さしている。
この場面をカラヴァッジョは、画期的な光の使い方で描き、当時の画壇および人民に衝撃を与えた。
光はイエスの後ろの窓から差しており、(それまでの絵と比べると)極端な明暗対比を使って瞬間を切りとり劇的に演出した。ある種の絵画革命。バロック期の始まりだ。
光に窓枠の十字が浮かび上がるのも「座布団1枚!」って感じだ。
ちなみに、マタイは、自分の胸を指さしている左から3人目のオジサンと言われてきたが、異説もある。
一番左の、机のお金を必死に数えている男ではないか、というのである(つまり、左から3番目のオジサンは「え、こいつっすか?」と、左端の男を指さしている、という解釈。
みなさんはどう思う?
ちなみに、この場面でこの男たちは「賭け事」をしていて、たぶん左端の若者が勝ったんだろうな。巻き上げた金を勘定して袋に入れようとしている。
んー。。。難しいね。
ボクは、カラヴァッジョって「とにかく劇的に描きたい人」なので、マタイがお金に夢中になっている姿(つまり罪人の姿)をより強く描いた、というのはあり、だと思う。
つまり、左手前の若者がマタイ説を心情的にはとりたい。
ただ、下のストロッツィの絵を見た結果、やっぱり「左から3番目がマタイ」なのかも、とも思っている(ストロッツィの絵のところのコメント参照)。
とはいえ、左から3番目の男の指先って、実は中腰になって机のお金を覗き込んでいる「メガネをかけているオジサン」にむいていないか? とも思うよね。
実はこの中腰がマタイじゃないか?
でも、そういう説を唱えている本や記事は見つからなかった・・・。
まぁ、そういうことを考えること自体が楽しいよね。
ちなみに、イエスに指さされ、「ついてきなさい」と言われた次の瞬間、マタイは使命に目覚める。そして、あっけに取られる仲間を置いて、颯爽と立ち去ったらしい。
早すぎる・・・w
行動が軽すぎて信用できないw
まぁでもそのくらい「罪の意識を覚えていた」ということだろうか。
でも、イエスの説教すら聴いていないんだよ??
奇跡をみたわけでもないんだよ??
だいじょうぶか、マタイ。。。
ついでに言うと、イエスの右手。
これは完全に、ミケランジェロの「アダム創造」のアダムの手、だよね。
カラヴァッジョは確実に意識していると思う。
面白いのは、下の絵の神の手ではなくアダムの手を描いたこと。
つまり「人間イエス」である、という意味かなと思う。カラヴァッジョが「神じゃねえぞ、人間だぞ」と主張しているようにも思える。
さて、他の画家たちを見ていこう。
ベルナルド・ストロッツィ。
バロック期の画家。カラヴァッジョの10歳下のイタリアの画家。
彼は若いとき、カラヴァッジョの影響を受けたと言われている。
というか、場面も登場人物もほぼ一緒。
で、イエスは完全にオジサンを指さし、彼も「わたし?」って驚いている。
つまり、上でも書いたけど、同時代の画家がカラヴァッジョの絵をマネ(オマージュ)して描いていて、その解釈が「若者ではなくオジサンがマタイ」としているので、上記カラヴァッジョの絵は「マタイ=左から3番目のオジサン」というのが当時理解されていた通説なのではないか、と思うのだ。
ヘンドリック・テル・ブルッヘン。
左にイエス。イエスの後ろではペテロが「はいはい、この線から入らないで」って仕切ってるw
この絵では赤い襟のカツラみたいなオジサンがマタイかな。
ジェイコブ・バン・オースト。
ちょっと斜に構えて「あの人、連れてっちゃっていい?」って訊いているイエスw カッコつけw 手前で背中を向けているのがマタイだろう。
みんなイエスを見ている中、ひとりカメラ目線の女性。
こういうの、実に面白くて好き。
誰だろうなぁ・・・雇い主(絵の発注主)の奥さんとかへのサービスかな。だとするとマタイの顔の横の目立っている男性は雇い主だろうか。
ジャン・サンダース・バン・ヘメッセン。
これは指さす前。
イエスはこの中からマタイを選ぶわけだけど、じぃっと見て「うん、こいつがいいな」と選別している瞬間。
ヤン・ファン・ベイレルト。
このテーブルの3人は、手前の黄色いバカっぽいのも、右の権威的な黒服も、「罪人」を象徴的に描いているんだろうな。で、その中では左端のマタイが圧倒的にまともに見える。
ヘンドリック・テル・ブルッヘン。
マタイを中心にしていて、イエスを画面から半分切っている大胆な絵。
マタイの造形や表情がいいね。
というか、イエスの眉毛、変。
マリヌス・ファン・レイメルスワーレ。
これはカラヴァッジョのような賭け事の場面ではなく、徴税しているところかな。左の白い顔をしたイエスが、右の一段高いところにいるマタイに話しかけ、マタイが承っているところか。
ニコラース・ベルヘム。
この絵はいいなぁ。すごく雑然とした人々の生活が描かれ、その喧噪の中、イエスも負けないように大声で「おい・・・おい! そこのあなた! ついてきなさい!」って手を伸ばしている。
カラヴァッジョのような静かな場面ではなく、喧噪の中で描いたのがいいなぁ。
で、こんな仕事中に言われたにもかかわらず、マタイは即決してついていくわけだ。それはそれで面白い。
ジャン・サンダース・バン・ヘメッセン。
左手前の赤い帽子がマタイかな。
イエスに誘われているのを、女(奥さん?愛人?)が「あなた、まさか行く気じゃないでしょうね」って目を覗き込んでいる。
1エピソードを足していて面白いなw
マタイはずるこいことしてるんだろう、金持ちだし、女性も囲っている。「罪人」の強調ということかな。
ヴィットーレ・カルパッチョ。
順番的にはもうペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイの6人を弟子として引き連れているイエスが、街角の収税事務所前で贅沢な格好をしたマタイに声をかけている。まぁこういうほうが自然だよね。
お馴染みジェームズ・ティソさんも同じ解釈。
収税事務所のところで、イエスが声をかけている。
つか、単なるアブナイ人だよなw いきなりこうして「ついてきなさい」って声かけられて「ん・・・は、はい」ってついていってしまうマタイ。。。
まぁなんつうか、ある種の魔法を出したなイエス。
さて、最後に、トップにあげたカラヴァッジョが「聖マタイの殉教」も描いているので、それを挙げて終わりにしよう。
ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会の中にあるコンタレッリ礼拝堂に、上記「聖マタイの召命」を含めて「マタイ三部作」をカラヴァッジョが残している。
「聖マタイと天使」
マタイが突然出現した天使にスコラ哲学を教授される場面だそうだ。
イエスが昇天してからずいぶん経ってからのことだろう。
「聖マタイの殉教」
マタイはイエスの昇天後、エチオピアかマケドニヤで福音を語り、殉教したと伝えられている。
いやぁこれまた名画だなぁ。すごい。
ちなみに、マタイを襲う刺客の左に描かれる髭の男は、カラヴァッジョ自身だと言われている。確かに似てるw
ということで、今回もオシマイ。
次回は「カナの婚礼」。イエスが奇跡を起こす。
※
この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。
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